株式会社コメ兵 国内最大級リユースショップ「コメ兵」挑戦を成長へつなげるヒント 株式会社コメ兵 代表取締役社長 石原 卓児  (2022年2月取材)

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インタビュー内容

-家業を継ぐことへの想いとヨドバシカメラ勤務時代-

【聞き手】

将来自分もお父様と同じように家業を就いで、この会社でやっていくんだというような意識でおられたのですか?

【石原】

記憶がちゃんとしてきた年齢、小学校3年生ぐらいですかね。やはり後継ぎだとかとか、商店街の方から後継ぎができて良かったねと父親が言われているシーンを横で見ていたりしていたので、後継ぎって何だろうと思いながら、いずれ私もコメ兵に入って行いくのかなというのはちょっとずつ感じていました。

【聞き手】

しかし、進学するにつれて将来の進路というのを考えていかなければいけない場面がどんどん具体的になっていくわけですよね。継ぐこと前提の就職という感じだったのですか?

【石原】

親は反面、そうだったと思います。幼い時は決まっていることをやるのがあまり好きじゃなく、やはり個人というよりも、コメ兵の息子という呼ばれ方があまり好きじゃなくて。別にそれに反発しているわけでもなく、どちらかというと自分を見てほしいというイメージが強かった。

やはりスポーツを一生懸命やって1人の選手として見てほしかった部分もありますし、反面、確かに後継ぎとして入れば、ある程度約束された何かがあったかもしれませんけれども。単純にその学校を卒業してすぐに入るというよりは、やはり外で一からというか、社会人としての一からを経験した後に、それでも私という人間がコメ兵にとって必要な人間なのであれば、入れていただくことも考えた方がいいかなと思っていました。やはり当時はどこかで戻ることを意識しながらも個人として、社会人としてうまくいけばその道もありかなとか、色々学生時代含めて社会人最初のスタートの時も悩んだ部分はありましたね。

【聞き手】

まずはすぐに会社に入社するのではなくて、ヨドバシカメラさんにご入社をされたのですよね。いわゆる小売業というところでは非常に大手だと思うのですが、そこに新卒で入られていかがでしたか?

【石原】

やはり1人の社会人として、こうあるべきだというのを含めて、物を売るという商売以上にお客様に対して、こういうお気持ちで接客する。もしくは、その会社の看板を背負っている、いち販売員として、どうやってお客様に買っていただくのかとか、そういった商売の楽しさ、難しさを経験したというか体験したというか、やはり簡単に物って売れないのだなというのはすごく感じました。逆にこんなに物って売れるんだということも色々と経験させていただいたので、そういうカメラ業界、量販店のトップの会社に勤めさせていただいた経験というのは、すごく私にとっては社会人としても礎となったのかなと思います。

【聞き手】

できるだけ忙しいところに配属してほしいとご自身でおっしゃったということなのですけども、ヨドバシカメラさんの新宿西口、しかも社名にもなっているカメラ部門でやって来られたということで、本当に想像を絶する忙しさというイメージなのですが、当時はどのようにやっていらっしゃったのでしょうか?

【石原】

私は名古屋の人間だったので、ヨドバシカメラという会社の規模を知らなかったのです。名古屋にそんな大きいカメラ屋さんは当時ないので、最初はお店に行くことなく、いきなり本社に面接を受けに行ったので、大きい本社だなと思ってはいたのですけれど。いざ少しずつ研修に行くと、西口が大きいだけじゃなくて、どこも大きいのだなと気づいてきて、やはり自分で一番忙しいところに入れてくださいと言ったものの。本当にその忙しさは想像を絶するという感じでした。

【聞き手】

先ほども物がすごく売れる様子や、もしくは売れない様子を目の当たりにしたという話がありましたが、ちょうど就職された時はバブルが崩壊した直後くらいで、それまでの消費のスピードと違う時に差し掛かっていたときですよね。

