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1919年の創業以来、家庭やビルにおいて電気を安全に分ける「分電盤」や、高圧の電気を施設で使える低圧に変換する「キュービクル(高圧受電設備)」などの製造・販売を通じ、日本の電気の「安全・安心」を支えてきた河村電器産業株式会社。100年を超える歴史を持つ老舗メーカーでありながら、現在はものづくりという枠を超え、発電からコンセントに至るまで、電気の最適なあり方を追求する「エネルギーをデザインする会社」という方針を掲げ、次々と革新的な取り組みを打ち出している。その変革を牽引するのが同社の代表取締役社長、水野一隆氏だ。高等専門学校を卒業してすぐに河村電器産業へ入社し、生産技術部門のキャリアを積んだ後、研究開発部門の立て直しなどを経てトップに就任した経歴の持ち主だ。伝統を重んじながらも新しい事業への挑戦を止めない同社の組織風土や、これからの時代に求められるエネルギー戦略について水野氏に伺った。

入社から17年 生産技術から工場長へ自ら手を挙げたキャリア

ーーまずは、貴社に入社した経緯について教えていただけますか。

水野一隆:
地元である愛知県瀬戸市の企業として、昔から親しみがあったことが入社のきっかけです。私は豊田工業高等専門学校の機械工学科を卒業した後、20歳で弊社に入社しました。入社後は生産技術部門に配属され、以来17年間、製品をつくるための設備や製造工程を設計しており、ものづくりの基盤となる技術や仕組みづくりに没頭していました。

ーー17年にわたり専門性を磨かれた後、ターニングポイントはいつ訪れましたか。

水野一隆:
37歳のとき、社内公募制度で工場長に立候補したことが最大の転機です。当時の私は生産技術部門の課長であり、製造現場の統括経験は全くありませんでした。しかし、会社には「やりたい人ができる」という風土があり、これまでの経験を活かして新しい挑戦ができると考え、思い切って手を挙げたのです。その熱意を認めてもらい、工場長に就任することになりました。

ーー工場長に就任され、現場ではどのような課題に直面しましたか。

水野一隆:
最も大きかったのは、営業部門と工場との間にあった壁です。当時は、営業が現場で値引き競争に巻き込まれると、その分のコストダウンや赤字を工場が負担する構図になっていました。しかし、赤字を出してまで製品をつくる状況は健全ではありません。そこで私は利益がしっかりと出る体制をつくるため、この壁を打ち破る決意をしました。

ーー具体的にどのような取り組みで、その壁を打破されたのでしょうか。

水野一隆:
営業部門に対して、適正な引き渡し価格を決めた後は事後の値引き交渉を一切しないよう提案しました。営業の希望価格を事前に聞き、工場として努力できる範囲を見極めた上で予算を組む方針に変えました。当初は、あらかじめ確保していた値引き予算を使い切った営業から「やっぱり追加で値引きしてほしい」と泣きつかれる場面もありましたが、そこは毅然と対応するように努めていました。

その翌年には営業現場から強い反発が起きましたが、「適正な価格で受注しなければ、工場での生産そのものが立ち行かなくなる」と粘り強く対話を重ねました。その結果、営業の意識も徐々に変わり始め、工場と営業が一丸となるプロセスを通じて、私自身も製品の流通やビジネスの全体像を身をもって学ぶことができたのです。

次代をつくる「iフェスタ」開発部門で見出した成長の種

ーー工場長としての実績を残された後、次はどのようなミッションに着手したのですか。

水野一隆:
研究開発部門の立て直しです。工場長を6年務めた後、当時の社長(現:河村幸俊 会長)から突然特命を受けました。後から知ったのですが、実はこの異動は次期経営体制を担う人材を見極めるため、社長から試されていたテストだったのです。これまでの製品をただつくるだけでなく、新しい挑戦ができる人間を探していました。そこで生産現場で壁を打ち破ってきた私に白羽の矢が立ったのだと思います。

