
建機用ゴムクローラーの芯金などを製造する日本鍛造株式会社。他社の追随を許さない「5秒に1個」という圧倒的な生産スピードを強みに、高品質な製品を安定供給している。同社の三代目として組織を牽引する代表取締役社長の林寛氏は、美容師やアメ車のバイヤーを志して単身渡米した独自の経歴を持つ。帰国後に家業へ入社し、厳しい経営状況や古い現場体質に直面しながらも、自らの手による地道な検品作業の導入や大胆な社内ブランディングを次々と断行。未経験者を最前線で活躍する職人へと育て上げ、強い組織を築き上げた同氏に、これまでの軌跡と事業への並々ならぬ情熱を聞いた。
美容師を志したアメリカ留学と突然の家業入り
ーーまずは、これまでのご経歴についてお聞かせください。
林寛:
高校卒業後、美容師になるために美術的なセンスを磨こうと、アメリカ・ジョージア州の大学へ留学しました。現地では周囲の日本人の髪を切るうちに評判となり、寮のシャワールームで学生のカットやパーマもしていましたね。しかし、日本で美容師になるには国家資格が必要で、大学卒業後の年齢から専門学校に通うのは遅れを取ると感じたことや、アメリカの美容業界で働くのは難しいと判断したため、美容師への道は断念するに至りました。
そこで次の道として、車が好きだったこともあり、アメ車の買い付けを行う駐在バイヤーやディーラーの仕事に興味を持ち、求人を見つけた後に面接を受けるべく卒業後の23歳で帰国したのです。しかし、面接をする前に帰国の挨拶に立ち寄った際に、当時の日本鍛造の専務から「よそでサラリーマンとして働いても好きな車に乗れるわけではない。うちで働いたら社長になれるぞ」と誘いを受けました。私はその言葉にすっかり心を動かされ、結果的にディーラーへの就職は諦め、家業である弊社へ入ることを決めたのです。
ーー入社後はどのようなご経験をされましたか。
林寛:
当初は家業の経営状態を全く知りませんでした。しかし現場で働き始める中で、なぜ弊社に誘われたのかが徐々にわかっていきました。私は「銀行から融資を受け続けるための後継者づくり」、つまりは人質のようなものだったのです。突然厳しい財務状況と莫大な借金を突きつけられ、目の前が真っ暗になってしまいました。ただ救いだったのは、もともと機械に触れたり、ものをつくったりすることが好きだったことです。現場の仕事は肌に合うと感じ、辞めずに踏みとどまることができたのはそのおかげだと思っています。
反発を乗り越えた「検品」の導入と組織のブランド化

ーー現場で仕事をされる中で、会社にはどのような課題を感じていましたか。
林寛:
当時、私はお客様からのクレームを受ける窓口も担当していたのですが、現場との意識の差に非常に驚きました。良いものをつくらなければならない時代へと変化しつつあったにもかかわらず、父の代からの「とにかく数をつくればいい」という古い体質が残っていたのです。不良品があってもそのまま出荷しており、私が現場に注意しても「今までこれでやってきた」と反発されるばかりでした。このままではお客様の信頼を失ってしまうと、強い危機感を抱きました。
ーーその危機的な状況を変えるために、どのような行動を起こされたのですか。
林寛:
まずは自らの手で品質管理を徹底しようと考え、パートの従業員に協力してもらい、工場の外で検品作業を始めました。当時は検品という概念自体がなかったため、不良品を直接見せながら現場の説得を続けたのです。そうするうちに少しずつ職人たちの意識が変わり始めて「全品を検品してから出荷する」という体制をつくることができ、次第に品質が向上して、それが新たな営業の武器になっていきました。
ーー組織のブランド化にも取り組まれたとのことですが、その背景を教えてください。
林寛:
採用強化と社員のモチベーション向上が目的です。具体的には、青い作業着を黒とオレンジのスタイリッシュな制服に変え、ヘルメットも統一し、名刺やホームページも一新しました。「あそこで働きたい」「かっこいい」と思ってもらえるような見た目から入ることも、今の時代には必要だと考えたからです。また、社員自身が「自分はあそこで働いているんだ」と誇りを持てるような会社にしたかったという思いもあります。
未経験から育てる「製造スピード」という武器
ーー現在の事業内容と、他社に負けない強みは何でしょうか。
林寛:
主力製品は、小型のショベルカーやコンバイン(田植え機)などのゴムクローラーに使われるゴム内の鉄芯(芯金)などの鍛造品です。これを大手タイヤメーカー様を通じて建設・農業機械向けに納めています。最大の強みは、高い製造スピードです。他社が8〜10秒に1個つくるものを、うちは5〜6秒でつくることができます。この高いレベルの製造スピードによって大量生産が可能になり、他社よりも安く提供しながらしっかりと利益を出せる体制を築いています。
ーーその製造スピードを実現できる理由を教えてください。
林寛:
未経験者を一から育てて、弊社独自のスピードを基準として教えているからです。というのも、これまで他社で鍛造を経験した職人が入社しても、私たちのスピードについていけずに辞めてしまうことがありました。ですから、中途採用で未経験者を採用し、この速さが普通だという感覚のまま育てるようにしたのです。結果として全員が日本人スタッフの組織となり、他社には真似できない競争力になっています。
日本のモノづくりを世界へ 次世代へつなぐ使命

ーー今後の事業展開や次世代への継承についてどのようにお考えですか。
林寛:
国内市場に留まらず、海外市場や新たな業界への進出を視野に入れています。そこに次世代を担う息子の視点も交えながら、事業の幅を広げていきたいですね。日本の自動車生産台数などを考慮すると、今後はアジア圏をはじめとする海外へ目を向ける必要があると感じています。一方、国内での新たな展開として関心を寄せているのが鉄道業界です。線路などの部品は高い安全性が求められ参入障壁は非常に高いものの、一度信頼を得られれば安定した取引が見込めます。
さらに現場の課題として、現在は人手でカバーできている検査工程も、将来的には人の目からAIなどの技術に置き換えることを検討していかなければなりません。ありがたいことに、10代の息子が会社を継ぐ意思を固めてくれています。私が築いてきたベースに、若い世代ならではの新しい考え方をプラスして、より広い世界へと会社を導いていってほしいですね。
ーー最後に、これから製造業を目指す方へメッセージをお願いします。
林寛:
製造業は、自分の手でつくったものが実際に形となり、世の中で使われるのを体感できる非常に価値のある仕事です。一見地味に見えるかもしれませんが、私たちの生活やインフラを根底で支えている重要な役割を担っています。就職活動の際、名前を知っている有名企業ばかりに目を向けるのではなく、こういった業界での働きがいにもぜひ目を向けてもらいたいですね。
編集後記
美容師や車のバイヤー志望という全く異なる世界から、厳しい経営状況の家業へ飛び込んだ林社長。当時の逃げ出したくなるような現実にも真正面から向き合い、外での地道な検品作業から独自の強みを築き上げた手腕に感嘆する。最も印象に残ったのは、古い常識にとらわれない柔軟な発想と、過酷な環境でともに働く社員に対する深い感謝の念である。その温かくも力強い推進力が、日本鍛造株式会社をさらなる飛躍へと導いていくに違いない。

林寛/1969年、大阪府出身。1993年、アメリカ・ジョージア州・ラグランジカレッジ卒業後、同年、日本鍛造に入社。工場長、取締役副社長を経て、2019年4月、代表取締役社長に就任。