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1885年に両替商として創業し、日本の貴金属市場の発展とともに歩む田中貴金属グループ。その中で小売りを担う田中貴金属リテイリング株式会社は、長い歴史の中で幾度も転換点を迎えてきた。2000年代の激しい宝飾品市場での競争と苦戦を経て、同社がいかに自社の真の強みである金への信頼へ立ち返ったのか。金特化への舵切りと、資産と宝飾を融合した新たなリテール事業の展望について、同社の代表取締役である田中和和氏にうかがった。

売り場の現場で学んだ商売の基礎と2000年代の転換期

ーーまずは、これまでのご経歴をお聞かせください。

田中和和:
1992年に弊社へ入社し、最初は売り場の販売員をしていました。当時はバブル崩壊の直後でしたが、国内の景気はまだそれほど冷え込んでおらず、特に週末には非常に多くのお客様にご来店いただける状況でした。売り場では一般的なネックレスや指輪といったジュエリーのほか、当時国内で市場が拡大中であったブライダルジュエリーにもかなり力を入れており、さまざまな商材をお客様に直接提供する日々でした。

ーー売り場での接客を通じてどのようなことを学びましたか。

田中和和:
売り場にいないと分からない、商売におけるリアルな感覚です。最初に販売員として入社したことで、その後のビジネスの基礎となる考え方を若いうちに身につけることができました。店舗での業務は毎日同じ作業の繰り返しに見えますが、お客様は常に変化しています。私たちが気づいていないことに対して細かくご要望をいただいたり、お叱りを受けたりしながら対話を重ねた経験は、非常に重要でした。

また、売れると見込んだ商品が売れず、逆に予想外のものが支持されることもあります。商売は決して理論通りには進まないという現実を、現場で直接学べたことが、現在の大きな土台となっています。

ーー現場を経験された後、会社として大きな壁に直面された時期などはありましたか。

田中和和:
2000年頃は国内経済や小売業の環境が非常に厳しい時期でした。加えて1999年から2000年にかけては金価格が最安値を更新し、1グラム1000円を割り込むような事態になったのです。強いドルに押され、金が投資対象として見向きもされないような状況でした。その影響で取引量が減少し、2000年には弊社も大変な苦境に陥りました。経営方針と小売りの現場をどう変革させるか決断を迫られる中、私は経営企画の立場で事業の見直しや不採算部門からの撤退を当時の社長とともに経験しました。

ーー厳しい環境を乗り越えるため、具体的にどのような方針を打ち出しましたか。

田中和和:
地金の売買に依存せず、宝飾店として一本立ちする方針を打ち出しました。田中貴金属の小売部門は1930年、当時銀座の老舗宝飾店だった山崎商店の経営を受け継いだ背景があり、産業用貴金属メーカーとして、また資産用貴金属の売買を本業とするグループ本流とは少し異なる風土を持っていたからです。1990年代後半頃になると海外の宝飾ブランドが次々と銀座へ参入し、競争が激化していました。そこで、私たちも宝飾品店としての独自路線を確立するため、商品開発や店舗づくりに投資し、ダイヤモンドやブライダルジュエリーなどの宝飾事業で拡大しようと多店舗展開を進めたのです。

多角化の苦戦から見えた顧客の真のニーズと金への特化

ーーその後、宝飾事業の展開はどのように推移しましたか。

田中和和:
一時的な好調はありましたが、2010年代の中盤頃には非常に厳しい時期に突入しました。デフレの深刻化に伴い経済が一段と悪化する中、競合との争いが極めて激しくなったためです。振り返ると、ブライダルやダイヤモンド、ファッションジュエリーなど、各分野にはそこに特化している強力な競合が存在していました。私たちのように全方位で多角的に展開していれば、資金や人材のリソースが分散してしまい、特定分野をとことん突き詰めた専門店には勝てないという現実がありました。それに対抗すべく、商品開発や広告に資金を投じて在庫も抱えましたが、本当に苦しい状況に追い込まれてしまったのです。

ーーそんな苦境から現在の方針へと至った経緯をお聞かせください。

田中和和:
自社の現状を直視し、幹部を集めて過去の取り組みをすべて振り返りました。何が良くて何が悪かったのかを議論する中で、「お客様が弊社に対して本当に求めているものは何か」という根本的な問いに行き着いたのです。

その結果、事業全体で見れば必ずしも売上の主軸ではなかったものの、私たちが扱う「金」に対して、お客様から非常に厚い信頼と期待をいただいているという事実に改めて気づかされました。薄々は認識していたものの、全方位で勝とうとする思考に囚われていた状態から冷静に判断して、金に特化しようと決断した次第です。

ーー「金」において、お客様から厚い信頼を得られていた背景には何があったのでしょうか。

田中和和:
信頼という価値の源泉を知るため、社内の文献や手記を徹底的に調べました。そこから見えたのは、1970年代の金の輸入自由化の時代から続く、企業としての実直な姿勢でした。当時、不確かな情報で販売を行う業者が市場へ多数参入してきました。田中貴金属は消費者保護の観点から新聞での正しい価格公表や啓発本の作成などに取り組み、公的機関とも協力しながら市場の健全化へ多大な投資を行っていたのです。

さらに、お客様からの信頼を決定づけた出来事があります。1973年の金の輸入自由化当時、輸出はまだ未解禁でした。国内需要がなければ買い取った金を海外へ売却できず、買い取りが滞るリスクを抱えていたことになります。そこで田中貴金属は「売りたい方が急増した場合、買い取れない可能性があります」とリスクを正直にお伝えした上で販売しました。

