
オフィス機器販売を手がける大塚商会での営業経験を経て、インターネット事業を展開するサイバーエージェントへ入社した穴原誠一郎氏。当時の同社は業績こそ赤字だったものの、社員たちが熱狂的に仕事へ打ち込む熱気に満ちており、同氏はこの環境で圧倒的な営業力とビジネスの「仕組み化」を学んだ。その後、国産初のDSP(広告主向けの広告配信プラットフォーム)立ち上げを牽引したのちに株式会社MADSを設立し、デジタル屋外広告(DOOH = Digital Out Of Home)のネットワーク化を軌道に乗せた。当初は「絶対に無理」と全否定された事業を成長させ、2024年にはスピンアウト(独立)を果たして第二創業期を迎えている。同社が目指す「街の情報インフラ」としての未来と、次代を担う人材に求める開拓心について話をうかがった。
圧倒的な営業力と「仕組み化」への目覚め
ーー社会人としてのキャリアはどのようにスタートされたのでしょうか。
穴原誠一郎:
キャリアの始まりは2000年に新卒入社した大塚商会からでした。当時は極寒の就職氷河期で大塚商会も未上場。そんな時代背景からか、営業現場はかなり過酷でしたが、振り返れば、あの成果主義を前提とした自由度の高い営業活動の日常だったからこそ、ビジネスパーソンとしての主体性や能動性、自律性を養えたように思います。しかし3年半が経って仕事に慣れてきた頃、ふと「今の環境では自分が仕組みをつくる側に回るには時間がかかりすぎる」と気づいたのです。仕事やキャリアに対する欲が大きくなるほど、自分の中で「仕組み化」と「時間」に対する重要性が重みを増し、次のステップを考えるようになりました。
ーーキャリアにおける最大の転換期はいつでしたか。
穴原誠一郎:
間違いなく、サイバーエージェントへ入社したことです。最も早く仕組みをつくる側に回ることができる環境を探した結果、同社に行き着きました。わたしが入社した2004年はまだ300人程度(単体)で、その年度に初めて通期黒字になったくらいの頃。社内は活気に溢れ、誰もが仕事に全力でのめり込む熱狂的な状態でした。当時は3ヶ月ほどで一人前になることが求められるような時代でしたが、入社して1ヶ月ほど経った頃、直属の上司の急な異動によって、担当業務の全てをいきなり一人で任されることになりました。
このように毎日が変化と激動の嵐、それに加えて当時は常に新規事業アイデアを募集しているような環境でしたから、それはもう仕事に没頭せざるを得ませんでした。大塚商会で培った主体性と能動性の土台に、ビジネスモデルを構築する力が積み上がっていくような感覚で、学びの密度も、変化のスピードも桁違いだった、非常に面白い時代でした。
チャンスを掴み全否定された事業を立ち上げる

ーーその後のキャリアの歩みについて教えてください。
穴原誠一郎:
サイバーエージェントから株式会社マイクロアドが分社化する際、自ら手を挙げて移籍しました。事業モデルへの関心もさることながら、ここでなら大きな権限を持って挑戦できると考えたためです。移籍後は収益部門の責任者として、国産初となるDSP事業の立ち上げを牽引し、事業自体も順調に成長していました。しかし、次第に当時手掛けていた領域の限界を感じるようになったのです。
当時のネット広告サービスは市場成長と共に競合も増えており、シェアを拡大しようとするとマーケティングファネル(購入と消費行動の過程を示したフレームワーク)の下層に向かいがちでした。しかし、下層に行けば行くほどそこには巨大なグローバル企業が存在するため、日本企業が勝ち抜くのは困難です。それならば、まだ手薄な上層の領域、すなわちデジタル屋外広告(DOOH)で勝負すべきではないかと社内に提案し、新規事業として立ち上げたのが株式会社MADSでした。
ーーDOOHという新たな領域での立ち上げは、スムーズに進んだのでしょうか。
穴原誠一郎:
いえ、まったく(苦笑)。取引先など外部の方々へ事業の説明をして回ったところ、軒並みネガティブな反応で、「絶対に無理」と全否定されてしまうこともありました。しかし、誰もが賛同する事業はすぐに模倣されますが、全否定されるくらい難易度が高い事業領域は競合が少ない証左でもあるので、大化けする可能性も十分あると考えていました。それに、まだ何も始まってない段階での否定は、ある意味とても貴重な意見であり、解決すべき課題のヒントでもあります。
当然、自分たちなりに市場調査やシステムの実現性を検証した上での決断でしたから、これはまだ誰も挑戦していないだけで、むしろ大きく賭ける価値のあるチャンスかもしれないと感じました。何より、事業や経営において何かを成し遂げられるのは、決して諦めない人間だけだという信念がありました。
自らの足で歩む独立への決断と第二創業期の幕開け
ーー貴社の事業の優位性についてお聞かせください。
穴原誠一郎:
弊社で手掛けているDOOHは、ビルの屋上にあるような大型ビジョンだけではなく、もっと身近で小さなサイズのディスプレイを数多くネットワーク化している点が特徴です。これまでにドラッグストアやスーパーなどの小売店舗、タクシーやバスといった公共交通機関の車内、ビルのエレベーターや美容サロンの店内など、個人所有ではない生活動線上にあるリアルなデジタルディスプレイやタブレットなどの情報表示デバイスを、オンラインでネットワーク化した広告媒体として、商品設計から販売までを手掛けています。
強みとしては、コアとなる配信システムを自社で開発しているため、配信に至るまでの仕組みを包括的に提供できる点です。広告媒体を運営される企業にとっては、システムの提供はもちろん、デバイスの設置からコンテンツを配信できる環境の構築、そして最も肝心な広告メニューの作成や実際の広告販売に至るまで、全ての工程を一貫して提供することができます。特に広告販売に関しては、弊社のネットワークとして販売する形式であれば、ゼロから新規営業を行う必要はなく、スムーズに市場へ展開することができます。
