※本ページ内の情報は2026年10月時点のものです。

漬物の製造・卸売事業を展開する株式会社天政松下は、夏の水なす漬や冬の千枚漬といった主力商品を軸に、全国の食卓へ安心・安全な製品を届けている。かつて音楽家を志した異色の経歴を持つ代表取締役社長の松下雄哉氏は、家業を継ぐと、後継者ならではの苦悩を経験した。その中で芽生えた「従業員を大切にしたい」という強い思いを原動力に、売上至上主義からの脱却と、従業員の成長を促す独自の組織改革を実行した。同氏が描く、会社の未来像に迫る。

音楽家の夢を経て家業へ 後継者として歩み始めた道のり

ーー社会人としてのキャリアは、どのようにスタートされたのでしょうか。

松下雄哉:
大学卒業後もプロのミュージシャンを目指して活動していましたが、24歳になった頃、音楽の世界で成功することの難しさを痛感し、一つの区切りをつけました。今後の道を考えた際、兄はすでに出版業界で生きていくと決めていたため、「歴史ある家業を継ぐのは、自分しかいない」と強く意識したのです。音楽に全力を注ぎながらも、心のどこかで「いつかは自分が会社を担わなければならない」という思いを漠然と抱き続けていた私は、そのタイミングで家業へ入る決意を固めました。

入社後は経営側に入るよう言われたものの、まずは現場を知らなければ何も始まらないと考え、自ら志願して営業職を経験しました。弊社の売上の約8割は卸売事業が占めており、営業力が会社の要です。その後は商品開発にも携わり、今でも続けています。

ーー営業時代、特に印象に残っていることはありますか。

松下雄哉:
入社当時は「会長の息子だから成果を出せて当たり前だ」という周囲の声があり、それを覆すには誰もが認める圧倒的な結果を出すしかないと考えました。今考えると小さな話だなと思いますが、当時は結構そういう雰囲気の会社だったのでがむしゃらに働きました。その結果、会社で最も取引額の大きいお客様をゼロに近い状態から開拓できたことは、今では私の大きな自信につながっています。

一方で、当時の会社には売上さえ上げれば良いとする、売上至上主義の風潮が根強くありました。営業成績が良ければ社内でのトラブルや問題行動が見過ごされることもあり、真面目に働く従業員が嫌な思いをする状況だったのです。悔しさや理不尽な思いを他の社員にさせてはならないと強く感じたことが、後の組織改革の原点となりました。

大ヒット商品の模倣から学んだ「真似されない」強み

ーー商品開発にも携わられていますが、特に印象に残っている経験をお聞かせください。

松下雄哉:
15年ほど前、「サラダのように野菜が摂れる漬物」をコンセプトとした『野菜が摂れる10品目。』という商品を開発し、全国の大手量販店で取り扱われるほどの大ヒットを記録しました。しかし、浅漬けは賞味期限が短く、自社の商品を遠方へ直接届けることが難しいため、全国各地のベンダーがそれぞれ現地で生産を担う業界構造があります。さらに、漬物業界は高度な技術を必要としないローテク産業であるため、あっという間に各地でコンセプトを模倣されてしまいました。結果として差別化が困難になり、安価な類似品が市場に溢れたことで、せっかくの商品が廃れて姿を消すことになってしまったのです。この失敗から、「簡単に真似される商品では生き残れない」という厳しい現実を痛感しました。

ーーその教訓は、現在の事業展開にどのように活かされているのでしょうか。

松下雄哉:
バイヤー様から見て、似たような商品が並んだ時に、弊社から買う明確な理由をつくることにこだわっています。たとえば、営業には「ストーリー営業」と言っていますが、取引先の方に原料産地を見て農家の方とお話ししていただき、その原料がどう加工されるか工場を見ていただく。商品パッケージのデザインにも関わっていただく。自分が見て触れて感じた想いが販売する動機づけになれば、真似をされることはなくなるはずです。製品にしても営業においても他社とどう差別化して、自社のブランディングを構築していくかを常に考えるようにしています。

