
長崎県を拠点に、冠婚葬祭互助会をはじめ、ホテル、レストランなど多岐にわたる事業を展開する株式会社メモリード。徹底した現場主義と独自のサービス展開で成長を続け、コロナ禍の危機をも乗り越えてV字回復を成し遂げた。創業者の背中を見て育ち、異業種の起業から一転して家業へ身を投じた同社の代表取締役、吉田昌敬氏に、ワンマン経営からの脱却と次世代の組織づくり、そして世界を見据えたホスピタリティ産業の未来について詳しくうかがった。
起業の夢から一転して家業へ 通販事業の成功とホテルの立ち上げ
ーーまずは、これまでのご経歴を教えてください。
吉田昌敬:
もともと私は5人兄弟の次男で、兄を含めて男が4人いる環境で育ちました。父親が弊社の創業者なのですが、子どもたちに対して「会社に入れ」とは一切言わない人でした。私自身、一緒に仕事をする姿が全く想像できず、父親の会社とは別の世界で生きていくのだろうと考えていました。
大学はオーストラリアへ留学しており、帰国後は自分で会社を立ち上げたいという思いを抱いていました。そこで、作成した事業計画書を父親のところに持っていき出資を頼んだのですが、「社会を何も分かっていないのに、誰がお金を出すんだ」と一蹴され、まずは会社に入って社会勉強をしなさいと言われたのです。
ーー起業を志していた中で、最終的にご入社を決意された理由は何だったのでしょうか。
吉田昌敬:
実は学生時代の長期休みを利用して、弊社の営業部でアルバイトをした経験があり、事業内容については理解していました。そのため、事業計画書が却下された後、「既存の事業には直接関わらない」「自分で新たな部署を立ち上げさせてほしい」と提案し、了承をもらった上で25歳で入社しました。
目を付けたのは、互助会の会員組織という高齢者の膨大な顧客データでした。このシニアデータを活用しないのはもったいないと考え、シニア向けの通販事業を立ち上げることにしました。当時、九州では単品通販が非常に盛んでしたから、取引先からご紹介いただいた勉強会に足を運び、他社のやり方を必死に学ばせていただきました。
ーー通販事業から本業であるホテルの立ち上げに移られた経緯を教えてください。
吉田昌敬:
通販事業では、さまざまな商材を試す中で女性用の育毛剤が大ヒットしました。父親には「結婚式場を1つつくると思って、10億円貸してほしい」と頼み込み、4年ほどで売上高が5億円にまで成長したのです。しかし、本体からの借り入れも5億円に膨らんでおり、5年目の忘年会に突然現れた社長である父親から、「来年以降は1円も貸さない。まずは黒字化しろ」と宣言されてしまいました。
資金を絶たれ大々的な広告が打てない厳しい状況の中、必死に試行錯誤を重ねました。そうしてようやく事業の目処が立ち、広告宣伝費を絞って利益体制を整えつつある頃、創業40周年の記念事業として進んでいたホテルの立ち上げプロジェクトに目が留まりました。これが、私が本業に関わることになった最初のきっかけです。
現場での苦闘とワンマン経営からの脱却 次世代の経営層育成へ
ーーホテルの立ち上げには、どのようなご苦労があったのでしょうか。
吉田昌敬:
有名な建築家の方と進めていたプロジェクトだったのですが、現場の意見がなかなか通らず、図面を見ると動線が機能しない状態で、「このままでは大変なことになる」と危機感を抱きました。そこで、自ら直談判して私にホテルを任せてもらい、意見を集約して、どのようなホテルにするかアイデアを出し合いながらカタチにしていきました。
そうしてなんとか念願のオープンにこぎつけましたが、実は一番苦労したのはそれからでした。オープン初日は立て続けに結婚式が入っていたのですが、進行がどんどんずれ込んだ影響で最大4時間の遅れが出てしまい、クレーム対応に追われたのです。ご病気のお母様が結婚式のために一時退院して、ご子息と入場するのを心待ちにされていたのに、遅延で体調を崩されて叶わなかったという悔しい出来事もありました。
当時は本当に毎日が大変でした。しかし、逃げずに現場の課題を一つ一つ解決していくうちに、徐々にお客様に満足していただけるようになっていきました。お客様に喜んでいただけることが仕事の面白さにつながり、それに伴って数字にも結果が表れてきたことで、周囲からも少しずつ認めていただけるようになったのです。
ーーその後、どのように管掌範囲を広げ、会社を変革していったのですか。
