
1960年代から続くステンレス鋼材の専門商社、牧井ステンレス株式会社。そのトップに立つ牧井優子氏は、大学病院の口腔外科で約10年間勤務した元・歯科医師という異色の経歴を持つ。家業を継承するという重責を担いながらも、先代から受け継ぐ「人を大切にする経営」を軸に彼女なりに深化させ、ベテランの感覚や判断をデータとして蓄積し、技術とAIが共存する現場づくりや定年後の新たな雇用の創出に取り組んでいる。異業種からステンレス界のリーダーへと転身した牧井氏に、現場への敬意と、次世代に向けた自律型組織へのビジョンをうかがった。
「口腔医療」から「社会インフラ」へ 現場を知り組織を築く
ーーまずは、貴社へ入社された経緯を教えていただけますか。
牧井優子:
もともとは大学病院の口腔外科チームに10年ほど所属しており、歯科医師として生きていくつもりでした。しかし、家業を継ぐ予定だった妹が自身の事業で忙しくなり、代替わりのタイミングで私が会社に入りました。患者様と関わる仕事は自分が担当医であっても、一人で行うものではなく、常にチーム医療でした。この「人と人が支え合いながら動く」という経験は、現在の組織づくりにもつながっていると感じています。
ーー入社後は、どのような業務に携わられたのでしょうか。
牧井優子:
ほぼ全ての現場を経験しましたが、歯科医師の免許を持っていたため、最初は労働衛生管理者として現場のヒヤリハット対策や労務管理を見直すことから始めました。この経験は、会社全体を見渡す上で非常に勉強になりました。また、私はもともと『工場』そのものが好きで、機械や商品が整然と並び、システマチックに動く機能美。現場がうちのものづくりの最終地点で、商品価値が生みだしているところ。だからこそ、私は現場を、会社の大切な要だと考えています。
圧倒的な在庫量と「最適」な提案を導くプロフェッショナル集団

ーー改めて、貴社の事業における最大の強みは何ですか。
牧井優子:
圧倒的な在庫量による「即納」という信頼と、そこから生まれる提案力です。まずハード面では、広大な4万坪の敷地を誇る千葉の工場に、約8,000種の在庫アイテムを完備しています。現在もデジタルで管理してはいますが、将来的には2万4,000SKUの徹底管理に向けてプロジェクトを進めています。
私たちの真価は、ただ商品を言われた通りに売るのはもちろん。時には図面を読み解き、お客様と一緒に課題を洗い出して、一歩先を見越した最適解を提示すること。潜在的なニーズを引き出す。こうした提案ができるプロフェッショナルが揃っていることこそが、私たちの最大の強みだと自負しています。
ーーその提案力を高めるために、どのような組織戦略をとられているのですか。
牧井優子:
当社の商品は、半導体製造設備、造船、食品・医薬品プラント、原子力関連設備など、幅広い産業分野で使用されています。そのため、お客様の業種ごとに専門チームを編成しています。業界特有のニーズや動向をより深く洗い出し、お客様に寄り添った最適な提案を行い、迅速かつ臨機応変に対応するためです。専門性を高める一方で、ファックスや指定書類などのお客様ごとの細かなご要望にお応えする柔軟性も大切にしています。今後も変えずに守っていきたい部分です。
人を大切にし 長く活躍できる場をつくる
ーー先代から受け継がれている組織文化はありますか。
牧井優子:
「社員を大切にする」という姿勢ですね。先代・先々代が社員を家族のように可愛がる背中を見て育ち、子どもの頃は嫉妬したこともありましたが、経営者となった今、それが本当に大切な意味をなしていると実感しています。弊社には73歳で現役として働いている社員もおり、「働けるうちはずっと働いてほしい」と心から願っています。
ーーそのために、どのような取り組みをされていますか。
牧井優子:
これからは、「長く働き続けられる環境」を、より具体的な形にしていきたいと考えています。例えば定年後も無理なく関われる働き方や、体力やライフステージに合わせて役割を変えられるような「終身現役」のプラットフォームをつくりたいと思ってます。
その一環として、ステンレス事業の枠を超えた新しい事業の創出に取り組んでおり、不動産管理の会社を立ち上げて週3日の仕事をつくったり、千葉工場の4万坪の使用していないスペースや裏山を活用して農業を始めたりしています。こうした取り組みは、ステンレス事業の枠にとらわれず、社員が長く、そして前向きに働き続けられる場所を、自分たちの手で形にしていくための挑戦です。
経験をデータに変える「攻めのDX」と未来への約束

ーー今後、注力していきたいテーマを教えてください。
牧井優子:
DXの推進による組織基盤の強化です。ベテラン社員が肌感覚で持っている経験の情報を数値化・可視化し、データに基づいて誰もが同様に戦略的に動ける環境をつくりたいと考えています。スケジュールやヒアリング結果を共有するシステムを導入した際、現場への浸透の早さに驚いたことがあります。こうした基盤を整えることで、よりクリエイティブな提案に時間を使えるようにしていきたいです。
ーー最後に、これからの会社をどう発展させていきたいとお考えですか。
牧井優子:
4代目として65年の歴史を背負うプレッシャーはありますが、その重圧よりも「どこまで成長できるか」という楽しみのほうが大きいです。弊社には、やりたいことがあれば挑戦できる自由な社風がありますので、社員一人ひとりには自分なりの考えと想像力を持ち、主体的に動いてほしいです。これからも伝統を守り大切にしつつ、地域に根ざした新しい事業や雇用も生み出していきたい。時代の変化を恐れず負けない体力をつけて、しなやかに進化し続ける組織でありたいと考えています。
編集後記
歯科医師から経営者へ。一見すると全く異なるキャリアだが、チーム医療で培われた緻密さや、人を動かし全体を見る視点は、牧井ステンレスの経営にしっかりと息づいていた。広大な土地を活かした農業など、社員のセカンドキャリアを自ら創出する姿には先代から受け継いだ精神が血肉となっていることがうかがえる。圧倒的な在庫量と専門特化のチーム力、そして経験を戦略にスイッチする次世代化。伝統と革新を両輪で回す牧井氏の挑戦が、ステンレス業界にどのような新しい風を吹き込むのか、今後の飛躍が楽しみでならない。

牧井優子/1976年、神奈川県出身。鶴見大学歯学部歯学科卒業、歯科医師。2006年に牧井ステンレス株式会社へ入社し、営業、貿易、上海支店、総務・経理など幅広く従事。現場経験を重ねながら会社理解を深め、2024年に代表取締役社長に就任。DXによる業務改革を進める一方、65年の歴史の中で培ってきた顧客への細やかな対応を大切にし、ステンレスのプロ集団として社会インフラを支える企業づくりを目指している。