【石原】

ただ、対比するものがなかった1つの局面もあると思うのですが、やはりデジタルカメラという新しい製品が世に出たばかりでした。それがフィルムのカメラだろうが、デジタルのカメラだろうが、カメラというものが非常に注目されていた時代だったものですから、世の中的には厳しかったかもしれませんが、やはり物が非常によく動いていたお店だったなというふうに思います。

-リユース業の存在意義と現場経験の大切さ-

【聞き手】

実際にヨドバシカメラを経験されてご実家に戻られて、今までは家業として見ていらっしゃったと思うのですけど、実際にコメ兵の一員となって事業を見た時、どうでしたか?

【石原】

すごく楽しかったです。やはり買い取りをすることから始まって、このお客さんはこんなにこの商品に思い入れがある。だから捨てるのがもったいない。それで、勇気を出して重いものを持ってお店に来ていただいて、売りたいというところから始まって、査定させていただいて、うちが商品として買わせていただくと。当然それをメンテナンスして、次のお客さんにこの商品はとても状態がいいから、ぜひ良かったら買ってくださいということを繰り返していくと、つくるメーカーでは我々はないのですけど、商品が手元に届くところから、それをきれいにメンテナンスしてから次の方にお渡しするまでをできる。

また、そのお客様は何年か使っていて飽きてしまった、もしくは違うものに変えたいと、理由は色々あれども、それをまたコメ兵に持ってきてくださるとなってくると、すごく中継点として、我々の存在意義があるなとすごく感じられました。単純に新品をどんどん売っていって、「あれ?捨てられちゃっているのかな?」ということよりも、「また戻ってきてくれた」と思う、この感覚がすごく私には合っていると思います。ゴミを増やすのではなく、ゴミが少ない社会に少し貢献しているのかなと思うビジネスモデルなのかなとは感じていますね。

【聞き手】

本当に現場の一員としてやってこられた。

【石原】

そうですね。役員になるまでは店頭に立っていて、他の従業員さんと一緒のように売り場に立って、朝から晩まで買い取りや販売をやっていました。それをずっと名古屋でやって、東京に進出する時には東京でやって。それが十数年繰り返された後に役員になっている今の自分がいますので。そういった意味では、お客様に教えていただいた商売の感覚だとか、そういったものをもってやりたいというのは、入ったばかりの時にこういうものだ、もしくはお客さんにこうやったらいいよってアドバイスをいただいて、教えていただいたことが為になりましたし、コメ兵の方向性を変えていく中でもすごくいいお知恵をいただいたのかなと思っています。

たぶんいきなり私がよそ様にいて、コメ兵に入ってきて役員なのか、社長なのか、いきなりやったのでは多分こういう感覚ではないと思います。そういう意味ではヨドバシカメラにいた2年間は短かったんですけれども、あの客数をこなせる、あの短い間にあれだけのお客様の接客ができたというのはヨドバシカメラだから実現できたと思うし、その中でそこでいただいた知恵や工夫や努力をリユースの業界で生かせているというが正直あると思いますね。

-自社の強みと差別化のポイント-

【聞き手】

リーマン・ショックの後などは、経営的に珍しくずっと右肩で伸びていらっしゃったのが、落ち込むというのがあったと思うのですが、その状態の時はいかがでしたか?

【石原】

やはり2008年から10年ぐらいまでは厳しい時代でした。元々、新宿に出して1、2年で数字が伸びていった時というのは322億円あった売り上げが翌年には280億円になって、その次には230億円になって。すごいスピードで落ちているイメージの方が300億円ちょっとの売り上げが200億円ちょっとになってしまうと減りますから。とても苦しい時代もありましたし、それで我々がやったのはどちらかというと、大きく組織を変えて、もう一度攻めの態勢で切り込むのに、どういうチームで行くことがV字回復というか。その時はV字回復なんて思ってはいませんでした。