吉田昌敬:
ホテルの立ち上げ実績を評価され、九州全体、そして関東も含めたウェディング部門の責任者を任されるようになりました。続いて営業部門も引き受け、事業の根幹に深く関わるようになっていきました。
ただ、当時の弊社は創業者の父親による圧倒的なワンマン経営で、おしぼり1つ、鉛筆1本を選ぶのにも社長の決裁が必要な状態でした。社長の言う通りにやれば成功するという考え方だったため、私は現場に入ってから代替わりするまで、ほぼ毎日のように父親と意見をぶつけ合っていました。
ーー経営のバトンを受け継ぐまでに、どのような準備を進めたのですか。
吉田昌敬:
私が40歳の時、「このやり方では会社が危ない」と代替わりを迫りました。その時は実現しませんでしたが、次の5年間で創業50周年を迎えるタイミングでの代替わりを取りつけました。
あまりにワンマン体制が強かったため、当時の役員は皆、お客様や正しい数字ではなく、社長の顔色ばかりを見て仕事をしていたのです。そこで、同世代の中から次の役員候補を選んで、5年間かけて業界内での立ち位置や売上高・利益の構造を共有し、簿記の勉強もしてもらいながら、経営が分かる次世代の層を育てていきました。そして私が45歳の時に、満を持して社長に就任しました。
社長就任後の体制づくりとコロナ禍の危機を乗り越えたV字回復の軌跡

ーー社長に就任されてから、まずはどのような体制づくりに取り組みましたか。
吉田昌敬:
徹底的なワンマン経営から脱却するため、まずは事業部制を導入しました。各エリアを私と同世代の事業部長に任せ、「あなたがこの地域の社長だ」と権限を委譲したのです。それまで先代社長と一部の役員しか知らなかった利益などの数字をパートスタッフにまで全てオープンにし、基準値となる目標を共有しました。
稟議書などの決裁も基本的には現場に任せ、良い意味での責任と権限を明確にしました。そして、何を頑張れば給与がどうなるのかという評価給制度を導入し、皆で考え、皆で数字を上げ、皆で豊かになっていく組織へと切り替えていきました。
ーー就任後すぐにコロナ禍という危機に直面されましたが、どのように乗り越えましたか。
吉田昌敬:
改革を進め、就任2年目から業績を回復しようという矢先のコロナ禍でした。主力だった結婚式や宿泊、一般宴会の売上がほぼゼロになり、倒産するかもしれないという危機感を抱きました。
そこで、唯一稼働していた葬儀事業のやり方を変え、単価や利益率を改善すれば、他の部門のスタッフを一人も辞めさせずに乗り切れるのではないかと仮説を立てました。方針に合わない職人気質のスタッフが去る一方で、仕事がなくなっていたウェディングやホテルのスタッフを葬祭部門へ一気に配置転換したのです。結果として提案力が高まり、利益率は急激に高まりました。20代のスタッフたちが葬祭部門で大活躍し、翌年にはV字回復を遂げ、一気に給与水準も引き上げることができました。
ーーそうした未曾有の危機を乗り越えた背景には、どのような思いがあったのですか。
吉田昌敬:
私自身が経営者として、社員の生活を豊かにするという「覚悟」を持っていたことが大きいと思います。優秀な経営者の方々に共通しているのは、この覚悟の強さです。
「親が社長だったからたまたまなった」というようなブレた気持ちでは、コロナ禍のような危機は乗り越えられません。会社を大きくすることやお客様を幸せにすることも大切ですが、まずは一緒に働いてくれている社員という仲間の生活を豊かにする。そこに対して、社長は絶対的な責任を持たなければならないと考えています。
感動を生み出す独自のサービス展開と、それを支える人材教育
ーー貴社は多角的な事業を展開されていますが、同業他社との違いをお聞かせください。
吉田昌敬:
弊社は、結婚式だけ、葬儀だけといったようにサービスを限定していません。本質は「人と人が接して、そこに感動が生まれ、お客様に『ありがとう』と言っていただける」ということであり、たまたまそのチャネルが結婚式であり、宿泊であり、レストランであり、葬儀であるという考え方です。
そのため、部署異動も活発に行われています。たとえば、年齢を重ねて新郎新婦との感覚にズレを感じるようになったウェディングのスタッフが、葬祭部や宿泊部へ異動して新たな活躍を見せるケースも珍しくありません。多様な活躍のチャンスがあることが、専門の会社にはない弊社の大きな強みです。
