
創業100年を超える老舗鰹節メーカー、WADAKYU GROUP。伝統的な業界にありながら、他社に先駆けてヨーロッパでの現地生産を成功させ、今や欧州での売上高が日本国内を凌駕する勢いで成長を続けている。CEOの和田祐幸氏は、20代の頃にアメリカへ渡った際の苦い経験を糧に、若くして株式会社和田久の代表取締役社長に就任した。現在は自社の枠を超え、日本の食品メーカーを巻き込んだ壮大な「日本村(和食食材コンソーシアム)」構想を推し進めている。現状に甘んじることなく、常に自らの足で世界を切り拓いてきた和田氏に、これまでの軌跡と次世代に向けたビジョンを聞いた。
20代の苦難と覚悟が築いた経営者としての原点
ーーまずは、和田社長のビジネスにおけるキャリアの原点をお聞かせいただけますか。
和田祐幸:
20歳の頃、アメリカのESL(大学付属の語学学校)に通いながら個人事業を始めたことが原点です。当時から車が好きで、クラシックカーを買い付けて日本へ輸出する事業などを手がけていました。しかし、現地でトラブルに巻き込まれ、夜中や朝方にアルバイトをして必死に貯めた100万円近い自己資金をすべて失ってしまったのです。当時の20歳にとっての100万円は、現在の感覚で言えば1000万円にも相当する大金でした。
非常に苦しい思いをしましたが、この痛烈な失敗から海外では決して警戒を怠らず、細心の注意を払わなければならないと学びました。この時の経験が大きな教訓となり、現在の海外事業においても常に慎重な姿勢を保つことにつながっています。
ーーその後は、どのようなキャリアを歩まれましたか。
和田祐幸:
アメリカから帰国後も3年ほど個人事業を続けていた折、父親から「実家の工場を手伝ってほしい」と声がかかり、弊社に入りました。入社後は、まず現場を知るために東京から鹿児島の提携工場へ修業に出ました。しかし、実際に働き始めると父親との経営方針の違いに直面し、このまま一緒に働くのは難しいと痛感しました。そこで、すべてを自己責任で引き受ける覚悟を決め、鹿児島の地で自ら別会社を設立して独立する道を選んだのです。
立ち上げ当初は苦労も絶えず、利益が安定するまでの最初の5年間は自身の給料をゼロにして事業に注力していました。事業が軌道に乗り、利益が大きく出るまでは報酬を受け取らないスタンスは、後にヨーロッパで会社を設立した際にも貫くことになりました。
ーー独立を経て、再び貴社へ戻ることになった経緯は何だったのでしょうか。
和田祐幸:
独立からちょうど5年後のことです。鹿児島で実績を積み経営を安定させた後、再び父親から「東京へ戻ってきてほしい」と呼ばれて弊社に戻ることになりました。最初は営業部長として入社したものの、社内は年上のベテラン社員ばかりでした。彼らの信頼を得るためには、まず自分がトップセールスとなって圧倒的な結果で示すしかありません。懸命に売り上げを伸ばし、翌年には31歳で社長に就任しました。
トップに立ってからは、無駄な安売り合戦から距離を置く決断を下しています。老舗企業としての品質を保ち、その価値を理解してくださる既存のお客様を大切にする方向へ舵を切りました。国内事業はベテラン社員たちと協力して堅実に基盤を守りつつ、私自身は得意分野である海外事業の開拓を一人で推し進める体制を築き上げたのです。
ロンドンで目撃した惨状が火をつけた ヨーロッパ進出への挑戦

ーーヨーロッパ市場へ進出することになったきっかけはどのようなものでしたか。
和田祐幸:
ロンドンで賞味期限切れの鰹節が不当な価格で流通しているのを目の当たりにしたことが始まりです。20年ほど前、現地の問屋さんを訪れた際、賞味期限が1年以上切れた弊社の製品が、ブラックマーケットを通じて本来の4〜5倍の値段で売られている光景を目にしました。その現状を知った瞬間、誰も文句のつけようがない正しい本物を、自らの手で正規ルートに乗せて流通させなければならないと強く決意したのです。
ーー現地の厳格な輸入基準をクリアするためにどのような工夫をされましたか。
和田祐幸:
EUが定める厳格な食品衛生基準および特定有害物質の規制に合わせて製造方法を変え、スモークサーモン工場などの技術を応用しました。最初はベトナムの工場で外側を削ったりして試行錯誤しましたが、最終的にはスペインに工場を構え、現地の法律に適合するアプローチを取りました。こうしたゼロからの工夫を最後までやり遂げられた背景には、弊社の強みである「徹底したリスク管理能力」と「堅実な基盤」があります。そしてその要因となっているのは、私がこれまで国内外で培ってきた経験です。