【聞き手】

とにかく落ちるのをなんとか止めないと、と思われた。

【石原】

止めて、なんとか、ちょっとずつ落ちてきたところから戻っていきたいなというのが本音でした。やはり、リーマンの後に起きたのは、どちらかというと総合リユースをやっていたコメ兵が、ブランドリユースに絞り込んでいったことによって単価が高くなり、お客様が絞りこまれてきたというイメージがあるので。やはりその価格帯のものをどんな時代であれ、買える人は買える、もしくは今は世の中が右肩下がりの雰囲気なので、買えるんだけど、今はやめておこうというお客様もいらっしゃった。そういう意味では苦しい中、こちらがしっかりとどういったお客様がコメ兵をご利用いただいているのかということを把握するためにも、メンバーズカードをつくるなど、プロモーションの部分、マーケティングの部分を変えていった経緯はありますね。その結果、2012年ぐらいから少しずつ伸びてきているなというイメージがありますね。

【聞き手】

それは先ほどおっしゃっていたみたいに、きちんとマーケティングをして商材を絞って、ターゲットをきちっと設定して、そこに対してアプローチをうまくかけていくことができたことが一番大きいのですか?

【石原】

そうですね。後は、当時のコメ兵は、名古屋のビジネスモデルをその他エリアでも展開しようと考えていた部分があって、あくまでも名古屋が本部になって、それが東京であろうが大阪であろうが、こちらからコントロールをする。ただツールとして、お客様のデータベースでもっているツールもなければ、東京や大阪のお客様が知らない名古屋にいる人達がコントロールしようと思っても、なかなかお客様のニーズに応えられないことがありました。

それがやはりこのままだと、お客様がいつ行ってもほしいものがないという会社になりそうだったので、そこは名古屋が本社だけれども、各店長たちが、それぞれ権限を持って、お客様に喜んでいただけることはこういうことだというのを、どんどん出してきてくれということで権限移譲というか、エンパワーメントをしっかりして、現場で考えていただいたことを上げてくる。もしくは東京の店長だった私がどうのこうのではなく、売り場としてはこういうことをやったほうが、お客様が喜んでいただけるのではないかということを企画する営業企画部というのをつくりました。

セールだからただ安いというよりも、値段も大事ですが、例えばシャネルフェアであれば、シャネルのこれがちょっと安いというよりも、シャネルがいっぱいあります、たくさん集めていますというほうが、お客様がそもそもコメ兵の値段がお値打ちだということをご理解いただいているのであれば、フックになるのではないかということも含めて、企画部門をつくってお客様に喜んでいただくことを検討していきました。それがまた他店舗のスタッフ、店長から「ちょっと違いました」だとか「これは当たっています」という意見も含めて、「これは大阪ではいいけど、東京じゃダメなんだ」、あるいはその逆もあり、色々現場の声、お客様の声を吸い上げていく形に会社が変わっていった部分があります。ですから、これらを始めて、企画の部分とお客様のデータベースと商品の売れ方と、やっとこれらがつながってきたというのが、2012年以降のところからですね。

【聞き手】

やはり東京で売れるものと名古屋で売れるもの、大阪で売れるものは違いますか?

【石原】

そうですね。明らかに違いまして、先ほどあった名古屋にある商品センターというところは、各買い取りセンターで買ったものを全部名古屋に送っていまして、そこで物の状態だとか、プライスだとか、真贋を見ていく部隊があります。これはたまたま心斎橋で買ったのだけれども、東京の方がよく売れるので、そっちに展示しようだとか、逆にこれは東京だとちょっと柄が派手でキツそうだなというものが、京都は外国人のお客様が多いので、そっちの方がよく売れるなということで物を動かしたりしています。

