※本ページ内の情報は2026年8月時点のものです。

東京都庁での約40年にわたるキャリアの中で財政の要職や副知事を歴任し、その後、世界陸上選手権の事務総長として大きなスポーツイベントの運営を成功に導いた武市敬氏。確かな実績を持つ同氏が次なる舞台に選んだのは、大井競馬場をはじめとする多角的な空間ビジネスを展開する東京都競馬株式会社である。「実は競馬をほとんどやったことがなかった」と笑う同氏の眼差しは、新たに創造する都心型エンターテインメント競馬場を核としてエリア全体の魅力向上に取り組む、「施設賃貸業」からの進化へと真っ直ぐに向けられている。危機を乗り越えてきた行政経験と組織運営の手腕は、いかにして次世代の「空間創造企業」を牽引するのか。社長就任への思いから今後の具体的な展開まで詳しく迫る。

都政の縮図を見た三宅島と困難に直面して発揮される組織の底力

ーーまずは、これまでのキャリアについてお聞かせいただけますか。

武市敬:
私は約40年にわたり東京都庁に勤務していました。最初の配属先である三宅島は都民の窓口としての行政機能が集約されており、まさに都政の縮図と言える環境で、私の原点となる職場です。そして、そこで基礎を学んだ後に都庁に戻り、キャリアの約3分の1は財政関係の業務を担当しました。

財政の運営において難しさを感じたのは、税収が落ち込んでいるときよりも、むしろ好調なときでした。予算を一律にカットする厳しい時期よりも、税収が上向いているときにこそ、何を優先すべきかという行政のスタンスが問われるからです。将来を見据えた事業選択を迫られる局面に、仕事の本質的な難しさと責任の重さを実感いたしました。

そして2020年からは3年にわたって東京都の副知事を務めましたが、まさに新型コロナウイルスとの闘いに明け暮れた日々でした。正解がわからない前例のない状況下で、都民の命や生活に直結する決断を下すという、大きな重圧の中での職務でしたね。

ーーそんな危機的状況の中で得た教訓は何ですか。

武市敬:
前例のない危機的な状況に直面したとき、組織は一枚岩になり、一致団結して事態の収拾に向かっていけるということです。2020年当時は法令が未整備で強制力を使った対応ができず、都民の皆様に協力をお願いするしかありませんでした。しかし、ほとんどの皆様が要請にきちんと応じてくれ、そのとき日本人の素晴らしい国民性に深く感激しました。東日本大震災のときもそうでしたが、縦割りだと言っている場合ではない非常時に直面すると全員が同じ方向を向く。そうした困難なときこそ都庁という組織は本当の底力を発揮し、乗り越えることができるのだと感じました。

ーー副知事を退任された後は、どのような道へ進まれたのでしょうか。

武市敬:
副知事退任後2023年7月に、世界陸上選手権2025年東京大会の事務総長に就任しました。当時は、東京2020オリンピック・パラリンピック大会の運営を巡り、一部の事案に対し社会の厳しい目が向けられ、世間の信頼が揺らいでいた時期でした。まさにマイナスからのスタートという大変さを痛感しましたね。

そんな状況下で組織を運営するため、私は「組織統治の確立」「法令遵守の徹底」「積極的な情報公開」の3つを柱に据えました。これを職員に徹底したところ、全員が東京大会を成功させるという高い意欲で見事に応えてくれました。優秀なスタッフが一丸となって取り組んだ結果、大会は連日多くのお客様でにぎわい、高視聴率も記録しました。多くの人にスポーツを生で見る喜びを伝えられたことは、私にとっても非常に大きな喜びでした。

競馬未経験のトップが挑む「ダートの聖地」の進化とデジタル戦略

ーー新たな舞台として、貴社のトップに就任された率直な思いをお聞かせください。

武市敬:
歴史ある弊社で責任ある立場を担うことに非常にワクワクしています。実際に従業員と対話を重ねる中で、世界陸上の組織と同じように皆が高い意欲を持って仕事に取り組んでいると感じており、これから一緒に仕事をしていくのが楽しみです。

実は私はこれまで競馬をほとんどやったことがなく、就任前に大井競馬場へ足を運んだのも競馬と東京メガイルミ(冬季の競馬開催がない日に大井競馬場で開催されるイルミネーションイベント)を含めて数回だけです。周囲からは驚かれますし、今もなお勉強している最中ですが、高い専門性を持った社員が、初歩的な質問にも嫌な顔一つせず丁寧に教えてくれるので、私自身は実はあまり心配していません(笑)。世界陸上のときも陸上の知識はほぼゼロに近い状態でトップを任されましたが、同時進行で陸上の勉強を重ねることで、事務総長としての職責は果たすことができたと思っています。これまで東京都の副知事や世界陸上選手権の事務総長として、困難な局面において重要な施策や大規模プロジェクトを推進するための決断を下してきましたが、経営者にとって重要なのはこれまでの経験を活かし、会社をさらなる成長軌道に乗せていくための経営判断を下すことだと肝に銘じています。