海外事業においては、先ほども話した20代の頃のアメリカでの痛烈な失敗が教訓となり、「決して警戒を怠らず、細心の注意を払う」という徹底したリスク管理能力が強みとして身につきました。だからこそ、EUの厳しい法規制にも真正面から向き合い、適合するまで慎重かつ粘り強く取り組めたのだと思います。
一方で国内事業においては、鹿児島で無報酬のまま事業を軌道に乗せた経験や、東京のベテラン社員の中で自らトップセールスとして結果を出した経験から、「安売り競争に逃げず、本物の品質と既存のお客様を守り抜く」という堅実な基盤構築が私の強みとなりました。
この国内外で培った「泥臭く結果を出す行動力」と「品質への妥協のなさ」があったからこそ、機械メーカーなどにも協力してもらい、独自の技術を確立できたのです。ちなみに、そこで生み出した技術で特許を取って独占しようとは考えず、とにかく正規品を正しく売りたいという一心でしたね。
欧州での圧倒的な実績と次なる壮大な「日本村」構想
ーー今後の事業展開について、どのように描いていますか。
和田祐幸:
ヨーロッパの規制強化を見越して現地生産を続けてきた結果、日本への逆輸入も増えるなど注文が殺到しており、現在は生産工場をさらに倍増させる計画を進めています。ヨーロッパでは動物性の混入に対する輸入規制が以前の50%から0.1%へと厳格化し、日本からの輸出が非常に厳しくなりました。欧州域内での和食ブームと日本向け輸出のためスペイン工場への需要が高まり続け、直近の今月にも工場を購入して増築する予定です。さらに大増産体制が整えば、ペットフード市場への参入も視野に入れています。
ーー「日本村」構想が目指す具体的なビジョンと支援体制についてお聞かせください。
和田祐幸:
私たちが培ったEU基準をクリアした製造許可番号や、排水処理などの膨大なコストがかかる設備、そしてヨーロッパ中の圧倒的な問屋ネットワークを共有し、日系食品メーカーの現地生産と流通をサポートします。日本の優れた商材を商社経由で輸出すると、価格競争でアジアの競合に負けてしまいます。だからこそ、醤油や味噌などのメーカーとともにスペインの工場を中心とした「日本村」をつくり、現地消費型の産業として根付かせたいのです。単独ではなく「チーム日本」として、スペイン政府も巻き込みながら勝利を分かち合う計画です。
自分が稼ぐ実感を楽しめる新たな共感者たちへ
ーー今後の挑戦に向けて、どのような人物と一緒に働きたいとお考えですか。
和田祐幸:
エネルギッシュで、「自分がしっかりとお金を稼いでいる」という実感を楽しめる方に来ていただきたいですね。私自身、ゼロから事業を立ち上げてすべてを自分で行うことに大きな喜びを感じてきました。そうした主体性を持ってビジネスを動かし、社内に新しい風を吹かせながら、私の尻を叩いてくれるような人材が理想です。私たちが推進する新しい挑戦に共感し、ともにワクワクしながら成長を目指せる方をお待ちしています。
編集後記
取材を通して最も印象的だったのは、和田氏自身がビジネスの最前線に立ち、「自らの手で事業を動かす手触り感」を心から楽しんでいる姿だ。伝統的な老舗企業のトップでありながら、その歩みは常にアグレッシブで、既存の枠や常識に全くとらわれない。特許の独占にこだわらず「ただ正しい本物を届けたい」と語る実直な姿勢には、日本の食文化への深い愛情を感じた。自らビジネスを推し進める喜びに共感し、社長の「尻を叩く」ほどのエネルギーを持つ人材が加われば、同社の挑戦はさらに加速していくに違いない。

和田祐幸/東京生まれ、中央大学卒業。大学在籍中に個人で対米輸入業を開始。卒業後も3年ほど継続した後、株式会社和田久へ入社。入社3ヶ月後、鹿児島研修中に有限会社鰹久工房を設立し、代表取締役に就任。新工場を建設し、5年ほど鹿児島枕崎で活動。鰹久工房の経営安定後、30歳で株式会社和田久営業部長、翌年代表取締役に就任。2009年から欧州での鰹節市場を開拓するべくイギリスで工場設立。欧州基準の鰹節製造法を確立し、2015年に全ての設備を集約した和田久ヨーロッパ(スペイン)を設立。