※本ページ内の情報は2026年8月時点のものです。

1965年の設立以来、茨城県を拠点に食品物流を支え続ける茨城乳配株式会社。一社の荷主に極端に依存していた経営から脱却し、現在は冷凍・冷蔵の食品配送に特化して成長を続けている。同社を率いる吉川国之氏は、損害保険会社から家業へと飛び込んだ経歴を持つ。「社長は社員の人生においてエキストラかもしれない」と語る吉川氏は、東日本大震災という未曾有の危機を経て、独自の組織論にたどり着いた。業界の「荒っぽい」イメージを払拭し、誰もがワクワクするような「性格の良い会社」を目指す、その挑戦の軌跡と組織づくりのこだわりに迫る。

異業種から飛び込んだ現場で見えた「景色」の違い

ーーまずは、貴社へ入社されるまでの経緯を教えてください。

吉川国之:
もともと私は、大手の損害保険会社で法人向けの営業として働いていました。その後、1997年に父が経営する茨城乳配に入社しましたが、当時の私は運送業の現場については全くの素人です。名刺の渡し方などの一般的なビジネスマナーは心得ていても、いざ現場のドライバーたちを前にすると、何を話せばいいのかさえわからない状態でした。

ーー入社後、前職との違いをどのように感じましたか。

吉川国之:
前職とは、非常に大きなギャップがありましたね。大手企業で当たり前のように用意されていた職場環境や設備が、当時の弊社にはなかったのです。たとえば、喉が渇いても自動販売機すらない環境でした。

そこで私が「自動販売機を置いてほしい」と頼んで導入したところ、社員たちから感動されたのです。そのときに、私が当たり前だと思っていたことと、彼らが見ている景色は全く違うことに気づかされました。ただ、最初の頃は現場の仕事ができないため、「あいつは『どっち』側なんだ」と現場から距離を置かれていたのも事実です。

最大の危機と3.11が教えてくれた「会社を支える存在」

ーー現場との距離を感じる中で、会社を大きく変えることになった転機は何でしたか。

吉川国之:
転機となったのは、取引先への依存状態から脱却したことです。2000年頃、当時の弊社はある1社の大手食品企業との取引が売上高の95%を占める完全な依存状態でした。しかし、弊社の依存していたその大手食品企業の同業他社が大きな事件を起こして、弊社と同じようにその企業に依存していた物流企業が窮地に陥る出来事がありました。そのことを知った瞬間、「万が一弊社の取引先でも同じような状況になったとき、うちの会社が倒産し、社員が路頭に迷う」と強烈な危機感を覚えたのです。そこで、一社依存の状態から脱却するため、これまでの取引先の業務を維持しつつも、新しく取引先を増やすことを決めました。それからは仕事を選ばず、「何でもやります」と営業に走り回る日々で、特定の企業への依存を断ち切るためにそれまで弊社のトラックに入れていた取引先の看板を消して真っ白な無地にし、プライドを捨てて他社が嫌がる仕事も引き受けました。必死に営業を重ね、最終的に「冷凍・冷蔵の食品配送」と「関東圏内」という掛け算に特化し、生き残る道を見出しました。

ーー社員の方々に対する意識が変わった出来事についてお聞かせください。

吉川国之:
2011年に発生した、東日本大震災が大きなきっかけです。あの日、会社は停電し、道路も寸断されて配送などできる状況ではありませんでした。しかし、夜から朝にかけて、社員たちが自発的に続々と会社に集まってきたのです。中には停電している自宅ではなく、大きな余震がある中でも比較的安全で暖房の効く自家用車に家族を残し、自らは徒歩や自転車で何時間もかけて出社してくれた社員もいました。彼らは震災直後の不安な環境下で、自身の最も大切な家族を残してまで出社してくれたのです。その姿を目の当たりにして、社員たちは私以上に会社を想い、仕事に誇りを持っていることに気づかされ、「社員のためにもっと良い会社をつくろう」と心に決めました。

マネジメントの教科書は通用しない 一人ひとりのドラマに寄り添う

ーー社員のために良い会社をつくるという決意は、現在のマネジメントにどのように反映されていますか。

吉川国之:
組織はトップダウンのピラミッド型ではなく、逆のツリー型だと捉えています。一番下が経営者であり、みんなを支える土台にすぎないのです。だからこそマネジメントも、教科書通りにはいきません。たとえば事故が起きたとき、ただ罰を与えるような古い定説に当てはめるだけでは解決しません。それよりも、「彼らがなぜそうしてしまったのか」という、一人ひとりの背景を知ることが重要だと考えています。

ーーそのために、具体的にどのような対話を重ねているのですか。

吉川国之:
見えている景色が違うことを前提とした、マンツーマンの対話を重視しています。私は「社員一人ひとりが自分の人生の主人公であり、それぞれのドラマを生きている」と認識しています。そのドラマの中で、私(社長)は重要な登場人物ではなく、ただのエキストラかもしれません。むしろ直属の上司の方が彼らにとっては重要な存在です。だからこそ、相手が見ている景色を想像し、対話を通じてそれぞれのストーリーに寄り添うようにしています。

ーー運送業界に対する世間のイメージについて、どのようにお考えですか。

吉川国之:
「荒っぽい」というイメージを変え、「性格の良い会社」として社会に受け入れられる必要があると考えています。そのために弊社では定石の逆を行き、ユニフォームを綺麗に整え、地域の小学校での交通安全教室やフードバンクとの連携などを行っています。あえて「運送会社っぽくない」といわれるようなアプローチをとることが、結果的に社員の誇りになり、企業の価値を高めると信じているのです。

ーー今後はどのような会社をつくり上げていきたいですか。

吉川国之:
社員が安心して働けるだけでなく、新たな挑戦を後押しする「発射台」のような会社にすることです。売上高の拡大も目指しますが、それはあくまで通過点にすぎません。「この会社なら面白いことができる」「この会社がほしい」と誰もが思えるような、ワクワクする魅力的な組織をつくり上げたいと考えています。社員の成長が社会貢献に直結するような、新しい運送業の形をこれからも追求し続けていきます。

編集後記

「社長は社員のドラマのエキストラかもしれない」。吉川社長のこの言葉には、現場で愚直なまでに社員と向き合い続けてきた経営者ならではの謙虚さが滲んでいた。リスクに直面した際の思い切った決断力と、社員を下から支えようとする逆ツリー型の組織論。そして「性格の良さ」を武器に業界の常識を変えようとする姿は、非常に革新的だ。運送業という枠を超え、社員一人ひとりが主役となって躍動し、挑戦を後押しする同社の未来が、これからも地域の基盤と人々の生活を温かく支えていくに違いない。

吉川国之/1969年、茨城県生まれ。1991年に日本大学法学部を卒業後、富士火災海上保険株式会社(現・AIG損害保険株式会社)に入社。主に法人向けの営業を担当後、1997年に父親の経営する茨城乳配株式会社へ入社。取締役営業部長を経て、2018年に同社代表取締役社長に就任。2017年にグロービス経営大学院に入学し、2020年にMBAを取得。「性格の良い会社を創る」ことをミッションに掲げ、地域貢献や環境保全の活動にも注力している。