※本ページ内の情報は2026年10月時点のものです。

今、世界中で日本文化への関心が高まる中、京都発のブランド「SOU・SOU(そう・そう)」が躍進を続けている。「新しい日本文化の創造」をコンセプトに、日本の四季や風情をポップに表現したテキスタイルは、国境や年齢を超えて多くの支持を集めてきた。同社は、足袋や和装を現代的にリデザインする中で、老舗菓子店から日用品メーカーまで、あらゆる企業とコラボレーションし、「可愛さ」という付加価値で商品のポテンシャルを引き出している。今回は、伝統的な技法と現代のライフスタイルを融合させ、目覚ましい発展を続ける代表取締役の若林剛之氏に、創業の経緯から独自のビジネスモデル、そして次世代へのメッセージをうかがった。

東京に憧れたファッション大好き少年に起こった数々の奇跡

ーー学生時代のお話と、ブランド設立までの経緯をお聞かせください。

若林剛之:
ファッションが好きでアパレル業界で働きたかった私は、どうしても東京の専門学校に行きたいと思っていました。実家が裕福ではなかったので、雑誌で見つけた新宿にある寮付きの地味な専門学校への入学を決めました。そこは当時、日本で唯一オーダーメイド紳士服製作の技術を教える学校(現在は廃校)であり、偶然の選択ではありましたが、図らずも素晴らしい技術を学ぶことになったのです。

卒業後、念願叶って原宿の大手アパレルメーカーに就職しましたが、しばらくして何か「本物ではない」と感じるようになりました。そして憧れだったニューヨークに行き、現地のファッションを目の当たりにして「これが本物だ!」と衝撃を受けました。その後すぐに会社を辞め、自身で買い付けするインポートショップを京都でオープンします。お店は早い段階で軌道に乗りましたが、今度は海外の流行を追いかけて買い付けしてるだけの自分がだんだん嫌になり、「日本人として日本らしいクリエイティブな仕事がしたい」と強く思うようになり「SOU・SOU」をスタートさせました。23年前のことです。

「自分を信じること」の大切さ

ーーその後は順調でしたか?

若林剛之:
最初は風呂敷や扇子、お干菓子や着物用の座敷足袋などをつくったのですがさっぱり売れず、「このままだと倒産するな」と思っていたときに、偶然目についた地下足袋を見て「これだ!」と思いました。周りの人に話したときの反応はイマイチでしたが、私は「絶対イケる!」という確信がありました。そして地下足袋の工場を必死に探し、職人さんと何度もやりとりをしてポップでカラフルな地下足袋をつくることができました。これが大ヒットしたことにより会社は倒産せずにすみました。

余談ですが、その地下足袋が京都の高級老舗旅館「俵屋」の社長の目に留まり、取り扱っていただけることになりました。すると納品当日、たまたま泊まりに来ていた映画監督のスティーブン・スピルバーグ氏が3足も購入してくださるという奇跡も起きました。

「図案」×「衣類」で描く新しいビジネスモデル

ーー改めて、貴社の事業内容について教えていただけますか。

若林剛之:
一言で言えば、アパレル会社なのですが、もう少し正確に言うと、テキスタイルデザインをつくっている「図案会社」と「アパレル会社」が合わさったような会社です。コンセプトは「図案、カタチ、ともに新しい和装のジャンルを創りたい」という思いで事業を行っています。

また、図案のセクションがさまざまなコラボレーションを生んでいます。自社商品だけでなく、他社の商品に私たちの図案を提供し、デザインの力で新しい価値を吹き込む。これが私たちのビジネスの大きな柱の一つです。

具体的な事例としては、初期の頃に和菓子屋や扇子屋、風呂敷屋とコラボを行いました。長久堂との取り組みでは、和三盆を数字の形にデザインしました。数字の形をしたお茶菓子は世界中どこにもありませんし、それがお客さんの目に留まり「面白いねー」と喜んでいただけて、和菓子や茶道に興味を持つ人も出てくるだろうと思いました。また、結婚式などさまざまな場面でのギフトや「お返し」としても使えますよね。そうやって、日本の伝統的な和菓子の文化に私たちのデザインで「楽しさ」をプラスできるのであれば、私たちは喜んで取り組みたいです。

ーーコラボレーションの基準はどのように決めているのですか。

若林剛之:
実は、弊社には営業担当がいません。なので、コラボ案件はすべて先方からのお声がけで始まります。銀行の会合やパーティーなどで隣り合わせた社長と意気投合して「やりましょう」と始まることも珍しくありません。