ーー研究開発部門へ異動後、どのような課題がありましたか。

水野一隆:
技術者たちが素晴らしい技術のネタを持っているにもかかわらず、製品化に至らず、アピールする場もないことが課題でした。研究開発が今何をやっているのか、他部門から見えにくくなっていたのです。そこで私は彼らが持つアイデアをオープンに披露できる「iフェスタ」という制度を立ち上げました。これは部門内の審査を経た後に役員の前で直接プレゼンテーションをおこなうというもので、ここで金賞を獲得すると自分たちの研究テーマに対して会社から資金援助が得られる権利を与えられます。

ーーその制度は、組織にどのような変化をもたらしましたか。

水野一隆:
技術者たちのモチベーションが飛躍的に高まりました。実際に、そこから弊社の新たな成長エンジンとなる製品がいくつも生まれたのです。結果、この成果に対して経営陣から高い評価をもらい、社長からも「合格」の判断をいただきました。そうして実績を上げた後は、常務、副社長を務め、2014年に社長への指名を受けることになりました。予期せぬ打診に最初は言葉を失うほど驚いたものの、これまでの壁を打ち破るような挑戦が認められたのだと解釈し、引き受ける覚悟をした次第です。

「安全・安心」の先へ 「エネルギーをデザインする会社」への進化

ーー経営トップに就任されてから、事業の方向性をどのように定めていったのですか。

水野一隆:
経営者としての使命は、過去から培ってきた伝統を継承しながら新しい事業へ挑戦し続けることです。弊社が100年以上の歴史の中で守り続けてきた基盤は「電気の安全・安心」です。しかし、2011年の東日本大震災を機にエネルギー環境は激変し、いかに効率よく電気を使うかが社会の命題になりました。そこで私は安全・安心という基盤はそのままに、電気の測定・監視・制御なども一貫して担えるように、事業領域を広げることを宣言しました。今後はさらに、先を予測して診断して適応していく領域にも拡大していく方針です。

ーーその新しい事業領域から何か製品が生まれた事例はありますか。

水野一隆:
例としてあげるとすれば、ホコリと水分によって発火するトラッキング現象を検知して電気を遮断し、火災を未然に防ぐ「プレトラックコンセント」という製品が代表例です。当初は高価なため売れないのではないかと開発が足踏みしていました。しかし、「測定して監視して制御する」という新しい観点で見直せば防災器具になります。その価値を提案したところ、新しい取引先であるハウスメーカーさまからも評価していただきました。今では年間10万台規模で採用されるような主力製品へと成長しています。

ーー今後はどのような領域を成長エンジンとして見据えていますか。

水野一隆:
今、最も成長を期待しているのは蓄電池の領域です。太陽光発電が普及している一方で、そのままエネルギーを有効活用しきれないケースが増えています。そのため、電気を貯めて必要なときに効率よく使う仕組みが不可欠です。現在は、蓄電池搭載型オールインワンキュービクル『opt-C(オプトシー)』という高圧受電設備と蓄電池、PCS(パワーコンディショナー)などを一つにまとめた新製品の立ち上げに注力しています。これからのエネルギー環境にピンポイントで対応できる、私たちにとって大きなチャレンジです。

ーー外部企業と比較して、貴社の強みはどのような点にあるとお考えですか。

水野一隆:
顧客の要望に応じた「一品一様」のものづくりと、設計・製造プロセスの標準化を両立させていることです。これまでの歴史で培ってきた人を大切にする文化を背景に、社員一人ひとりが深く考える力を備えるようになりました。

また、社内では「コンポーネント思想」と呼んでいますが、基幹となるパーツをあらかじめ標準設計しておき、お客さまそれぞれの電気仕様に合わせてそれらを自由に組み合わせる仕組みを徹底しています。これにより、オーダーメイドでありながら、ゼロからの設計を不要にし、コストを抑えつつ高い品質とスピーディーな納品を両立させています。

挑戦の一大拠点「アンサンブルセット」と自律を促す人事ポリシー

ーー社内で新たな挑戦を促すために、環境面で取り組んでいることを教えてください。

水野一隆:
今年の4月、名古屋市東区に「アンサンブルセット」という新しい拠点を開設しました。これが弊社のこれからの100年を見据えた挑戦の一大拠点であり、社員一人ひとりが主体的に働き、新しいアイデアを具現化できる環境を追求しました。特徴は執務スペースのフリーアドレス化で、異なる部門の社員が隣同士に座ることで日常的な会話が生まれます。そこから新しいビジネスの種が芽生え始めています。

