
大手洋菓子メーカー時代、出向先の関連会社を見事に立て直した経歴を持つ、株式会社加悦ファーマーズライスの菅野剛社長。その後も、多額の債務超過に陥り、実質的な倒産状態にあった同社の再建を託されたことから、全くの異業種から飛び込んで、「高速道路のサービスエリア」という新たな販路を開拓し、奇跡のV字回復を成し遂げた。独自の技術を駆使して、サービスエリアや生協でヒット商品を生み出す原動力は、同社の創業者である加悦町(現:与謝野町)の元町長と交わした「3つの約束」である。現在は約束通り、70代・80代のスタッフが現役で最前線に立ち、いきいきと活躍する温かな組織へと成長を遂げた。菅野氏はいかにして同社を救ったのか。地域への深い愛情と、次なる大きな挑戦である「冷凍寿司」展開への熱き思いに迫った。
異業種から飛び込み債務超過の会社を立て直した再建劇
ーー社会人としてのキャリアはどのようにスタートされたのでしょうか。
菅野剛:
大学を卒業後、大手の洋菓子メーカーに入社し、東京での店舗開発や購買部長などを経験しました。その後、同社の子会社である冷凍ピラフの製造会社へ社長として出向したのが、現在の事業につながる大きな転機となっています。当初は業績不振の会社を清算する目的で赴任しました。しかし現場を見ると存続の道があると考えたのです。
そこで、さまざまな施策を実行し、大手飲料メーカーや乳業メーカーの冷凍ピラフ製造を請け負うまでに事業を成長させました。業績拡大に伴う新工場設立と並行し、さらなる成長を見据えて、特許を出願するほどの大型冷凍機の共同開発にも挑戦しました。しかし、実験段階では順調だったものの実用化の壁は厚く、惜しくも事業化を断念せざるを得ない結果となり、その責任をとって社長を辞任したのです。退職後、50代のタイミングで独立し、高速道路のサービスエリアなどでテイクアウト事業を立ち上げ、自ら経営を行っていました。
ーーそこから、貴社の経営に関わることになった経緯をお聞かせください。
菅野剛:
直接のきっかけは、懇意にしていた知人からの打診でした。もともとその知人が弊社の工場への就職を求められていたのですが、「代わりに行ってくれないか」と頼まれ、私が現場の管理を任されることになったのです。
実際に中へ入ってみると、会社は多額の債務超過で売り上げもほとんどない状態でした。しかし、従業員たちは必死に頑張っていましたし、何より創業者の加悦町(現・与謝野町)の元町長が、個人の資金を投じてまで会社を支えていたのです。町の会社でありながら、当時は資金の借り入れが難しい状況でした。それにもかかわらず、私財を投げ打ってでも存続させようとする姿勢に深く感銘を受けました。従業員とも話し合いを重ね、何が何でも会社を立て直そうと決意し、再建に向けて舵を切った次第です。
ーー厳しい経営状況から、どのようにして事業を立て直したのですか。
菅野剛:
数名の社員とともに、外部の寿司メーカーの製造受託から事業を再出発させました。そこで寿司をつくるノウハウを学び、自社商品として高速道路のサービスエリアを中心に営業をかけたのです。当初は疑問を持たれることもありましたが、地道に信頼を獲得していきました。
現在では、高速道路の売店が全売上高の約半分を占める主力チャネルに成長しています。また、生協でも弊社の「郷土料理 丹後のばらずし(冷凍)」が年間数十万食を売り上げる大ヒット商品となりました。
創業者から託された使命 田んぼと地域を守る「3つの約束」

ーー会社を立て直すにあたり、原動力となったものは何だったのでしょうか。
菅野剛:
根底にあったのは、創業者である元加悦町長から「何があってもこの会社を潰さず、継続してくれ」と強く託された思いです。そして、私がこの会社を引き受けるにあたって、元加悦町長から「3つの約束」を言い渡されました。
1つ目は「農家のために、お米を一粒でも、一円でも多く買ってあげること」。これは単にお米を消費するだけでなく、地域の田んぼを守っていくことに直結します。2つ目は「地域のお年寄りたちが、いきいきと働ける場所をつくること」。そして3つ目は「都会に出た若い世代が、Uターンしてご両親と生活しようとしたときに、しっかり働ける受け皿となる会社にすること」です。そのためには、彼らが安心して戻ってこられるような給与体系や組織の基盤を整えておく必要がありました。「なんとしても会社を存続させ、地域のための3つの約束を果たすんだ」という強い使命感こそが、苦しい時期を乗り越える一番の原動力でしたね。
ーー具体的にはどのような取り組みにつながっているのですか。
菅野剛:
地元農家などと年間契約を結び、約200トンの契約栽培米を使用しています。私たちは「今日の寿司は誰の米か」を100%追跡して、答えることができます。それが最大の強みといえるでしょう。普通に働くことこそが、町のお米の消費拡大や田んぼの維持、後継者育成に直結しているのです。
お酢の冷凍に挑む技術と新設した冷凍寿司事業部
ーー貴社で働く魅力についてお聞かせください。
菅野剛:
地域の「生涯報酬」を最大化しながら長く働ける環境と、確かな使命感を持って会社を動かす挑戦ができるところです。弊社では定年を65歳に引き上げており、その後も嘱託社員やパートとして長く働ける環境を整えています。実際の工場では80代のおじいちゃんも元気に活躍しているんですよ。健康なうちは全力で力を発揮してもらい、安心して長く働ける土壌が整っています。
一方で20代などの若い求職者にとっては、地域のために働きつつ、将来は幹部として自ら会社を動かしていくチャンスがあるのも大きな魅力だと感じています。待遇面で大規模な企業と比較されると厳しい面もあるものの、確かな使命感を持って働ける職場環境になっています。Uターンして地元で挑戦したい次の世代の方々に、ぜひ仲間になってもらえたら嬉しいですね。
ーー最後に、今後の目標や展望についてお聞かせください。
菅野剛:
一番の目標は、会社設立時から事業の目的として掲げてきた冷凍寿司事業を本格的に展開していくことです。現在、当社の商品は常温が9割を占めていますが、これを冷凍へとシフトさせるためには、工場設備から製造システム、販売ルートに至るまで、会社全体を大きく変革していく必要があります。
また、今後はシンガポールなどのアジア圏を中心とした海外展開も視野に入れています。ただし、お酢を使ったお寿司を長期間冷凍すると、ある日突然、物性が変化してしまうという技術的なハードルが存在しているのが現状です。そのため、専門的な知見も借りながら慎重に研究を進め、新たな市場を切り拓いていきたいと考えています。
編集後記
地域の田んぼと雇用を守る要へと企業を再建させた菅野氏。その根底には、創業者との「3つの約束」への揺るぎない覚悟があった。80代のスタッフが現役で働き、生産者の顔が100%見える透明性の高さは、同社の確かな実績を裏付けている。現在は難易度の高い「冷凍寿司」という新領域へ挑み、故郷を離れた人々に向けて郷土の味を全国に届け、ゆくゆくは海外への展開も見据えている。地域への深い愛情を原動力に、未来の田んぼと若者の雇用を守り抜く同社の挑戦はこれからも続く。

菅野剛/同志社大学卒業後、大手洋菓子メーカーにて、店舗開発部長・購買部長・子会社の社長等を歴任。50代で独立し、自らの会社(食品製造・販売業)を経営しながら、設立3年目の株式会社加悦ファーマーズライスの立て直しを委託され、独自の人脈と経験を活かして商品開発・販路拡大を積極的に行い、約20年かけて年商10億円を超える地元を代表する企業に成長させた。