-家業を継ぐことへの想いとヨドバシカメラ勤務時代-
【聞き手】
将来自分もお父様と同じように家業を就いで、この会社でやっていくんだというような意識でおられたのですか?
【石原】
記憶がちゃんとしてきた年齢、小学校3年生ぐらいですかね。やはり後継ぎだとかとか、商店街の方から後継ぎができて良かったねと父親が言われているシーンを横で見ていたりしていたので、後継ぎって何だろうと思いながら、いずれ私もコメ兵に入って行いくのかなというのはちょっとずつ感じていました。
【聞き手】
しかし、進学するにつれて将来の進路というのを考えていかなければいけない場面がどんどん具体的になっていくわけですよね。継ぐこと前提の就職という感じだったのですか?
【石原】
親は反面、そうだったと思います。幼い時は決まっていることをやるのがあまり好きじゃなく、やはり個人というよりも、コメ兵の息子という呼ばれ方があまり好きじゃなくて。別にそれに反発しているわけでもなく、どちらかというと自分を見てほしいというイメージが強かった。
やはりスポーツを一生懸命やって1人の選手として見てほしかった部分もありますし、反面、確かに後継ぎとして入れば、ある程度約束された何かがあったかもしれませんけれども。単純にその学校を卒業してすぐに入るというよりは、やはり外で一からというか、社会人としての一からを経験した後に、それでも私という人間がコメ兵にとって必要な人間なのであれば、入れていただくことも考えた方がいいかなと思っていました。やはり当時はどこかで戻ることを意識しながらも個人として、社会人としてうまくいけばその道もありかなとか、色々学生時代含めて社会人最初のスタートの時も悩んだ部分はありましたね。
【聞き手】
まずはすぐに会社に入社するのではなくて、ヨドバシカメラさんにご入社をされたのですよね。いわゆる小売業というところでは非常に大手だと思うのですが、そこに新卒で入られていかがでしたか?
【石原】
やはり1人の社会人として、こうあるべきだというのを含めて、物を売るという商売以上にお客様に対して、こういうお気持ちで接客する。もしくは、その会社の看板を背負っている、いち販売員として、どうやってお客様に買っていただくのかとか、そういった商売の楽しさ、難しさを経験したというか体験したというか、やはり簡単に物って売れないのだなというのはすごく感じました。逆にこんなに物って売れるんだということも色々と経験させていただいたので、そういうカメラ業界、量販店のトップの会社に勤めさせていただいた経験というのは、すごく私にとっては社会人としても礎となったのかなと思います。
【聞き手】
できるだけ忙しいところに配属してほしいとご自身でおっしゃったということなのですけども、ヨドバシカメラさんの新宿西口、しかも社名にもなっているカメラ部門でやって来られたということで、本当に想像を絶する忙しさというイメージなのですが、当時はどのようにやっていらっしゃったのでしょうか?
【石原】
私は名古屋の人間だったので、ヨドバシカメラという会社の規模を知らなかったのです。名古屋にそんな大きいカメラ屋さんは当時ないので、最初はお店に行くことなく、いきなり本社に面接を受けに行ったので、大きい本社だなと思ってはいたのですけれど。いざ少しずつ研修に行くと、西口が大きいだけじゃなくて、どこも大きいのだなと気づいてきて、やはり自分で一番忙しいところに入れてくださいと言ったものの。本当にその忙しさは想像を絶するという感じでした。
【聞き手】
先ほども物がすごく売れる様子や、もしくは売れない様子を目の当たりにしたという話がありましたが、ちょうど就職された時はバブルが崩壊した直後くらいで、それまでの消費のスピードと違う時に差し掛かっていたときですよね。
【石原】
ただ、対比するものがなかった1つの局面もあると思うのですが、やはりデジタルカメラという新しい製品が世に出たばかりでした。それがフィルムのカメラだろうが、デジタルのカメラだろうが、カメラというものが非常に注目されていた時代だったものですから、世の中的には厳しかったかもしれませんが、やはり物が非常によく動いていたお店だったなというふうに思います。
経営者プロフィール
氏名 | 石原 卓児 |
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役職 | 代表取締役社長 |
生年月日 | 1972年9月21日 |
出身地 | 愛知県 |
座右の銘 | 実るほど頭(こうべ)を垂れる稲穂かな、「One for all,All for One(一人は皆のために、皆は一人のために)」(をモットーに、「現場第一」「お客様視点」で、挑戦し続ける経営に力を注いでいる) |
愛読書 | 「人を動かす」 デール・カーネギー(D・カーネギー) |
1996年、大手家電量販店ヨドバシカメラにて約2年間従事したのち、1998年コメ兵に入社し、カメラ売場に配属。
その後、時計売場の責任者を経て、有楽町店店長、新宿店店長、営業企画部長、WEB事業室長などを歴任し、店舗開発、販売促進、などマーケティング業務に従事。2011年に常務取締役、2012年に代表取締役副社長、2013年に代表取締役社長(4代目)へ就任。
2020年10月1日から、ホールディングス体制への移行と同時に、コメ兵ホールディングス代表取締役社長を兼任。(2021年4月より、リユース業協会副会長も務める)
会社概要
社名 | 株式会社コメ兵 |
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本社所在地 | 愛知県名古屋市中区大須3-25-31 |
設立 | 1947 |
業種分類 | 小売業 |
代表者名 |
石原 卓児
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従業員数 | 連結 1087名(2023年3月) |
WEBサイト | https://www.komehyo.co.jp/ |
事業概要 | 中古品・新品の宝石・貴金属、時計、バッグ、衣料、きもの、カメラ、楽器などの仕入・販売 |