※本ページ内の情報は2026年11月時点のものです。

山梨県を拠点に、オフィス機器の販売やITソリューションの提供を通じて中小企業を支援する株式会社メディアブレイン。2008年の創業以来、様々な事業に挑戦する中で幾度となく倒産寸前の危機に直面し、そのたびに「相手の利益を考える」交渉や諦めない姿勢で窮地を脱して、V字回復を成し遂げてきた。そうした激動の経営環境の中で、組織のあり方に対する痛烈な挫折を経験し、そこから這い上がる過程で経営者自身の深い自己変革があった。「すべての社会課題は人のあり方から始まる」と語る同社代表取締役社長の黒田啓彰氏に、真の豊かさを追求する独自の経営哲学と未来へのビジョンを聞いた。

『日はまた沈む』からの決意 若者の自己実現を支える企業を目指して

ーーまずは、起業の原点を教えてください。

黒田啓彰:
きっかけとなったのは、高校2年生のときに読んだ『日はまた沈む』という本です。日本経済の勢いに限界が来ると論じた本で、高校生ながら「日本を変えたい」という思いが芽生えました。その後は音楽の道を志したものの思うようにいかず、引きこもりを経験し、「自分は世の中から必要とされていないのではないか」と思い詰めていた時期もありました。しかし、そこから社会に出て、働いた分の報酬をいただくという当たり前の喜びに触れたとき、世の中とのつながりに深く感謝できたのです。

ーーその後、ご自身で会社を設立しようと考えたのはなぜでしょうか。

黒田啓彰:
社会保険制度が変更され、年金の支給開始年齢が引き上げられたことが大きな転機になりました。国のルール変更にただ振り回される現状に葛藤を抱き、「私たち自身で誰もが安心して働ける仕組みをつくれないか」と考えるようになったのです。企業は社会の公器であるべきだと考え、会社から生み出された利益を、経営者だけでなく貢献してくれた社員に還元できる組織をつくりたいと思いました。

ーーその会社を、地元・山梨でつくろうと考えたのはなぜでしょうか。

黒田啓彰:
当時の山梨県は人口減少が進み、若い人たちが新しいことに踏み出すチャンスも限られていました。チャンスが少なければ挑戦する人も少なくなり、地域の活気も生まれにくくなります。だからこそ、若者が諦めずに挑戦できる土壌をつくり、彼らの自己実現を手助けしていくことがさまざまな貢献につながると考え、2008年に株式会社メディアブレインを設立しました。

倒産の危機を救った「相手の利益を考える」姿勢と諦めない心

ーー設立後、事業はすぐに軌道に乗りましたか。

黒田啓彰:
最初の10年間は、組織としての仕組みが未熟で、経営基盤が非常に不安定な状態でした。当時は良いご縁や運に助けられて乗り切っていたようなもので、何度も倒産の危機に直面しましたね。たとえば、設立から数年経った頃、突然メーカーの規制によって主力商品の仕入れがストップしてしまったことがあります。当時、1日にして月間3,000万円分もの仕入れができなくなり、月商の大部分を失う事態となりました。会社が終わるかもしれないと、1ヶ月ほど毎日胃が痛くなる思いでした。

ーーそのような絶体絶命の危機を、どのように切り抜けたのですか。

黒田啓彰:
ただ私たちの要求を主張するのではなく、「相手の利益」を真剣に考え抜きました。仕入れ先に対し、「私たちがこの商品を仕入れることで、貴社にもメリットが出るようにできないか」と相談したのです。すると、相手の会社が得意とする商品と、私たちが本当にほしい商品を抱き合わせて購入するなら、価格も下げて大量に卸してくれるという条件を引き出すことができました。

ーー見事にピンチをチャンスに変えられたのですね。その後の展開を教えてください。

黒田啓彰:
結果として、相手から提案された商品が思いのほか大ヒットし、売上高は以前の1.8倍にまで拡大しました。事業規模が拡大し10期連続黒字を達成できたのも、周りの環境に何度も振り回されて危機に陥りながらも、私自身の利益だけでなく相手を良くすることを第一に考え、決して諦めずに活路を開こうと交渉を続けた結果だと思っています。

2019年の崩壊と再生 すべてを失いかけて気づいた「与える喜び」

ーー順調に成長を続ける中で、転機となるような出来事はありましたか。

黒田啓彰:
2019年に、会社を根底から揺るがす大きな危機が訪れました。当時は倒産の危機からV字回復を果たして業績が好調だったこともあり、私の中には慢心と驕りがありました。社員がいてくれることや周囲の支えを「当たり前」だと思い上がり、重要な経営判断を独断で下していました。しかし、そのプロジェクトはうまくいかず、金融機関から毎日督促の電話がかかってくるような資金繰りの悪化を招いてしまったのです。その結果、社内での信頼を完全に失い、当時いた役員が全員辞めるという事態に発展してしまいました。匿名で実施した社員アンケートには、私への不満がびっしりと書かれていました。