そこのセンターが商品だけじゃなくて、情報センターも兼ねてデータを見ながら、これはこの店舗に向いている、こういう女性のお客様がこの店舗にはたくさん来ているから、この店舗のほうがよく売れるのではないかということで、振り分けをしっかりするようになりました。前はその店で買ったものをその店で並べていただけですから、大体その商品が好きそうな人がこのエリアにはいるのですが、ちょっと離れたところから来ようと思っても、私たちがほしいものじゃないからということで、限られた店の近隣の中で商売をしていたのですが、今は多面的にお客さんを見ながら商売ができていると思います。組織を変えてそういう買い取りセンターが3年4年経って、活発に動き出したことでMDもしっかりしてきているのだと思います。

【聞き手】

本当に色々なライバルが増えてきていると思います。その中で、コメ兵が勝つために社長は今どういうことをお考えですか?

【石原】

それぞれ時間軸が違うと思うのですが、今我々がやらないといけないのは競合との差別化をつくらないといけない。もしくは競合と共同で、もっとリユースの市場を広げないといけないという2つのことがあると思っています。

やはりブックオフさんやトレジャーファクトリーさんを含めて、我々もお客様を裏切らないような接客や事業展開をしてリユースって賢いよね、いいよね、面白いよね、お値打ちだよねとお客様に感じていただいて、捨てる社会からリユースする文化を我々が創造していきたいというのは、それぞれの社長さんたちと話をする中でも、その気持ちは一緒です。

それぞれが元々本屋さんだったところ、元々が服屋さんだったところ、元々我々も家電製品をやっていたところが、ブランド品に入ってきたところがあるものですから。我々がブランドリユースというところでは、競合様と比べてもトップでいると自負している部分があるので、その差別化というのは、買い取りのバイヤーの目利き、適正な真贋を見分ける云々もありますが、適正な価格を提示できる。あとは買った後の商品を当然、次に販売するための目的で買っているわけなので、センターで、どこまでこれをきれいにして、ちゃんとコメ兵として商品を見て適正な価格だという判断をしています。

それがこの店舗にありますということちゃんと出していくことによって、お客様がコメ兵の中古ブランド品だったら安心して買えると言っていただけるような商品のクオリティーまでもっていかないといけないと思っています。商品センターに100人位の規模のスタッフは投入していて、確かにそこは大きな投資をしていますが、最終的にはお客様に喜んでいただくためです。

買った後にすぐ壊れてしまったとか、よそのほうがよっぽど綺麗で、コメ兵で買ったやつのほうが汚かったということのほうが、お客様を裏切ってしまうことになりますから。そういう意味で差別化としては、そこに注力をして、商品をたくさんいい状態に変えて、お店に売っていくというふうに変えていきたいなと思います。

他社様は、買ってそこで早く手入れして早くお店に並べるというところでキャッシュの流れを意識されている部分はあります。それがリユースの王道だと思うのですが、我々はより単価が高い物を扱っている特性があるので、満足感を高めていただくために、そこにはしっかり注力をしてやっていきたいですし、もっと業界の市場が広がってくれば、その中で「どうせブランド品を買うならコメ兵に行こうか」というような、お客様の身近な存在になっていきたいなと思いますけどね。

-視聴者へのメッセージ-

【聞き手】

色々な方が見られていると思いますので、これからのコメ兵をつくるメンバーの候補に向けて、メッセージを頂戴できますでしょうか。

【石原】

コメ兵の今の従業員というのは、みんな誠実で、協力、協調というのをすごく大事にしてくれいているメンバーが非常に多いんですね。かつそれが、みんながコツコツ自分の力を上げていって、プロになって初めて人が苦しんでいる時に助けてあげられるイメージをもって自己育成をしてくれています。特段うちにはスーパーマンはいないのですけれど、自分のやるべきことをちゃんとやっていて、このチームで勝つというのを意識してくれているのをすごく感じる部分があるので、そういうことに興味がある方だとか、そういったことが好きな方はコメ兵がすごく合うと思います。

