フェスタリアホールディングス株式会社 ~眼鏡から宝石業界へ参入して大逆転!業界の常識を覆した一手~

Vol.1 眼鏡店からジュエリー業界への参入を決めた理由

フェスタリアホールディングス株式会社 代表取締役社長 貞松 隆弥 (2018年6月取材)

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【ナレーター】

何千年も昔から、人々を魅了し続けている宝石。国内のジュエリー市場の規模が変化する中、様々な企業がマーケティングや商品開発に注力し、シェアの拡大を狙っている。
そんな中、ジュエリー業界の常識を覆した商品を世に送り出したことで、一躍脚光を浴び、急成長を遂げた企業がある。フェスタリアホールディングス株式会社だ。

世代を超えて宝石を受け継いでいくというヨーロッパの習慣「ビジュ ド ファミーユ」をブランドミッションの柱に据え、ジュエリーが持つ精神的価値にフォーカスし、国内外に店舗を拡大。夢を叶える2つの星のダイヤモンド『Wish upon a star』をUSP商品として展開し、ジュエリーの精神価値市場において勝ち続けている。

周囲の猛反対を押し切ってのジュエリー業界への参入。しかし、3代目社長はそこに、隠れた勝機を見出していた。

―眼鏡店からジュエリー業界への参入を決めた理由―

【ナレーター】

幼少期、両親が商店を営んでいた関係で、祖父母に面倒を見てもらう機会が多かったと振り返る貞松。そんな中、時計職人の祖父からのある言葉が今でも印象に残っているという。

【貞松】

「お前は将来なんの仕事をしてもいいから、なくならない仕事をやれ。いらんものはなくなるんだ」と言われていました。彼は昭和50年代に時計がクオーツ化された時、相当腕は良かったみたいですが、どんなに腕が良くても仕事がなくなるという経験をしているわけです。ですから、「なくならない仕事をやれ」と。このあとの祖父が言っていた言葉が結構一生の言葉になっています。

【ナレーター】

その後、26歳の時に父が病に倒れ、実家の眼鏡店を承継。既に債務超過だった店舗を立て直すべく、貞松が打った一手がジュエリー業界への参入だった。

【貞松】

26歳のときに2億6000万円を保証しました。本当は逃げようかと思ったんです。でも、実家も親も捨てられず、2億6000万円保証した時に「この業界は難しい」と思ったんです。

眼鏡業界というのは寡占化が進んでいまして、5000億円のマーケット時に当時の眼鏡トップシェアを持っていた会社が1000億円の売り上げがありましたので、この業界で勝ち上がるのは無理ですよね。しょせん、レンズと針金なので、たくさん扱っているところには勝てない。

それなら他の業界は何かないかと思い、色々と探していると、ジュエリー、宝石、これバはブルはじけていましたので、マーケットは急激に縮小していたのです。3兆円あったマーケットが1兆5000億円くらいになっていました。しかし、眼鏡の5000億円の3倍あるわけです。しかも大手から倒産し、寡占化がどんどん緩やかになっていった。さらに、当時の最大手の売り上げが450億円くらい。どちらが参入しやすいかというのは、一目瞭然ですね。いかに宝石業界にパパママストアが多いかが分かります。とすれば、それほど資本がなくてもできる。しかも、大手から苦戦しているマーケットなら今がチャンスだと思って、93年に初めて宝石店をつくったということです。


【ナレーター】

異例ともいえる眼鏡店からジュエリー業界への参入。その発想の原点とは。

【貞松】

もともと、父が倒れて実家に帰る前、ミュージシャンをやっていまして、全く違う畑の仕事をしていました。とにかく食べていけなかったので、バイトをしなければならない。それで、結構長く続いたバイトに、原宿の路上で針金を曲げてアクセサリーをつくるというバイトがありました。女性の名前とかを、その場でつくってネックレスにする。結構売れたんですよ。「ああ、結構アクセサリーって売れるんだ。やはり女性のニーズは高いんだ」という感覚が、もともと原点的にありました。それはマーケットを見る前からあったかもしれませんね。

社長プロフィール

President's profile
氏名 貞松 隆弥
役職 代表取締役社長
生年月日 1961/12/22
出身校 成城大学
座右の銘 夢を持つのは能力だ
愛読書 坂の上の雲

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