※本ページ内の情報は2026年9月時点のものです。

ジャンルを問わず多彩なアーティストを輩出し続ける株式会社レインボーエンタテインメント。代表取締役社長の栗田秀一氏は、10代で抱いた音楽への憧れを原点に、数々の挑戦を続けてきた。目覚ましい成長を遂げた同社が掲げるのは「クリエイティブファースト」の精神だ。なぜ彼は「人」にこだわり、アジアの音楽市場を繋ごうとしているのか。スタッフが夢を描ける独自の組織論とともに、同氏が考える経営の在り方に迫る。

憧れから裏方へ 国境を越えた音楽ビジネスの原点

ーーまずは、音楽業界に入った経緯を教えていただけますか。

栗田秀一:
10代の頃に抱いた海外音楽への憧れが原点です。当時、海外の著名なアーティストの音楽にリアルタイムで触れ、魅了されていました。それがきっかけで楽器を手にして、バンドを組んでコンテストにも出ましたが、結果は惨憺たるものでした。そこで10代後半の頃には「裏方のほうがいいな」と見切りをつけ、音楽制作を支える道を選んだのです。

ーーその後はどのような経験を積んだのですか。

栗田秀一:
24歳から32歳までは、ダウン・タウン・ブギウギ・バンドの宇崎竜童氏のもとでマネジメントや現場の制作に携わりました。宇崎氏はバンド活動だけでなく、CMや映画音楽など幅広い作品を提供されていたため、非常に多岐にわたる音楽制作を経験することができました。

その後、独立して複数の会社を立ち上げる中で、2001年に韓国のSMエンタテインメントジャパンの設立に携わり、代表に就任しました。そこで特に力を注いだのが、当時まだ13歳だったBoAの日本デビューです。彼女は言葉の壁を越えて必死にレッスンに励んでいました。私も各レコード会社に足を運んで熱心にプレゼンを重ね、最終的にエイベックスからのデビューを勝ち取りました。異国の地で成功を夢見る才能と苦楽を共にし、ゼロから道を切り拓いた経験は、私の大きな財産です。

また、過去の経験で言えば、宇崎竜童氏が率いるバンド「竜童組」の中国公演を実現させたことも強く印象に残っています。当時はまだ日本人が誰も開催したことがなく、どこを訪ねていいかもわからない状態でした。それでも日中友好協会など各所へ足を運び、熱意を伝えてなんとか形にすることができました。BoAのプロデュースや、誰も踏み入れたことのない市場での開拓など、このときの「やってみよう」という挑戦の姿勢が、今の海外市場を見据える取り組みにも繋がっています。

「人間力」を見極める ジャンルに囚われないアーティスト育成

ーー貴社の強みや、他の音楽事務所との違いはどこにあるとお考えですか。

栗田秀一:
私たちの強みは、ジャンルに囚われないことです。一般的に音楽業界では、あるジャンルで成功すると、次も同じジャンルを手がける傾向があります。宣伝の手法や人脈を活用しやすいからです。しかし、私はただ「人」とその人が生み出すものを見て、心底「いいな」と思ったらともに作品をつくりたくなってしまうのです。

ーーつまり、ジャンル以上にクリエイティブそのものを重視されているということですか。

栗田秀一:
弊社のテーマは常に「クリエイティブファースト」です。今はSNSを通して音楽が広がる時代ですが、それはあくまで手段にすぎません。一番大事なのは大元となる楽曲であり、アーティストです。人の持つ感性はそれぞれ異なりますが、タイミングさえ合えば、その感性が爆発して素晴らしい作品が生まれます。だからこそ、表面的なジャンルではなく、アーティスト自身の「人間力」を見極めることが最も重要だと考えています。

厳しい世界で「夢を描けるか」 スタッフを輝かせる場づくり

ーーアーティストを支えるスタッフの方々には、どのような姿勢を求めていますか。

栗田秀一:
スタッフに求めるのは、自ら夢を描けるかどうかという姿勢です。アーティストは1日中、常に自分の音楽のことを考えています。それに対して、マネージャーが時間的な区切りだけで割り切ってしまうような姿勢では、深い信頼関係は築けません。実際に長時間働き続けるという意味ではなく、厳しい仕事だからこそ、アーティストと同じくらい考えるというスタンスで、同じ熱量で伴走できる人でなければ務まらないのです。