基準としては、相手にメリットがあるかどうかを最優先に考えています。こちらが儲かることよりも、先方が喜んでくれるか、そしてその商品に文化的な意味があるかどうかが重要です。逆に、いくら可愛くしても社会的意義を見出しにくいものや、大義がないと感じる案件はお断りすることもあります。

ーーデザインの力で商品の見せ方を変えることには、どのような意義があるとお考えですか。

若林剛之:
世の中の商品に足りないのは、分かりやすくいうと「可愛さ」だと考えています。たとえば、茶色の瓶に渋い毛筆ラベルの日本酒一つとっても、ピンクの瓶に花柄の図案のラベルにすれば、見違えるほど可愛くなって多くの人の目に留まります。味や製法など、本質的な価値はあるのに、見せ方で日の目を見ない商品は世の中にたくさんあります。

身近な例として、どら焼きを想像してみてください。普通は茶色くて丸い形ですが、これをハート型や三角にするだけで全く違う印象になります。あるいは、生地の上と下の色を変えてみる。白と黒のツートンカラーにするだけでも、見た目のインパクトは上がり、お客様の目に留まるようになります。

現代において、お客様に立ち止まってもらえなければ、その商品は存在しないのと同じで、「これ可愛いな」と足を止めてもらうためのフックとして、デザインの力は不可欠です。私たちは、真面目にものづくりをしている企業や商品を「可愛さ」の力で応援し、そのポテンシャルを最大限に引き出すお手伝いをしたいと考えています。

ーーその他、商品開発を行う上で大切にしていることはありますか。

若林剛之:
あえてターゲットを設定しないことを重要視しています。ファッション業界では「30代のキャリアウーマン向け」といった設定をすることが多いですが、私はそれをあまり好みません。メンズ、レディース向けのアイテムはあるものの、性別に関係なく、もっというと年齢や国籍も関係なしに好きに選んでほしい。極端な話、宇宙人でも犬でも猫でも、気に入って使ってくれるならそれでいい。ターゲットを絞ることは、自分たちの可能性を狭めることになりかねません。

また、私が目指しているのは、遠くから見ても一目でそれと分かる独自のスタイル、世界観です。たとえば、車に詳しくない人でもポルシェの独特なフォルムを見れば「あ、ポルシェだ」と分かりますよね。それと同じように、ロゴを見なくてもテキスタイルや雰囲気だけで「あ、SOU・SOUだ」と認識してもらえるブランドが理想です。実際、以前に上海の美術館へ視察に行った際、弊社の数字柄の鞄を持った現地の方が歩いているのを偶然見かけました。こちらから売り込んだわけではないのに、海を越えて商品が届き、街中で人の目を引いている。お客様自身が「歩く広告塔」となってブランドを広げてくれているのだと実感し、感動した瞬間でした。わざわざ飛行機に乗って、京都の店まで来てくださるお客様もいらっしゃり、本当にありがたいことです。

ーー移り変わりの激しいファッション業界において、どのような姿勢でものづくりに向き合っていますか。

若林剛之:
流行を追うのではなく、100年続く普遍的な「定番」をつくりたいと考えています。たとえるなら、リーバイスの「501」やコンバースの「ALL STAR」のように、何十年経っても変わらない価値を持つものです。ファッション業界は、毎年新しいトレンドをつくり出し、前年の服を「古い」と思わせることで消費を促しますが、私はそのやり方が好きではありません。気に入った服はずっと着たいし、いつでも買い足せるようにしておきたい。だからこそ「SOU・SOU」の商品は、20年以上販売し続けているデザインもたくさんあります。流行らせるのではなく、「長く愛される価値」を提供し続けたいと考えています。

また、私たちは日本の伝統文化を再構築して現代に伝えることが大切だと考えています。その基本を学ぶために「SOU・SOU」のスタッフは全員茶道を習っています。茶道を学ぶと挨拶やものの扱いが丁寧になります。さらに、日常で失われつつある「四季の風情」や「歳時記」を感じることができます。そういったことを日頃から学んでいくことは「SOU・SOU」のスタッフとして、また日本人クリエィターとして極めて大切だと思います。

テクノロジーで「伝統」を世界へ

ーーネット販売にも力を注がれているようですが、理由をお聞かせいただけますか。

若林剛之:
以前からネット販売には力を入れてましたがコロナ禍の頃からより一層注力し始めました。コロナ以前は実店舗とネット販売の売り上げ比は半々でしたが、緊急事態宣言が出された時は実店舗の売り上げがほぼ無くなりました。これに危機感を覚え、ネット販売を倍増しようと目標を立てました。

ーー具体的に何をしましたか?