ーーその厳しい状況から、どのように会社を立て直していったのでしょうか。

黒田啓彰:
私の至らなさが招いた結果であることを受け入れ、社員一人ひとりと1対1で対話し、謝罪して回りました。その際、冷ややかな反応が多い中で、数人の社員だけが「社長についていきます」と言ってくれたのです。そのとき、彼らの思いを絶対に無下にしてはいけないと強く心に誓いました。

また、資金繰りに奔走する中、東京のとある信用金庫が親身になってくださり、何度も足を運んでようやく1000万円の融資を取り付けることができました。これまでは何千万円という融資を当たり前のように扱い、お金を軽んじていた節がありました。しかし、この1000万円のために必死に頭を下げるなど苦労を重ねたことで、お金の本当の重みと自らの傲慢さを思い知り、その帰りの高速道路では涙が溢れました。

ーーそのご経験は、社長の価値観にどのような影響を与えましたか。

黒田啓彰:
これまでの私中心の考えを改め、「人に与える人生」を生きていこうと決意しました。そこから、社員がどうすれば喜んでくれるかを第一に考えるようになったのです。最初は私がスイーツを買って配るような行動から始まりましたが、徐々に社員自身が、みんなが喜ぶことを企画するプロジェクトへと発展していきました。与えることの楽しさに気づき、相手を喜ばせたいという思いが社内に巡ったことで、結果的にそれが強固なインナーブランディングへとつながり、会社が大きく変わるターニングポイントになりました。

社会課題の根源「人のあり方」を変革し、1,000の起業家精神を育む

ーー現在の事業内容と、今後の長期ビジョンについて教えてください。

黒田啓彰:
現在はオフィス機器の卸売りにとどまらず、ITやDXを活用して中小企業の問題解決と売上高向上を支援しています。私たちが長期ビジョンとして掲げているのは、「1,000のアントレプレナーシップを醸成するインフラになること」。これからの変化の激しい時代を生き抜くには、一人ひとりが起業家精神を持つことが不可欠です。失敗しても何度でも挑戦できる場所をつくり、挑戦者同士が応援し共感し合えるムーブメントを、この山梨から全国へ広げていきたいと考えています。

ーー事業を通じて、より良い社会の実現を目指す思いについてお聞かせいただけますか。

黒田啓彰:
世の中にはさまざまな地域課題や社会課題がありますが、私はすべての課題の根源は「人のあり方」にあると考えています。たとえば、海洋プラスチックごみの問題も、結局はごみを捨てる人間の意識に起因しているのです。ですから私たちは、ただ目に見える課題を解決するだけでなく、事業活動を通じて相手を思いやる利他の心を持った人材をどれだけ輩出できるかに挑戦しています。「人のあり方」という最大の社会課題に向き合うことこそが、メディアブレインの最終的な目標です。

ーー最後に、読者の方に向けてメッセージをお願いします。

黒田啓彰:
経営者は、自分がいつそのポジションを降りるかという「手仕舞い」の時期を明確に定めておくべきだと思います。私自身も具体的な年齢を決めているのです。トップがいつまでも同じ席に居座り続けると、次の世代が重要なポストを経験できず、人が育ちません。私が不在でも自律的に回る組織をつくり、ノウハウが会社全体に息づく仕組みを整える。そうやって計画的に手仕舞いに向けて動くことこそが、結果的に属人化を防ぎ、強く魅力的な企業をつくり上げると信じています。

編集後記

数々の試練を乗り越え、確固たる信念を築き上げた黒田社長。どん底の危機において自らの傲慢さに気づき、「与える喜び」へと価値観を転換させたエピソードは、経営の枠を超えて人間の生き方そのものを問いかけてくる。目先の利益や表面的な課題解決にとらわれず、すべての根源である「人のあり方」に向き合う同社の姿勢。1,000の起業家精神が育ち、応援と共感が連鎖する未来へ向け、メディアブレインの挑戦はこれからも力強く続いていく。

黒田啓彰/1981年生まれ。2000年、山梨県立市川高等学校卒業。2002年、音楽専門学校を卒業。2003年、地元のOA機器販売会社に入社。2008年、株式会社メディアブレインを設立。2016年、株式会社山紫堂をM&Aで完全子会社化。2019年、株式会社メディコス設立。2020年、非営利型一般社団法人メディアブレインユナイテッドアカデミー設立。2022年、株式会社タスクライズ設立。2023年、精肉店の事業譲渡に伴い合同会社センヨフーズ設立。2023年、農業関連の事業譲渡に伴い合同会社メディアブレインアグリエール設立。2024年、株式会社奥田商会・株式会社オークフィールドをM&Aにより完全子会社化。2024年、キッチンカー事業を開始。2025年1月、焼肉店「千与」オープン。2025年12月、「marimo café & dining(マリモカフェアンドダイニング)」事業譲渡を受ける。