ーーその拠点づくりにおいて、特に意識されたことは何ですか。

水野一隆:
一見すると無駄に見える「ゆとりの空間」を設けました。建物の内部には大きな吹き抜け空間を配置し、入口には幅12m×高さ7mの壁面緑化、また2階にはギャラリーを設置し建物全体を美術館のような空間に仕上げています。工場やオフィスは生産性を重視しがちですが、ゆとりがあるからこそ社員の心もオープンに保たれるはずです。さまざまな人が集い、新しいビジネスが生まれる場所にしていきたいと願っています。

ーーそうした自由な環境の中で、今後どのような方とともに働きたいとお考えですか。

水野一隆:
挑戦する意欲を持ち、自ら手を挙げる勇気がある方ですね。さらに言えば、そのための「準備を怠らない人」を求めています。弊社には、そうした意欲ある人材を後押しし、育てていくための3つの人事ポリシーがあります。

1つ目は、「人の可能性を優先する」ことです。変な間違い探しや減点法で評価するのではなく、「こんなことをやってみたい」という本人の可能性を最も大切にしています。

2つ目は、「自分に磨きをかけられる環境を提供する」ことです。手を挙げるための準備を怠らない意欲的な社員が、さらに自己研鑽に励むことができる文化や環境づくりは非常に重要だと考えています。

そして3つ目は、「やりたい人ができる人」。これは私がかつて工場長に立候補したときから続く社風でもあります。最近の例で言えば、海外事業を成長させるために「国際部」を新設し、社内公募をおこないました。「実は英語が話せて、こういう仕事に就きたかった」という社員に手を挙げてほしいと呼びかけたところ、想定以上に多くの応募が集まりました。中には優秀ゆえに上司が手放したくない人材もいましたが、本人の意思を尊重して異動を実現させました。現在、その部署は世界を飛び回って大いに活躍してくれています。

顧客の業務を変革する設計支援と「アクティブ・ディフェンス」の体現

ーー注目してほしい事業や今後の取り組みについて教えてください。

水野一隆:
まず注目していただきたいのは、ものづくりという枠を超えた電気設備設計支援サービス「Qrespo(クレスポ)」の展開です。単にものを売るだけでなく、設計事務所さまや建設業者さまの業務そのものを効率化する設計システムをつくったことは非常に重要な取り組みと位置づけています。このシステムを活用すれば、必要なキュービクルや分電盤のサイズを可視化でき、設計時の参考として大いに役立ててもらえるはずです。

ーー最後に、今後の展望をお聞かせいただけますか。

水野一隆:
今後は「発電からコンセントまで」を事業領域として捉え、全領域で新しいビジネスを追求していく方針です。太陽光や風力発電、蓄電池といったさまざまなエネルギーをどう組み合わせ、どう活用していくか。そこには無限の可能性が広がっています。この新たな挑戦に向け、私たちがこれまで培ってきたミッションである「アクティブ・ディフェンス」を体現するべく、新たなグランドデザイン「エネルギーを、インテリジェントに。」を描きました。トップメーカーだからこそ常に新たなる道を切り拓き、社員一人ひとりの力を結集して、社会へ新しい価値を提示し続ける次なる100年の歴史を築き上げていきます。

編集後記

水野社長が発する言葉の熱量に圧倒された。世の中の激しい変化を恐れるどころか、自ら楽しんで波に乗ろうとする姿勢がひしひしと伝わってくる。「エネルギーをデザインする」という使命は、単なるスローガンではなく、これからの社会課題に対する同社の明確な解答なのだろう。そして、その挑戦の根底に流れる「アクティブ・ディフェンス」の精神こそが、企業を前進させる原動力であると確信した。新拠点に息づく自由な空気の中で、社員一人ひとりが自律的に動き出したとき、日本のエネルギーの未来がどのようにデザインされていくのか。老舗メーカーの枠を軽々と飛び越える、河村電器産業の躍進から目が離せない。

水野一隆/1961年、愛知県生まれ。国立豊田工業高等専門学校卒業。1982年、河村電器産業株式会社に入社。工場長、研究開発部長を経験後、2014年に取締役社長に就任。10年後の2024年には代表取締役社長に就任し、現在に至る。