その後、海外市場へ売却できる体制を整えるべく、いち早くロンドン貴金属市場協会(LBMA)の公認熔解業者の認定を取得。そして1978年に輸出が自由化された直後、当時の国際情勢を背景に金価格がかつてないほど高騰しました。購入された方が一斉に売却へ訪れた際、田中貴金属は確実に対応できました。買い取った金を輸出用に素早く精錬し直す、メーカーとしての能力があったためです。この確固たる実績が大きな信頼を生み、「金の価格といえば田中貴金属」という認知の定着につながりました。

こうした歴史を正しく理解し、お客様から信頼していただいている根本を何よりも大事にしなければならないと考えたのです。そこで2019年に銀座本店を大規模にリニューアルし、金を中心とした商品展開や店舗づくりへと転換させました。これが現在に至る、大きなターニングポイントとなっています。

資産と宝飾の垣根を越える 金を楽しむ体験を提供する店舗づくり

ーーでは、現在のリテール事業における最大の強みは何だとお考えですか。

田中和和:
資産と宝飾の垣根を越えたサービスを提供している点です。業界では資産用の地金取引と宝飾品の販売は別のカテゴリーとして分けられがちです。しかし弊社のお客様は、「まず金を買いたい」という目的が先にあり、その後に地金かジュエリーかを選ばれる方が多くいらっしゃいます。ジュエリーでの展開も含め、もともとは同じ金であるという考え方に基づく柔軟な提案が、私たちの大きな特徴となっています。

ーーネットでも購入できる時代に、お客様が店舗へ足を運ぶ理由は何ですか。

田中和和:
実際に金を見たり触れたりする体験を楽しめるからです。もちろん、現在は資産用の金も工芸品もインターネットで手軽に取引できます。しかし、金に直接触れ、体験しながら購入することは実店舗でしか提供できない価値です。消費活動は必ずしも効率だけではありません。店舗ならではの体験を提供し続けられることに、小売りとしての大きなやりがいを感じています。

ーー市場環境が激しく変化する中、商品づくりでこだわっている点を教えてください。

田中和和:
お客様のニーズや金価格の変化に即対応することにこだわっています。金相場は日々変動するため、心理や状況の変化を捉えて的確に応える必要があります。代表的な商品であるコインバーのペンダントやコインジュエリーは、単に枠を付けただけでなく、デザインの組み合わせに工夫を凝らしています。相場やお客様の反応を見極め、常に変化に対応し続けることこそが弊社のこだわりであり、お客様から最も期待されている部分だと感じています。

変化への即応力と次世代に向けたリテール事業のビジョン

ーー今後、会社としてどのようなビジョンを描いていますか。

田中和和:
資産用事業と宝飾事業を、完全にリテール事業として一本化していくことが大きな目標です。これまでお話ししたように、田中貴金属にはメーカーとしての基盤と長年培ってきた信頼があります。これを土台に、金を中心とした事業展開であることをお客様へさらに明確に発信していきます。組織内の風土も含め、リテール事業としての確固たる体制を築き上げる方針です。

ーー強固な組織をつくるために、どのような人材育成を行っていますか。

田中和和:
弊社がお客様から信頼されている根本的な理由を、全社員が正しく理解するための教育を徹底しています。なんとなく「信頼されている」と思っているだけでは、現場での具体的な行動には結びつかないからです。その上で、営業教育や実務的な研修を定期的に実施しています。貴金属の取引には専門的な知識や法律の遵守が不可欠です。そのため、店舗の販売員だけでなく、バックヤードを支える社員も含めた全員が正しい知識を身につける必要があります。こうした教育を総合的に進めることで、組織全体の水準向上を図っています。

ーー最後に、読者へメッセージをお願いします。

田中和和:
金に興味をお持ちの方や金を愛する方々にとって、なくてはならない会社であり続けることを目指します。私たちはそれだけの強い覚悟を持ち、日々の経営に向き合う決意です。これまで弊社を支えてくださった既存のお客様はもちろん、これから金に触れる方々の期待にも真摯に応えてまいります。そのために今後も店舗の運営体制をさらに強化する方針ですので、これからの弊社の挑戦にぜひご期待ください。

編集後記

田中氏の言葉からは「金」という絶対的な強みに対する揺るぎない確信がうかがえた。目先の利益よりも市場の健全化と顧客保護を優先した先人たちの実直な歩みが、今日の厚い信頼の礎となっている。業界の常識を取り払い、純粋に金を楽しむ体験を提供する田中貴金属リテイリング株式会社のアプローチは、顧客に新たな価値をもたらすはずだ。一本化されたリテール事業の新たな形を同社がどう確立していくのか、今後のさらなる飛躍に期待したい。

田中和和/1967年、東京都に生まれる。1992年に当時の田中貴金属ジュエリー株式会社(現・田中貴金属リテイリング株式会社)へ入社。2003年より取締役として販売企画部部長を兼務し、2006年7月に常務取締役、2007年6月には代表取締役常務の任に就いた。その後、2010年4月に代表取締役副社長を経て、2011年4月より代表取締役社長へと就任。2025年1月に実施されたグループ内の組織再編に伴い、株式会社田中貴金属グループの取締役専務執行役員・貴金属本部長、および田中貴金属リテイリング株式会社の代表取締役社長の職を拝命している。