ーー改めて、貴社の事業内容についてお聞かせください。

武市敬:
弊社グループでは「公営競技事業」「遊園地事業(東京サマーランド)」「倉庫賃貸事業」「サービス事業」の4つのセグメントを展開しています。その中心事業である「公営競技事業」では、品川区にある大井競馬場、群馬県伊勢崎市にある伊勢崎オートレース場、地方競馬インターネット投票システムである「SPAT4」を各主催者・施行者へ賃貸しています。その他の事業としては、あきる野市にある東京サマーランド、大井競馬場が位置する勝島地区にある商業施設や物流倉庫など、多様な施設・空間を提供しています。

ーー中心事業である公営競技事業のうち、大井競馬場ならではの魅力をお聞かせください。

武市敬:
私たちは、主催者である特別区競馬組合と連携し、日本で初めて実現した取り組みが多くあります。代表的なものが1986年から始まった日本初のナイター競馬です。これにより仕事が終わった後でも競馬を楽しめるという新しいスタイルを提供できました。今でも仕事帰りに多くの方が足を運んでくださっています。

また、2024年より「3歳ダート三冠」という、中央・地方の垣根を越えて日本一の3歳ダート馬を決定する、新しい競走体系が整備されました。このレース全てを大井競馬場で開催しており、大井競馬場は「ダート競馬の聖地」であると自負しております。

さらに、世界で唯一、右回りと左回りの両方に対応している競馬場であることも特徴です。そして、大井競馬場の何よりの強みは、品川駅と羽田空港のちょうど中間に位置し、車がなくてもスムーズにアクセスできる抜群の利便性(アクセス)にあると考えています。

現在、この立地特性を最大限に活かし、レース開催日に留まらず、365日いつでも人々に「心昂る感動空間を提供する」都心型エンターテインメント競馬場としての価値を、さらに高めているところです。

ーー都心型エンターテインメント競馬場という未来像の一方で、大井競馬場の敷地は「都市計画公園」に指定された場所でもありますよね。こうした都市計画公園としての公共性への期待と、民間企業としての使命を、どのように両立させているのでしょうか。

武市敬:
大井競馬場の敷地は、都市計画法においてあらかじめ用途が定められている「都市計画公園」に位置づけられ、土地の利用には厳しい制限がかかっており、公共性を期待される場所と認識しています。この地において、私たちは、公営競技に不可欠な施設を提供し続け、東京都や大井競馬の主催者である特別区競馬組合とともに、高い公益的使命を全うしてきました。こうした公共性・公益性があるからこそ、皆様が安心して楽しめるエンターテインメントとして大井競馬場が存在しております。

また、2024年10月に品川区と「包括連携協定」を締結し、地域防災や街の魅力向上において緊密に連携しています。地域の方々に受け入れられ、愛される安心・安全な空間づくりを、すべての事業において大切にしています。

民間企業がこうして社会的な役割を果たすことは、一見すると収益を犠牲にしているように見られがちですが、決してそうではありません。大井競馬のさらなる振興を図ることや、この勝島地区のまちづくりに貢献することは、エリア全体の魅力を向上させ、私たちが周辺に所有している他の不動産の価値向上にも直結するからです。

つまり、大井競馬場の公共性を担保しながら、都心型エンターテインメント競馬場を実現するとともに、民間企業としてエリア全体の価値向上に取り組むことは、弊社の利益とも完全に一致する取り組みなのです。

ーー貴社は競馬場という「施設」だけでなく、地方競馬インターネット投票システム(SPAT4)といった「システム」の賃貸事業も行っているとのことですが、こちらについても詳しくお聞かせください。

武市敬:
本年、サービス開始から30周年を迎えた「SPAT4」は、インターネットがない時代のプッシュ回線による電話投票から始まり、インターネット投票へと進化していくことで、競馬場に足を運べない方にも馬券購入の機会を拡げてきました。現在では全国すべての地方競馬の馬券が買えるようになっており、2025年の売上高は5,558億円を記録しております。これまで当社は競馬主催者との連携のもと、単なるシステムの賃貸にとどまらず、利便性向上やPR活動の充実に努めてまいりました。その結果、現在、地方競馬全体の馬券売上高において、SPAT4が48%のシェアを占めるまでに伸長しており、弊社の主力事業にまで成長を遂げております。

今後も、単にスマートフォンで馬券を買うという機能だけでなく、様々なコンテンツを通じて、馬券を検討する段階からドキドキワクワクして楽しんでもらえるサービスを提供することで、20代・30代をはじめとする新たなファン層の拡大を図るとともに、「地方競馬公式サービス」として、地方競馬のさらなる発展に寄与していきたいと考えてい
ます。

過去最大の挑戦と「施設賃貸業」からの進化が描く未来図

ーー今後のビジネス展開について教えてください。

武市敬:
私たちは「空間創造企業」として、大井競馬場だけでなく、勝島地区にある商業施設や倉庫など、多様な施設空間を保有しています。今後は保有施設等の資産のポテンシャルを最大限発揮し、これらの空間を通じて人々に笑顔をお届けすることが使命であると考えています。単に施設を貸し出すだけでなく、保有している施設をインテグレート(統合、連携することで相乗効果を発揮)することでいかに高い付加価値を生み出していくかという段階へ事業を発展させることが、大きな課題だと考えています。