若林剛之:
ライブ配信で商品紹介を始めました。スタッフ全員素人ですが、各店舗が日替わりで毎日配信することにしました。上手くやろうとせず、とにかく「全員がライブ配信に慣れよう」ということで、2020年3月からスタートし、今でも毎日配信を続けています。ライブ配信や送料無料キャンペーンなど、いろんなことが功を奏してネット販売を倍増することができました。今ではライブ配信中に紹介したアイテムが買えるシステムも導入しています。

また、AIによるチャット接客なども積極的に取り入れており、ゆくゆくはネットショップ上で自分の写真を使ってバーチャルでの試着ができるシステムも導入予定です。試着ができないというネットの弱点をテクノロジーで補い、世界中のお客様に「SOU・SOU」の商品を届けるための環境整備には投資を惜しみません。

現在、越境ECも好調です。ネット販売における海外顧客の割合は約30%に達しており、実店舗に至っては来客数の約90%が海外のお客様が占めるほどになっています。世界中のお客様へ「SOU・SOU」を届ける基盤が整いつつある今、今後は中国やヨーロッパの企業とのコラボレーションも進めていく予定です。

伝統産業を守るという「大義」

ーー今後の展望についてお聞かせください。

若林剛之:
最大の目標は、弊社の事業を通じて日本の伝統産業を守り、次世代へ残していくことです。単に服が好きで始めた仕事ですが、今ではこの「大義」を全うすることが、事業の原動力になっています。

そう考える背景には、日本のファッション業界が抱える矛盾があります。日本のファッションが世界で評価されているといわれますが、その一方で、国内の染工場や織物工場は廃業が相次ぎ、疲弊しています。和服が売れれば、日本の職人が潤うはずなのに、海外生産の安価な製品が出回り、国内の産地にお金が落ちていない現状があるのです。たとえば、江戸時代から続く「伊勢木綿」を織る織元は、現在では「臼井織布」一軒しか残っていません。もしそこが廃業すれば、その伝統は途絶えてしまいます。私たちがその生地を使い続け、支えることは、単なるビジネスを超えて、日本の文化そのものを存続させることに直結しているのです。だからこそ私たちは、「伊勢木綿」や「高島ちぢみ」など、日本の伝統的な素材や技術を使い、国内の職人さんと直接取引をしてものづくりをしています。

そして伝統産業を守るためには、一部のお金持ちだけが着る特別なものではなく、一般の人々に普段着として広く楽しんでもらう必要があります。その普及の壁となっているのが「着付け」です。そもそも着付けという概念は明治時代に生まれた比較的新しいもので、それ以前の日本人はもっと自由に、毎日着物を着ていました。現代人がファッションとして気軽に楽しめるよう、堅苦しいルールから和装を解放してあげること。それこそが、より多くの人に和装を楽しんでもらい、結果として職人さんたちに継続的にお金が回る仕組みを作るための、重要なアプローチだと考えています。「SOU・SOU」の成功事例を見て、同じように日本の産地と組んでものづくりをする企業が増えてほしい。そうすれば、日本の繊維産業はもっと元気になると信じています。

編集後記

起業家でもあり京都芸術大学の准教授でもある若林氏は、一見、幸運に恵まれた華やかな人生を歩いてきたように見える。しかし、それは常に基本を大事にし、妥協を許さない精神を貫く若林氏の、地道で堅実な努力の賜物なのである。「日本の伝統産業を守る」という揺るぎない大義を掲げ、革新的なデザインとテクノロジーで世界へ挑み続ける同社。その飽くなき挑戦は、これからも続いていくことだろう。

若林剛之/「SOU・SOU」代表・プロデューサー。1967年京都生まれ。日本メンズアパレルアカデミーでオーダーメイドの紳士服の製作を学んだ後、アパレル会社勤務を経て、1994年に自身で買い付けした商品を扱うセレクトショップをオープン。1996年に若林株式会社を設立。2003年「SOU・SOU」を共同設立し、地下足袋や和服、和菓子や家具など、多岐にわたるアイテムを製作・販売。また、様々な分野の企業とのコラボレーションによって、日本のテキスタイルデザインの可能性を広げている。