やはりコメ兵のいいところというのは、今後も継続していきたいですし、働きがいややりがい、楽しく働きたいという意味では、同じ釜の飯を食いながら、一緒に成長していきたいと思っています。色々な企業様があって、それぞれの方に合う、合わないはあると思いますが、コメ兵の特徴としては、若いメンバーで苦労しながらも何が正解なのだろう、正解がないかもと思いながら議論していくというのが、非常に活発は会社だと思うので、みんなで挑戦したいと思う人はぜひコメ兵を見ていただきたいなと思いますね。

【聞き手】

お話を伺っていると、本当に一丸となって戦っていこうという空気が非常に感じられますね。コメ兵が日本の、そして世界のコメ兵になることを非常に楽しみにしております。本日は色々とお話を聞かせていただいてありがとうございました。

【石原】

こちらこそ、ありがとうございました。

【ナレーター】
国内最大級のリユースショップを展開する「株式会社コメ兵」。

2022年3月時点で、国内外で88店舗(もしくは、全国83店舗)を構え、中古品を中心にジュエリーから時計、ブランドバッグ、楽器など幅広い商品を取り扱い、各商品群の専任スタッフが適正価格にて提供。

近年では、モバイルメッセンジャーアプリを活用したオンライン接客や既存ECサイトのリニューアルなど、オンラインとオフラインの融合を指すOMO施策を推進。

買取イベント「KAITORI GO」を全国各地で開催しながら、買取専門店を3年間で100店舗出店する計画も発表しており、需要を捉えた挑戦を続けている。

経営者が語る、挑戦を成長へつなげる秘訣と見据えている未来像とは。

【ナレーター】
2020年4月、コロナ・ショックの影響により、70年以上の歴史の中で初めて、約2ヶ月に渡る全店一斉休業を決断した石原。この苦境をどのように乗り越えたのか。

【石原】
当然、オンラインのショップは稼働していましたし、休業中も社内のイントラを使いながら、プロジェクトを8つぐらい立ち上げました。

コロナの期間が長引いた時にどのようにオンラインで接客していくのか、お店とオンラインショップにどうやって誘導しながら、お客様がより良いサービスになったねと言っていただけるかなど、苦しい中でも各スタッフやリーダーたちがプロジェクトを組んで、「こうやってやった方がより良くなるんじゃないか」というアイデアをたくさん出してくれて。

2020年4月、5月と確かに休みましたけれども、その間に練ったプランがその後、花を開いていくというところに来たので。

過去のリーマン・ショックですとか、チャイナ・ショックですとか、いろいろな苦しかった経験をこのコロナ禍では活かして、みんなが「次はこうやっていきましょう」という社内のアイデアがどんどん出てきて、それが今になってしっかり稼働しているかなと思います。

【ナレーター】
様々な危機を乗り越えてきた石原のキャリアスタートは、大手家電量販店を展開する企業だった。

当時の仕事のやりがいについて、次のように語る。

【石原】
カメラを売っておりまして、当然、お客様は買うだけではなくて、実際に使って「こんな写真が撮れたよ」ということをまたお客様に教えてもらうことがすごくやりがいに感じたといいますか。

「こうやって撮ったらいいと思います」と、カメラの機能を説明して上手に撮れたということを、いわゆるお祖父様、お祖母様が孫と撮った写真を見せてもらう時というのは、説明しておいてよかったなとは思いましたね。

【ナレーター】
その後も順風満帆の日々を過ごしていたが、当時コメ兵の社長だった父親が突然の病により逝去。

自身のキャリアについて改めて考えた石原は、意を決して現職を退職し、1998年にコメ兵に入社した。

入社当時について、こう振り返る。

【石原】
当時亡くなったときは不安でしたし、当然、私以外のたくさんの先輩たちが活躍されていたので、その方たちにいろいろなことを教えてもらいながら、私の父親が考えたことですとか、会社でやろうとしていることというのも、少しずつ理解を深めていって。

当時はまだ一般社員でしたので、たくさんモノを買って売るということをずっとやっていましたけれども、少しずつ会社の文化や社風ややり方になじんでいこうとしていた時期でしたね。