ーー保有する施設をインテグレートすることでさらに高い付加価値を生み出すための今後の構想についてお聞かせください。

武市敬:
現在、複数のプロジェクトが進行しています。

まず、強い馬を育てて魅力的なレースを展開し、ファンの皆様により楽しんでいただくために、調教環境の整備を行います。2025年12月に千葉県市原市における土地の購入を決定し、新しい厩舎や、大井競馬場内では設置困難な1,000メートル級の坂路(傾斜のある走路)を備えたトレーニングセンターの整備に向けて取り組んでいます。

また、大井競馬場は開場から80年近くが経過し、厩舎などの施設が老朽化しています。更新期をむかえる厩舎機能は千葉県市原市のトレーニングセンター内に移転することとなりますが、その他の場内施設の再整備を行うことによって、ファンの皆様が高揚感を覚えるような空間を創ってまいります。

さらに、厩舎機能の移転や老朽化施設の再整備によって、大井競馬場の敷地内に新たな空間が生まれます。そこを活用して高度な土地利用を行い、大井競馬場の付加価値を高めていく方針です。その有力なプランの一つとして、「アリーナ」を計画・検討しています。

これらは単に「場所の提供」にとどまるのではなく、すべてが都心型エンターテインメント競馬場の実現につながる取り組みであり、競馬場周辺にも整備効果を波及させることで、エリア全体に高い付加価値を生み出していく、弊社にとっては「新たな領域への挑戦」であり、過去最大のチャレンジとなります。この構想を確実に形にしていくことこそが、私の社長としての大きな使命であると考えています。

ーーアリーナなど、かつてない規模の大型プロジェクトが目白押しかと思います。こうした「新たな領域への挑戦」を実際に推進し、成功させていくために、どのような取り組みを強化していきますか。

武市敬:
私は、経営において最も重要な資産は「人」だと考えています。弊社グループ全体の従業員数は250名程度と決して大きな組織ではありませんが、高い収益力を維持していることが弊社の強みです。その背景には、従業員一人ひとりの力があると考えています。
大企業とは異なり、従業員全員の顔が見える規模だからこそ、一人ひとりの挑戦や創意工夫、日々の努力を適切に評価し、その成長を支えることができます。こうした積み重ねが、従業員のスキルアップを通じて組織力を高め、企業の成長につながっていると考えています。

一方で、今後予定している新規事業や大型プロジェクトを推進していくためには、事業変化に即した人材の確保が重要であると考えています。さらなる成長を実現するためには、高い専門性や経験を持つ即戦力人材の採用が不可欠です。

弊社ではこれまでも、人材育成や目標管理、評価制度などを通じて従業員の成長を支えてきました。今後は、従業員一人ひとりの成長や多様なキャリア形成を支える人事制度をさらに充実させ、新たな人材の力と既存従業員の成長を掛け合わせることで組織力を高めてまいります。冒頭、困難に直面して発揮される都庁の組織力のお話をしましたが、弊社においても過去にない挑戦に取り組む今、チーム一丸となって将来の成長を支える、そんな強固な組織をつくっていきたいと考えていま
す。

ーー最後に、今後の意気込みと読者へのメッセージをお願いいたします。

武市敬:
先ほども一部お話しましたが、弊社は現在、新しいトレーニングセンターの整備や競馬場の再整備、SPAT4のシステム更新などの準備を進めています。未来に向けた成長投資を確実に実行し、同時に地域への貢献という社会的使命も果たしていく。その成功のためにはこれまで取り組んでこなかった新たな領域へのチャレンジが不可欠です。

私たちの仕事の中核は、施設やサービスを通じて人々に夢や感動をお届けすることです。歴史ある競馬場の運営という強固な経営基盤を持っていますが、そこに安住することなく、これからは新たなエンターテインメント空間の創造にも挑戦してまいります。

既成概念にとらわれず、新しい発想で挑戦できる若い力が欠かせません。多様なプロジェクトに関わり、自ら成長しながら会社の未来をともに創っていきたいと考える方に、ぜひ仲間になっていただきたいと思います。皆さんとともに、新しい未来の景色を描いていけることを楽しみにしています。

編集後記

都庁や世界陸上で数々の困難な局面を打開してきた武市氏。競馬未経験ながらトップに就任した同氏の言葉からは、組織を動かす本質的なアプローチと、未来への純粋なワクワク感が伝わってきた。単に「場所を提供するだけのビジネス」に安住せず、都心型エンターテインメント競馬場を核にエリア全体の魅力を高める新たな領域へ挑む姿勢は、変革を恐れないリーダーの理想像を示している。強固な事業基盤を活かしながら、次のステージへの挑戦に取り組んでいく同社に、今後も期待が高まる。

武市敬/1960年生まれ。1984年に東京都に入都し、財務局長や港湾局長、2020年より副知事を歴任。2023年からは、2025年9月に開催された世界陸上選手権において事務総長を務めた。2026年3月に東京都競馬株式会社代表取締役社長に就任。