
1945年の創立以来、庁舎や病院、文化・教育・研究施設など数多くの公共建築の設計を手がけてきた株式会社佐藤総合計画。創立者・佐藤武夫が残した「建築はもともと万人のものである」という言葉を礎に、同社は新たな理念「アーキテクチャー・フォー・オール(Architecture for All)」を掲げ、組織のかたちそのものを変えようとしている。日本と中国で大型プロジェクトを長く率いてきた代表取締役社長の鉾岩崇氏に、守り続けるもの、そしてこれから加速させるものについてうかがった。
美術部での出会いから建築へ 中国で広げた視野
ーーまずは、これまでのご経歴を教えてください。
鉾岩崇:
建築へ進む入り口は、高校時代に入った美術部でした。幼い頃は父が教員だったこともあり、比較的真面目な子どもで、愛媛の自然の中で水泳や剣道、合奏団(コントラバス)に打ち込んでいました。中学ではサッカーに夢中になりましたが、進学した高校にサッカー部がなく、代わりに入ったのが80人を超える大所帯の美術部です。個性的な先生に影響され、新しいものをデザインする面白さを知りました。もともと理系だったため、感性と技術の両方を生かせる分野として建築を選びます。大学卒業後は設計事務所で働くことを決め、特に公共建築の設計に携わりたいという思いから弊社を選びました。

ーー入社後、特に印象に残っているプロジェクトを教えてください。
鉾岩崇:
中国でのプロジェクトが最大の転機でした。入社後は九州オフィスに配属され、10年以上を福岡で過ごしています。このまま現地で腕を磨くつもりでいたところ、2002年ころに東京本社から声がかかったのです。それは、新たに中国で始まるプロジェクトに加わってほしいという打診でした。拠点を移すことに戸惑いはありましたが、中国の仕事には強い関心があり、思い切って引き受けました。驚いたのは建築の規模です。天津のオリンピックスタジアムをはじめ、それまでの10倍から30倍の大きさの建築を設計することになりました。設計の進み方も日本の3倍ほど速く、商習慣の違いも大きい。コミュニケーションや設計料の回収に苦労しつつも、関係者と直接向き合って交渉を重ねていく日々でした。
ーーその後も中国での仕事を重ねていらっしゃいますが、海外に力を注ぐ理由は何ですか。
鉾岩崇:
一番の目的は、私たちの思考の視野を広げることです。中国の市場には世界中から建築家が集まります。国際的な設計競技に加われば、同じ土俵で競い、世界の動きを直接知ることができます。「世界から日本、日本から世界をみる」という感性が磨かれ、提案力の向上につながると考えています。現地の大学や設計事務所とは1990年代から交流が続き、インターンシップの受け入れや技術者の交流も重ねてきました。築いた関係は途切れさせず、培った交流手法を台湾や東南アジアにも広げていきます。
創立者の哲学は守り 組織のかたちは変えていく

ーー貴社の代表に就任され、これからも守り続けたいことは何でしょうか。
鉾岩崇:
創立者である佐藤武夫の哲学です。佐藤は「建築はもともと万人のものである」という言葉を残しました。作者の個性でつくるのではなく、使う人の舞台となり、地域と共にあるそこにしかない建築をつくるべきだという考え方です。新しいビジョンも、この哲学を分かりやすく言い換えた「アーキテクチャー・フォー・オール(Architecture for All)」としました。オールの後ろには「ビーイングス(Beings)」が隠れています。人だけでなく、多様な生き物や自然、未来の世代までを含めて共に生きる建築をつくるという意味です。創立者から受け継いだ「Art×Science(アート×サイエンス)」も変わりません。感性に基づくデザインと、それを裏付ける科学的アプローチを行き来しながら社会に新しい価値を提供していきたいと思います。
ーー一方で、ご自身の代で変えていきたいことをお聞かせください。
鉾岩崇:
社員の主体性を生かし、佐藤総合計画の一員であることを誇りに思う組織にしたいと考えています。会社としての方向性をしっかりと示したうえで、社員が自ら動ける環境を整えます。目指すのは、階層型の組織と部門を越えたネットワーク型の組織を組み合わせた「デュアル組織」です。私が実質的に舵を取り始めたのは今年(2026年)の4月からですが、テーマごとのラボ活動や、若手社員自身が企画・リニューアルしたサテライトオフィス、地域の行事への参加など、異なる部門の自発的なつながりはすでに広がってきました。会社に価値をもたらす企画を承認して予算をつける「未来のヒント!プロジェクト」も立ち上げ、第1号は創立者の設計した建築と哲学を伝えるミュージアムづくりです。以前は提案しても中々通らないという空気がありましたが、今はまず行動してみようという雰囲気に変わりました。
プロセスそのものが公共性でつながる未来へ

ーー貴社の強みと、今後力を入れていく領域について教えてください。
鉾岩崇:
私たちの軸は公共性を大切にすることです。建築はそこに建つ以上、周辺環境に必ず影響を与えます。建築は発注者だけのものではありません。公共建築の多くは提案型の選定で決まり、専門家の審査や市民とのワークショップなど、多くの関係者が関わります。手間と時間はかかりますが、そのプロセスそのものが公共性を担うということであり、やりがいでもあります。事業は庁舎や病院、文化・教育・研究施設、都市開発を主軸に、自社が設計した建築のリノベーションや歴史的建築物の保存・改修にも注力しています。今後は街づくり全体をマネジメントする領域や、研究開発施設、スポーツ施設、データセンターなど民間分野も広げます。
ーー最後に、どのような方とともに、どのような未来を目指すのかお聞かせください。
鉾岩崇:
求めているのは、主体性を持って自ら課題を立て行動できる方です。与えられた条件に答えるのではなく、何が課題かを設定し、仮説を立て、検証しながら建築をつくる。異なる分野の事象を建築に応用する思考も欠かせません。設計に限らず、経営企画部門でも仲間を増やしたいと考えています。これからの3年から5年は、新しい理念を社内に浸透させ、建築としてかたちにする時期です。私たちが提案する「共環域」という概念、つまり土壌や緑、光や水やコミュニティが循環する仕組みを備えた建築を実際につくり、地域の方々と一緒に取り組んでいく仕組みも同時に整えていきます。

編集後記
取材中、鉾岩氏の口からは創立者の言葉が何度も出てきた。守るべき哲学は明確でありながら、話が組織や働き方に及ぶと語り口はいっそう熱を帯びる。手を挙げれば予算がつく仕組み、社員が自らつくったオフィス。変化の芽は社内のあちこちで動き始めていた。組織が生まれ変わるまさにその只中で、同社がどんな建築を届けてくれるのか。今後の飛躍が楽しみだ。

鉾岩崇/1964年11月6日、愛媛県に生まれる。1988年に広島大学工学部第四類建築学科を卒業後、1990年に株式会社佐藤総合計画へ入社。同社にて実績を重ね、2014年には北京事務所首席代表に就任する。その後、2021年に取締役(設計デザイン担当)を経て、2023年に同社の代表取締役社長へと就任。