
祖父が立ち上げ、父が継いだ榊原病院。理事長を務める榊原敬氏は、順天堂大学医学部を経てアメリカへ留学し、その後を含め約15年間、大学病院などに勤務したのち、故郷の岡山県へ戻り、榊原病院の経営に携わることとなった。当時の病院が抱えていた課題を見つけては、「即断即決」で業務改革を進めてきた同氏。変遷を遂げてきた「心臓病センター」としての歴史や、多様化する社会における将来のビジョンについて、その思いを聞いた。
客観的な視点を持つべくあえて消化器外科の世界へ
ーー幼少期から医師として、病院を継ぐことを考えていたのですか。また、そこから消化器外科に進まれた経緯も教えてください。
榊原敬:
医師という職業は身近な存在ではありましたが、親戚の誰かが継ぐだろうと思っていたので、私自身には明確に後を継ぐつもりがあったわけではありませんでした。ただ、高校時代に将来を考えた際、自分はいわゆる会社勤めには不向きであると感じ、何か資格のある職業に就いた方がよいだろうという思いから、高校卒業後は順天堂大学医学部に進学しました。
祖父(亨)が心臓血管外科を始め、親戚もその道に進んでいましたが、周囲から「継がなければならない」と強要されたことは一度もありませんでした。私自身、能の世界で言う「離見の見」のように、近すぎてのめり込むのではなく、少し離れたところから客観的に見ることが大切だと考えていました。そのため、どちらにしても客観的に見られたらそれはそれでいいかなという観点から、家業のルーツである心臓ではなく、当時はがん治療が主流であり父(宣)も進んでいた消化器外科を専攻したのです。医学部を卒業後は、2年ほどアメリカへ留学してがん研究に携わり、帰国後の約15年間は、大学病院などの関連施設で勤務を続けました。
地方病院の現状と「即断即決」による業務改革
ーーその後、家業に戻られてからはどのようなことに取り組みましたか。
榊原敬:
先ほどもお話ししたように、もともと私自身は家業に戻るつもりはなく、親族の誰かが継げばいいと考えていました。しかし、諸般の事情で父のところに経営権が回ってくるなどさまざまな出来事があり、私自身も手伝いをする中で、最終的に「君しかいないから、やってみたらどうか」という状況になり、私に回ってきたというのが実情です。
そうして岡山に戻ってみると、当時の病院経営は旧態依然としており、入院させるだけで収益が上がるといった従来型の発想が残る状況でした。時代は変わってきているのに、これではいけないと感じ、古い体質から脱却するべく業務改革を進めました。そこで私は、改善すべき課題を見つけては「即断即決」で迅速に対処していくことにしたのです。具体的には、薬の在庫管理や安全性の観点から、それまで全製品揃えるのが良いとされていた薬品の種類を段階的に絞り込みました。また、発注の決裁権を本部に集約することで価格交渉を有利に進めるなど、経営体制の整備も行っています。
ーー経営を進める上で、特に大事にされている考え方を教えてください。
榊原敬:
時代の流れを見極めることですね。先を見据え、いち早く舵を切ることを意識してきました。インターネットが普及し始めた頃から、私は海外の英文論文から情報を得ていました。欧米の診療指針は日本のものより1〜2年早く発表されます。次にどのような治療や薬が主流になるかを先読みすることで、日本の指針が出る前に動くことができたのです。また、行動においては「即断即決」にこだわっています。早く決断すれば、仮に間違っていたとしても、他者が動き出す前にいち早く軌道修正できるからです。
心臓病センターのルーツと地域を支える周辺領域への展開

ーー改めて、現在の貴院の強みや特徴について教えていただけますか。
榊原敬:
長年積み上げてきた心臓外科の実績と歴史です。1936年、胸部に重傷を負って運ばれてきた患者に対し、祖父がガーゼを巻きつけて圧迫止血を行い、命を救いました。その後も祖父は世界初となる心臓鏡を開発するなど心臓外科の進歩に大きく貢献しています。祖父の弟(仟)が米国で術後管理を学んだことで、我が国の心臓外科は飛躍的に進歩しました。こうした先人たちの努力があり、現在も中四国や九州において、当院は心臓や大血管の症例数でトップクラスの実績を持っています。
ーー手術後のサポートにも力を入れていると聞きましたが、どのようなことに取り組まれていますか。
榊原敬:
退院後の再発防止を目的とした「医師による個別の運動プログラム提供(心臓リハビリテーション)」に注力しています。一度大病を患った方は、一般的な運動施設を利用しづらい現状があります。そこで、当院が医療の視点から、患者様個人の身体能力に合わせた運動指導を行い、新たな病気を防ぐ支援を行っているのです。地域の医療機関だけでは、早期診断から治療、リハビリまでを一貫して行うことは困難です。そのため、当院では手術そのものだけでなく、こうした周辺領域も含めて網羅的にサポートしています。
持てる技術で変化に応え若手が生きがいを感じる職場へ
ーー今後のビジョンについては、どのようにお考えですか。
榊原敬:
既存の技術を活かしながら、時代のニーズに合わせて変化していく方針です。かつての昭和の時代には溶連菌感染による僧帽弁狭窄症が中心でしたが、食生活の変化により昭和の終わり~平成にかけては心筋梗塞が増えてきました。令和の現在では大動脈疾患が目立つなど、時代とともに求められる治療も変わってきています。また、高齢化や核家族化が進む中、退院後すぐに自宅で一人で生活することが困難な方も増えています。周囲の状況を冷静に見極めながら、その時代に必要な医療サービスを提供していくしかありません。
ーーそうした変化に対応するため、組織づくりや採用で意識されていることはありますか。
榊原敬:
20代などの若手の育成に力を入れています。現在は価値観が多様化し、先輩の背中を見て技術を覚える昔のやり方から、動画などで効率的に学べる時代へと変化しました。一方で、指示を待つだけになってしまう若手も少なくないため、自ら考える姿勢を育む指導が不可欠です。
当院では指導医による適切な体制を整え、20代の医師が確かな経験を積める環境を提供しています。人は集団の中で生きており、患者さんや周囲に認められることで満足感や生きがいを感じるものです。多様な要望に応え、20代などの世代がやりがいを実感できる職場であり続けることが、今後の医療を支える鍵だと考えています。
編集後記
祖父の代から続く歴史ある病院の経営において、榊原氏が持つ「少し離れたところから客観的に見る視点」と「即断即決」の姿勢は、急速に変化する現代医療の中で極めて重要な役割を果たしていると感じた。最新の治療への対応だけでなく、患者の退院後の生活や若手医師の育成にまで目を向ける同氏の取り組みは、これからの地域医療の在り方を示す一つの希望である。時代のニーズを先読みし、柔軟に変化し続ける社団十全会は、これからも患者のために変わり続けることだろう。

榊原敬/1961年、岡山県岡山市生まれ。順天堂大学医学部、同大学院医学研究科修了。ニューヨーク州立Roswell Park癌研究所へ留学、順天堂大学第一外科外来医長、岡山大学医学部第一外科助手、特定医療法人社団十全会榊原東病院副院長を経て、2012年に社会医療法人社団十全会の理事長に就任。2018年から社会医療法人社団十全会「心臓病センター榊原病院」院長を併任。日本消化器外科学会指導医、日本消化器内視鏡学会指導医、日本消化器病学会指導医、日本臨床外科学会幹事・評議員。