従業員満足を追求し全員が経営者視点を持つ主役になれる会社へ

ーー社長に就任されてから、まず何に取り組まれましたか。

松下雄哉:
最初に、経営理念を「顧客第一主義」から、従業員満足と顧客満足の循環を目指す「満足循環主義」へと刷新しました。従業員が満足して働けなければ、お客様に良いサービスを提供できるはずがありません。その理念に基づき、問題行動を起こした社員には、たとえ営業成績がトップクラスであっても厳格な処分を下し、誰もが真面目に安心して働ける環境づくりを徹底したのです。

また、新たな理念を社内に浸透させるべく、人事評価制度を根本から作り変えました。従来は個人の営業成績と勤務姿勢などを一緒に評価していましたが、これでは運不運に左右される成績に評価が引っ張られてしまいます。そこで、評価を「プロセス」と「成果」に完全に分離しました。月々の給与に反映される人事評価は、挨拶や協調性、新しいことへの挑戦といった「働く姿勢」のみを対象としています。一方、営業成績はすべて賞与に反映させることで、誰もが納得感を持ち、日々の業務に前向きに取り組める仕組みを整えました。

ーー従業員の育成や職場環境づくりにおいては、どのような取り組みをされているのでしょうか。

松下雄哉:
まず一つは、全社員への会計教育です。営業担当者は、どうしても自身の売上や利益だけを見てしまいがちです。しかし、会社の利益がどのような構造で生まれるのか、会計を学ぶことで、自社工場を稼働させることの重要性などを理解できます。全社員が会社の損益計算書を読める状態にすることで、経営陣が打ち出す戦略への理解が深まり、一人ひとりが経営者視点を持って行動できるようになると考えています。

さらに、その経営者感覚を磨く一番の近道は、実際に経営者になることだと考え、社内ベンチャー制度も積極的に推進しています。この3〜5年で3社ほどの会社を立ち上げ、従業員の中から社長や取締役を指名しました。

例えば、受発注業務を自動化するソフトウェアロボット(RPA)の開発・コンサルティングを行う会社もその一つです。もともとは自社の業務効率化のために開発したシステムだったのですが、実際の現場で使い込み、効果が実証されたものを同業他社様へ展開する事業として法人化しました。このように、食品製造の枠を超えてIT分野へ挑戦するなど、従業員が自分の可能性を最大限に発揮できる機会をこれからも作っていきたいと考えています。

ーー最後に、今後、会社として目指す姿についてお聞かせください。

松下雄哉:
従業員一人ひとりが成長し、主役として輝ける会社でありたいと考えています。漬物事業を大切にしながらも、それに固執することなく、新しい分野に挑戦し続けたい。そして、いつかは新卒の学生たちが就職先として選んでくれるような、魅力ある会社になるのが目標です。経営者と近い距離で働き、若いうちから多様な経験を積むことができる環境は、大企業では味わえない中小企業ならではの醍醐味にほかなりません。この唯一無二の価値を、次代を担う若者たちへ、私自身の言葉で情熱を持って伝えていくつもりです。

編集後記

音楽家を志した道から一転、家業の経営者へと転身した松下氏。その根底には、後継者として乗り越えてきた苦悩と、そこから生まれた「従業員を幸せにしたい」という揺るぎない思いがある。売上至上主義の風潮にメスを入れ、プロセスを正当に評価する人事制度や、社員が経営者になる社内ベンチャー制度を導入したのも、その信念の表れだろう。「会社の成長は人の成長によってもたらされる」という経営の普遍的な真理を、松下氏は自らの挑戦を通じて体現している。主役となった従業員たちが、これからどのような新しい景色を私たちに見せてくれるのか。その飛躍が楽しみだ。

松下雄哉/1982年大阪府生まれ。2004年立命館大学を卒業後、2007年に株式会社天政松下に入社。2013年に専務、2017年に代表取締役社長に就任。社長就任以降、従業員の能力が存分に発揮される風通しのよい環境、制度、仕組みのブラッシュアップに取り組んでいる。