一方、広告主や広告代理店にとっては、全国に増加し続ける多種多様なDOOH媒体の情報収集からプランニング、発注までを弊社サービスで集約し、業務を効率化することができます。さらに、弊社システムでネットワークされている媒体は、天気や気温といった環境変数など特定のデータを元に、「いつ」「どこに」「どのくらい」「配信する/しない」を自動化し運用するといった柔軟な広告配信設定を行うことも可能です。媒体運営側、広告主側いずれにとっても、通常であれば複数の企業に依頼しなければならない工程や領域を、弊社が全て担えることが大きな強みだと考えています。
ーー事業を展開する中で、最も大きな転機は何でしたか。
穴原誠一郎:
2024年にスピンアウト(独立)を決断したことです。理由は、企業としての体制を整え、迅速な経営判断と能動的かつ機動的な投資を行えるようにするためでした。DOOH市場はここ数年で新規参入企業が一気に増え、拡大のスピードそのものが加速しています。とはいえ、まだまだ発展途上であることには変わりなく、大きなチャンスが眠っており、そこで勝ち残るにはリスクテイカーでなければなりません。だからこそ、上場企業のグループ内で利益重視の効率化を図るのではなく、売上高や事業規模、市場シェアを大きく伸ばすことを最優先とすべく、独立して自らの足で歩むことこそが、双方にとって最善の選択だという結論に至りました。現在の組織は、まさに「第二創業期」のベストタイミングを迎えています。
権限委譲で進める組織強化と未来を創る仲間への期待
ーー第二創業期を迎えた現在、マネジメントで最も重視していることは何ですか。
穴原誠一郎:
一言でいえば「権限委譲」ですね。明確な線引きと権限の設定を行い、役職と役割に応じて判断と決断を任せる範囲を広げるようにしています。トップが安易に口を出すと方針が変わってしまうため、まずはそれをしないことが重要だと考えています。
また、リーダーや管理職といった肩書や序列も見直しました。任せるべきポストを明示し、そこにしっかりと手を挙げて挑戦してくれる環境を整えています。ボトムアップで発信される新規事業も積極的にトライしており、一定のラインを超えれば事業化していく体制で、今年度末からも3つほどプロジェクトが始動する予定です。
ーー今後のビジョンについて教えてください。
穴原誠一郎:
まずは3~5年後に向けて、国内最大のDOOHプラットフォームを構築する目標を掲げています。流通量と取引量で圧倒的なシェアを獲得し、日本全国にあるDOOH在庫の大多数にアクセスできる仕組みをつくっていく方針です。さらに10年後には、Web広告のエコシステムへと近づけ、地方自治体や飲食店といった個店のように、予算や商圏が小さいところでも手軽に広告として情報発信できる「街の情報インフラ」へと進化させていく考えです。訪れた先で触れた広告が、その時その場にいるその人にとって価値ある偶然の出会いとなること、すなわち「セレンディピティ」を創出することが、私たちの目指す社会的な意義だと捉えています。
ーー最後に、これから迎える仲間に求める人物像や、貴社で働く魅力を教えてください。
穴原誠一郎:
求める人物像としては、変化と挑戦を歓迎できる方ですね。発展途上の市場で活動するベンチャー企業ですので、必要に応じて組織改変や役割の変更はフレキシブルに行なっています。その中で活躍しているメンバーに共通するのは、主体性に加えて「開拓心」や「レジリエンス(逆境を乗り越える力)」です。挑戦すれば失敗もあります。しかし挑戦しなければそもそも成功はありません。途中で困難に遭遇し転んだとしても、再び立ち上がるかどうかは結局のところ自分次第。挫折を経験し、そこから這い上がってきたような「粘り強さ」を持った方が、私たちの社風には合っていると思います。
また、弊社で働く魅力を挙げるなら、挑戦を前提とした自由度の高いベンチャー企業でありながら、社内の制度や管理体制は比較的充実している点です。これはかつて上場企業グループとして構築した制度や管理体制をベースに活かしているためです。現在は権限委譲を推し進めていることも伴って、幹部ポストなどの重要な役割が空いており、自ら手を挙げれば大きな裁量を持って挑戦できるチャンスが豊富にあります。社内には、1カ月間で最も常軌を逸するほどの挑戦をしたメンバーを全員の投票で称える「MAD of MADS」という独自の表彰制度なども根付いています。自らの手で事業を前進させたいという、熱意ある方をお待ちしています。
編集後記
「人から否定される事業ほど勝ち筋がある」。幾多の逆境を乗り越えてきた穴原社長の言葉には、確かな熱量と説得力が宿っていた。未知の領域に踏み込み、社会に「価値ある偶然の出合い(セレンディピティ)」をもたらす街の情報インフラを創り出そうとする株式会社MADS。同社には、失敗を恐れず狂気にも似た挑戦を讃えるベンチャーの熱気と、堅実な基盤の上で裁量を持って挑める稀有な環境がある。新たな開拓者たちとともに築く未来の景色が、今から楽しみでならない。

穴原誠一郎/1977年生まれ。大学卒業後、株式会社大塚商会を経て、2004年、株式会社サイバーエージェントに入社。メディア部門マネージャーを経て、2007年、社内ベンチャーである株式会社マイクロアドの分社化に伴い、収益管掌執行役員に就任。DSPの立ち上げおよび事業責任者として従事した後、2014年に子会社として株式会社MADSを設立。数々のDOOHネットワークを立ち上げ、2024年にマイクロアドからスピンアウトした。現在もDOOH市場の発展に尽力している。