ーー感動を生み出すための「人への教育」において、こだわっていることは何でしょうか。
吉田昌敬:
弊社の営業部門にて、業務委託という形で個人事業主として働くベテランの女性スタッフの数は九州だけでも数百名です。新入社員は入社後、まず営業所長として彼女たちを10名ほど束ねる管理業務を経験します。
生活がかかっているプロフェッショナルの方々を相手にするため、学生気分が抜けない若手は、お客様への振る舞いや社会人としての基本を彼女たちから徹底的に叩き込まれるのです。そこでお客様に一番近い立場から商売の厳しさを学んだ後、実際のサービス部門へと異動していくのが、弊社ならではの伝統的かつ効果的な教育の形です。
ーー現在は、中途採用の方々に向けた研修などにも力を入れていらっしゃるのでしょうか。
吉田昌敬:
はい。近年はホテルでの経験を積んだ中途採用の方も増えてきたため、教育マニュアルの整備も進みました。さまざまなホテルで培われた知恵を寄せ集め、サービス業としての基本的なマインドセットから、各部署における専門的な技術やテクニックに至るまで、体系的な研修を行っています。
現場で実践的に学ぶ昔ながらの良さと、マニュアル化された知識の両輪を回すことで、どの部署に配属されても高いレベルでホスピタリティを発揮できる人材の育成に力を注いでいます。
1兆円企業を目指す3本柱の目標と、世界で戦えるホスピタリティ産業の未来
ーー会社をさらに成長させるためのビジョンや具体的な取り組みをお聞かせください。
吉田昌敬:
今、社員には「売上高1兆円を目指そう」と伝えており、そのための3本柱を掲げています。1つ目は、創業からの事業である冠婚葬祭互助会で日本一になることです。業界再編が進む中で、全国の引き受け案件に対応できる体力をつけていきます。
2つ目は、自社で培ったノウハウを切り取り、別会社化して全国展開することです。すでにホテルやウェディングの運営受託会社、飲食の全国展開にチャレンジする会社を立ち上げています。そして3つ目は海外展開です。すでにベトナムで飲食店を3店舗運営しており、今後は現地の葬儀や日本式旅館の展開も視野に入れて挑戦を続けています。
ーー優秀な人材を獲得し、活躍してもらうために工夫されていることは何でしょうか。
吉田昌敬:
優秀な方に選ばれる企業になるため、まずは給与ベースを東京の基準まで引き上げています。地方出身で能力がある方が、収入減を理由に帰郷を諦めることがないよう、東京の恵比寿に事業部を構えて中途採用も強化しました。
また、社内公募制度も充実しています。ベトナムへの赴任や、新しく立ち上げた20近い関連会社の社長も立候補制で決めるほか、女性の管理職登用にも力を入れています。ライフステージの変化に合わせて部署を異動し、キャリアを継続できる環境を整えたことで、優秀な女性が部門長として次々と活躍しているのです。
ーー最後に、今後の展望や読者に向けてのメッセージをお願いします。
吉田昌敬:
私は学生時代に海外へ行く機会に恵まれ、そこで異文化に触れたことで自分の器が広がりました。日本人には、もっと世界に出て行ってほしいと思っています。海外で生活してみて実感したのは、日本のサービスのレベル、すなわちホスピタリティがいかに高いかということです。
日本の自動車や電化製品、小売業が世界へ羽ばたいたように、ホスピタリティ産業もこれから世界で十分に戦える分野だと確信しています。今後もその可能性を自ら証明し、世界に挑戦し続ける組織でありたいですね。
編集後記
自ら手を挙げて道を切り拓く推進力と、社員の生活を守り抜く経営者としての揺るぎない覚悟。吉田社長の言葉からは、幾多の危機を好機に変えてきた圧倒的な熱量が伝わってきた。サービスを限定せず、人との接点すべてを感動の舞台に変える同社の強みは、実践的な教育と挑戦を歓迎する風土によって支えられている。国内での確固たる地位に甘んじることなく、ホスピタリティの力で世界へ挑む株式会社メモリードのさらなる飛躍に、大いに期待したい。

吉田昌敬/1973年11月3日生まれ。豪州チャールス・スチュアート大学卒業。2000年4月、株式会社メモリードへ入社。2002年8月、取締役就任。2009年5月、常務取締役就任。2012年8月、専務取締役就任。2014年6月、取締役副社長就任。2018年8月、代表取締役に就任。