ーーその熱量を維持するために、会社としてどのような仕組みを整えているのでしょうか。

栗田秀一:
スタッフが夢を追えるように、成果に応じた明確な報酬制度を設けています。たとえば、担当アーティストが利益を出した場合、ある基準を超えた分について明確なルールのもとで還元しています。頑張って結果を出せば、それだけ大きなリターンとして報われる仕組みです。立派なオフィスなど、会社の見栄えをよくする固定費にお金をかけるより、現場で汗を流すスタッフにしっかり還元したいと考えています。

ーー社長ご自身は、会社づくりに対してどのような思いをお持ちですか。

栗田秀一:
私は今、会社としての「場づくり」に専念しています。若い頃は直接制作に携わっていましたが、現在は経営者として一歩引いた立場にいます。土や水を用意するように、アーティストやスタッフが最大限の力を発揮できる環境を整えることが私の役割です。そこでみんなが成功し、結果が出ることに喜びを感じています。結局のところ、私は「人が喜んでくれること」をやるのが純粋に楽しいのです。

音楽でアジアを繋ぐ 「新しい歴史」をともにつくる仲間へ

ーー今後、業界全体や貴社をどのような方向へ導いていきたいとお考えですか。

栗田秀一:
日本の音楽業界は、少子高齢化によって国内市場が縮小していく中、海外に目を向ける必要があります。私は日本の音楽業界が一つになり、アジア圏という、より大きな市場とつながっていくことを目指しています。現在、日本のコンテンツを海外に送り出す役割を担う新しい音楽の表彰制度「Music Award Japan」の立ち上げに関わっており、中国、韓国、インドネシア、フィリピン、タイ、ベトナムなどアジア各国の音楽アワードと連携を進めています。アジア、特にASEAN地域は若い世代が多く経済発展も著しい地域です。

そしてアジアの音楽には、それぞれ豊かな多様性があります。優劣を競うのではなく、国同士がフレンドシップを築き、お互いの良さを出し合って素晴らしいものをつくり上げる。そうして市場が混ざり合い、日本の音楽が広がるだけでなく、海外の音楽が日本で流行るような双方向のうねりを生み出し、アジア全体で一つの大きな市場をつくることが私の夢です。

ーー最後に、貴社が目指す姿と、読者へのメッセージをお願いします。

栗田秀一:
業界の中で「レインボーエンタテインメントのクリエイティブはいいね」と評価され続ける会社でありたいですね。現在、世代交代を見据えて新しい仲間を求めています。音楽が好きで、自ら夢を描き仕事に取り組める方をお待ちしています。私たちが用意する最高の「場」で、アーティストとともに新しい歴史を築きたい。そんな熱い思いを持った方に、ぜひ来ていただきたいですね。

編集後記

「人が喜んでくれることが嬉しい」。そのシンプルな思いが、栗田氏のすべての原動力となっているように感じる。過去の経験を隠さず語る実直さと、成果を出したスタッフへ1億円の報酬を支払う経営手腕。そして、日本の音楽をアジアへ、世界へと広げようとする視野の広さがある。徹底した「クリエイティブファースト」と「人間力」への信頼があるからこそ、同社からはジャンルに囚われないアーティストが次々と生まれるのだろう。音楽業界の未来を切り拓く同社の飽くなき挑戦はこれからも続く。

栗田秀一/1954年生まれ。ダウンタウンブギウギバンド、宇崎竜童氏のマネージャーを経て1987年に株式会社パワーボックスを設立し代表取締役に就任。2001年、株式会社SMエンタテインメントジャパン、2003年株式会社レインボーエンタテインメントまで7社を起業。団体活動は一般社団法人日本音楽制作者連盟・副理事長、一般社団法人日本音楽出版社協会・副会長を務め、現在は一般社団法人カルチャーアンドエンタテイメント産業振興会・専務理事を務めている。