【ナレーター】
愛知県名古屋市に本社を構えているコメ兵だが、関東の旗艦店として2003年に有楽町、2005年には新宿に立ち上げ、東京へ本格的に進出。しかし待っていたのは想定外の苦労だった。

【石原】
有名百貨店さんの前で中古屋としてどんとお店を構えた時に、一歩道を渡っていただくことの大変さを痛感しましたね。牽引力というか、求心力がまだまだ我々にはなくて。

コメ兵という知名度がある名古屋で店舗を構えるということは、ある意味、東京でやるよりも歴史があったので簡単だったかもしれないですけど、同じビジネスモデルで東京に来たのに、こんなにも通用しないんだという苦しさは、すごく体感したというか。

中古品に対する言葉を選ばずに言えば、ネガティブなイメージが今よりもかなり強かったと思うんですね。新品屋さんと中古屋さんみたいな見られ方で、なかなか前向きには入れないようなイメージを持たれている方が名古屋以上に東京は多いなということをとても感じました。

【ナレーター】
苦境を乗り越え、キャリアを重ねた石原は2013年に代表取締役社長に就任。リユースの需要の高まりが追い風となり、さまざまな挑戦を結実させ、成長につなげることに成功。

その秘訣について、次のように語る。

【石原】
サービスを介してお客様に喜んでいただく満足と感動の提供ということを、我々、昔から大事にしてきているんですけれども。

そういった軸をしっかり持って、みんながタテ・ヨコ・ナナメの関係でいろいろ相談をし合って、お客様のことを思って、何をしたら喜んでいただけるかということを考え抜いてくれているのが当社の強みだと思います。

それで、「こういうことを考えたいんだけれども、どうしても自分だけだと資金が足りないのでプロジェクトとして違う部署の人を集めてもいいですか?目的はこれをやりたいから」というようなことを挙げてくれたり、提案したりしてくれるんですね。

会議でその提案を承認しますとなったときには、各上長たちはそういう承認されたプロジェクトだったら参加してこいということで背中を押してくれます。

緊張しながらも、自分の提案を実現するための予算を取って、会社のサービスとして使っていくということを経験してもらうことも大事かなと思っているので。

どんどん提案してくださいというのは、いわゆる当社の教えではあります。

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経営者プロフィール

氏名 石原 卓児
役職 代表取締役社長
生年月日 1972年9月21日
出身地 愛知県
座右の銘 実るほど頭(こうべ)を垂れる稲穂かな、「One for all,All for One(一人は皆のために、皆は一人のために)」(をモットーに、「現場第一」「お客様視点」で、挑戦し続ける経営に力を注いでいる)
愛読書 「人を動かす」 デール・カーネギー(D・カーネギー)
略歴
英国暁星国際大学卒業後、MBAを取得。

1996年、大手家電量販店ヨドバシカメラにて約2年間従事したのち、1998年コメ兵に入社し、カメラ売場に配属。

その後、時計売場の責任者を経て、有楽町店店長、新宿店店長、営業企画部長、WEB事業室長などを歴任し、店舗開発、販売促進、などマーケティング業務に従事。2011年に常務取締役、2012年に代表取締役副社長、2013年に代表取締役社長(4代目)へ就任。

2020年10月1日から、ホールディングス体制への移行と同時に、コメ兵ホールディングス代表取締役社長を兼任。(2021年4月より、リユース業協会副会長も務める)

会社概要

社名 株式会社コメ兵
本社所在地 愛知県名古屋市中区大須3-25-31
設立 1947
業種分類 小売業
代表者名 石原 卓児
従業員数 連結 1087名(2023年3月)
WEBサイト https://www.komehyo.co.jp/
事業概要 中古品・新品の宝石・貴金属、時計、バッグ、衣料、きもの、カメラ、楽器などの仕入・販売
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