※本ページ内の情報は2026年9月時点のものです。

1911年創業の株式会社中島田鉄工所。金属を熱さずに常温のまま叩いて形づくる「冷間圧造(れいかんあつぞう)機械」である「圧造機(ヘッダー)の専門メーカーとして、小型・中型の高精度な機械装置で世界的なニッチ市場を牽引している。主な用途は、スマートフォンや自動車などの超精密部品だ。かつては自己資本比率5%・負債総額27億円という窮地や、総代理店への依存による利益率の低迷に直面していたが、直販体制への移行と新たな市場開拓で経営基盤を強固なものへと変革させてきた。コロナショックの試練を乗り越えて進む自発的な組織改革と、技術の真髄を支える「人」への投資の真意について、同社の代表取締役社長、中島田正宏氏に話を聞いた。

負債27億円からのスタート 総代理店依存からの脱却

ーーまずは、貴社に入社した経緯からお聞かせください。

中島田正宏:
中島田鉄工所は家業でもありましたが、当時の社長は私の叔父であり、その弟で次男であった私の父は副社長という立場でした。また私は私で自分の道を追っていました。しかし、バブル崩壊後の混乱の中で会社が多額の負債を抱え、急遽父が社長に就任することになったのです。すでに自動車の開発という仕事に従事しておりましたが、会社を存続させるための後継者として私に話が舞い込み、家業を継ぐことになりました。入社当時の弊社は、自己資本比率5%、負債総額27億円という非常に厳しい経営状況で愕然としましたが、「自己資本比率70%を目指す」と腹をくくり、再建へ向けた取り組みを開始したのです。

ーー自己資本比率の改善に向けて、どのような改革に着手されたのですか。

中島田正宏:
まずは営業体制の刷新です。具体的には、30年近く続いていた総代理店との契約を解除し、自社での直販営業を構築しました。それまでは代理店に営業を任せ、私たちは機械をつくるだけという構造だったため、十分な利益が残らなかったのです。私自身に営業や機械の知識はありませんでしたが、海外においては学生時代の経験で培った英語力を活かし、現地の代理店と直接契約を結んでいきました。

同時に、市場の開拓も推進しました。当時も今も最大の市場は自動車産業ですが、弊社の強みを活かし、従来の携帯電話、それに続くスマートフォンなど電子製品向けの小型機械の需要を取り込みました。また、高精度技術が活きる航空機業界へ参入するなど、これまでにない新たな販路を形成していったのです。売上高の規模自体に大きな変化はありませんでしたが、直販化と利益率の高い市場への参入により、大幅に利益を上げられる体質へと生まれ変わりました。

コロナショックの危機を越えて芽生えた現場主導の風土

ーー2011年の社長就任以降、組織にはどのような変化がありましたか。

中島田正宏:
2011年に創業100周年の節目で社長に就任した後は、現場からの提案が活発化する組織変革が進んでいきました。しかし、コロナ禍は大きな試練でした。受注の落ち込みもさることながら、生産にも大きく影響しました。「働き方改革」が重なったこともあり、一時的とはいえ多くの社員に対する待遇は悪化してしまいました。会社全体のモチベーションが下がったことで、一時期は退職者が多数出るなど厳しい状況に直面しました。

しかし、その苦しい時期を乗り越える中で、社員同士の一体感が醸成されていったように思います。品質向上を目指して現場の環境改善に投資し、評価の仕組みを刷新した結果、現在では中途採用のメンバーも伸び伸びと活躍し、ボトムアップで自発的な提案が生まれる組織に生まれ変わりつつあると感じています。

「部品内製」と「現場の視点」が生み出す唯一無二の強み

ーー貴社の技術的な強みや特徴についてお聞かせください。

中島田正宏:
小型・中型機における精度の高さと、独自の「2ダイ3ブロー(※)」機構、そして高い部品の内製率です。社員約140名のうち半数が自社での部品加工に携わっており、全体の65%ほどの部品を内製しています。1号機からの図面データもすべて保管しているため、何十年も前に出荷した機械であっても自社でパーツを新規製作できる強みがあります。ご要望があれば、どんなに古い機械でも完全なオーバーホール(全面的な解体・修理)に対応することも可能です。

(※)2ダイ3ブロー:搬送プレスの搬送にフィンガーを使わず、極小部品を高精度で製造できる独自の技術。

ーー高い技術力を持つ社員の方々は、どのように育成されているのでしょうか。

中島田正宏:
ここ数年は、技術部や機械加工など、あまり社外に出たことがなかったメンバーを意図的に出張させ、営業やサービスに同行してお客様の現場を回ってもらっています。これまで社内で機械加工一筋だった社員は、自分たちがつくった機械がどのようにお客様に使われているのかを直接見る機会がありませんでした。現場に足を運び、お客様のリアルな使い方や要望を肌で感じることは、新たな発見やモチベーションの向上をもたらすはずです。興味を持って残ってくれた社員にいかに生きた経験を積ませ、夢や希望を持たせるかが、経営において非常に大切だと考えています。これは今後ももっと積極的に継続したいと思っています。

人間の経験と知識への投資がグローバルニッチを強固にする

ーー既存事業をさらに強化していくため、どのような構想をお持ちですか。

中島田正宏:
現在展開している約70機種の機械について、今後5年ほどかけて設計の統一と部品の共通化を進めていく計画です。これが実現すれば、部品供給やアフターサポートのスピードが大きく向上します。さらに、AIを活用した段取りの自動化やトラブルシューティングといった機能の搭載にも取り組みたいと考えています。ニッチな市場だからこそ、我々の商品の良さをどこまで高められるか、既存事業の熟成を徹底的に追求していく方針です。

ーー今後5年、10年先に向けてどのような展開を目指していますか。

中島田正宏:
一つは、十数年前から取り組んでいる宇宙のデブリ(宇宙ゴミ)化を防ぐための人工衛星用ユニットの開発強化です。また、今後、圧造業界全体で人材不足が懸念されている金型の仕上げ工程など、手仕事の熟練技が求められる分野の強化も視野に入れています。AIや自動化が進む時代だからこそ、そのインプットとなる人間の経験や知識、職人技が欠かせません。グローバル展開を加速させるためにも人への投資を一層惜しまず、現場の社員が生き甲斐を持って挑戦できる環境を整えていきます。

編集後記

自己資本比率5%、負債総額27億円という壮絶な原点からスタートし、自らの手で直販ルートと新市場を切り拓いてきた中島田社長。印象的だったのは「職人の技と経験こそがAIの世界に通用する最高の武器になる」という力強い言葉だった。自動化や効率化が加速する現代において、あえて「人」と「現場の情熱」に投資し続ける経営姿勢には、100年企業を次の未来へと引き継ぐ責任感と、誇り高き職人たちへの温かい敬意が溢れている。現場から芽生えた自律的な熱量が、同社をどのような高みへ連れていくのか期待も高まる。

中島田正宏/1968年11月、福岡県生まれ。1992年5月、イリノイ大学シカゴ校工業デザイン科を卒業。1992年9月、日産自動車の系列会社であり開発を手掛けていた株式会社イードに入社。1996年9月、家業である株式会社中島田鉄工所に入社。自動車デザイナーを志していたものの、一転して家業を継ぐことを決意。2011年1月、同社の代表取締役社長に就任し、苦境を経験したからこその次世代育成に注力している。