デジタルアーツ株式会社 「安心・安全なインターネット環境を我々がつくる。」創業者が語るセキュリティソフトウェアの未来 デジタルアーツ株式会社 代表取締役社長 道具 登志夫  (2021年11月取材)

インタビュー内容

-上場までの様々な苦労と勝ち取った信頼-

【道具】

先ほど申し上げたフィルタリングをつくりました。これはもう秋葉原ではなくて、学校に売りたい。ということで私は、TDK時代にお付き合いのあった販売店さんにそれを持ち込みました。

それで検証していただいて、検証がOKであればそこを通じて学校に売れるという考えで持っていったんですが、検証した結果、製品はいい、だけど取り扱うことはできないというふうに言われました。その次に何を言われたかというと「お宅は5年後ありますか」と。利益は出ていましたけど、わずか10人の会社です。「5年後を保証してくれと言われても分かりません」と言ったら、それなら取り扱うことはできないと言われました。

困ってしまい、つくったはいいが売れないとまずいと。たまたま別の知り合いのディーラーさんに、「僕が独立してこういうものをつくったんだ。持っていったら5年後はあるかと言われてしまい、困っているんだ」と言ったら…これは運命なんですよね。

たまたまその方が、実はある会社がアメリカからフィルタリングを仕入れて、学校に売ろうとしている。この会社がアメリカの仕入れ元と条件が合わなくて、破談してしまったと。学校にはもうチラシも配って、販売を告知したあとにもかかわらず、売る物が無くなって困っている。そういう会社があるから、そこに行ってみたらどうかと言われたんです。行くのでそこを紹介して下さいとお願いしました。

行ったら、5年後、当社が存在するか否かに関係なくすぐに扱うと言っていただけて、2つ返事で販売が決まったんです。

見事に、すぐ売れ始めたんです。そうしたらバグって言うんですが、要はプログラムミスが起きました。すぐにつくった人間が、それこそ北海道から沖縄まで明日直しにいきますと言って、直しにいきました。

昨日まであんなに怒っていたお客様が、直しにいったら喜んでくれたんです。お宅の製品はこれしかないのか、他の製品があったら買ってやるから持って来いと言われて、うちはまだ小さい会社なのでこれしかないんですと言うと、そうか、よく来てくれたとほめてくれました。

あの会社のプログラムはおかしかったけどすぐに直しに来た、あの会社のものはトラブルが起こるとすぐに直しに来るというのが全国に広まったんです。それが今のベースですね。

ちょうど2000年のネットバブルで、これからはベンチャーの時代というブームで、日本もそういう世の中になってきて、当社の課題はもっと広く売りたいということでした。

企業向けにも売りたいし、このフィルタリングをもっともっと広げたいと言ったときに頭に浮かんできたのは、「お宅5年後ありますか」というあの言葉なんです。ああいうことを言われないで、安心して当社の製品を扱っていただくには、上場するしかないなと。

上場できたら私個人の会社ではなくなり、色々な資本が入って、社会的な信用がつき、もう会社の存続を疑われることがなくなる。そうなれば、もっとこの製品が広がるんじゃないかという、夢や欲のようなものが出てきました。

当社も2000年代に上場したいと思ってはいたんですが、結局上場できたのが2002年9月ということで、出資をいただいてから2年半かかりました。

まずは販売店を増やしていく中で、お宅は誰ですか、大丈夫ですかというのは一切なくなりました。逆にそこから先は会社を疑われるよりも、当社の社員のレベルを疑われる方が課題になりました。優秀な営業マンかそうではないかとか。

あとは製品です。当社の製品がいいものなのか、機能的か、お客様のニーズに合っているのか。会社を疑われていた時代から、今度は社員や製品の質などに目が向けられて、ここは今でも課題で、多分エンドレスな課題です。

どんなに会社が大きくなっても、お客様とうまく付き合える優秀な社員をいかにつくるか、出会うかです。ですので、人が良くて製品が良ければ特に壁はなく進むことができますね。

-自由時間から生まれたメイン商品-

【道具】

その当時、皆さん電話回線でインターネットしていたので、課題は電話代の請求だったんです。そういう課題に対しては、今いくら電話代がかかってますよというのがパソコン上で常に出ている。また、1日30分まででインターネットが自動的に切れるというようなツールをパッケージにして売ったりしていました。

マルチブラウザというのは、少しネットショッピングサイトが出てきましたので、その当時テレビが、4画面テレビとか、6画面テレビが出てきたんです。要は番組を小さくたくさん見られるということです。ブラウザにもそれがあったら便利ではないかと。たとえばカメラを買いたいが、このサイトでは1万円、このサイトでは1万2,000円、と比較するようなオリジナルのブラウザをつくって出しました。

次に出すものに迷ったというか、何をやろうかというときに当時、ラオックス・ザ・コンピュータ館が東京の秋葉原にできました。ここがインターネットのはしりで聖地だったんですが、99%が輸入物です。アメリカのソフトを並べて販売していました。

そこに行って店員さんに、なにが売れ始めましたか、と聞いては買ってきて、当時会社にいた人達にこれが売れ始めたらしいからこれを1カ月半でつくってくれと言って発売しました。要はアメリカで恐らく何百人がかりでつくったソフトを、学生アルバイト4〜5人で1カ月半でつくってするというのをやったんですよ。

なぜ1カ月半かというと、これは音楽でも同じなのですが、ソフトが売れて、売れ終わる。このライフサイクルが短いんです。大体3カ月から半年。売れ始めてきたよというときに二番煎じをつくると、一番は超えられないのですが、一緒に売れるんですよね。ほぼ努力せずにつられて売れるんです。

そういうことをやろうとすると、これが売れはじめるタイミングで、次はこれと同じもの、もしくは少し工夫がされたものをつくらざるを得ない。そうすると開発期間は1カ月。発売まで1カ月半というのも3本目から始めました。そういう元々売れそうなものをつくっているので、3カ月くらいは食べていけるんです。

要は3カ月です。1カ月半徹夜し、発売しました。残りの1カ月半は自由です。社員には会社には一応来い、だけど何をやっていてもいいよと言いました。それで、また1カ月半、自由に作品をつくっている。

次も何かを買ってきて、次はこれだと。また一カ月半でつくろうとして1カ月半徹夜します。でも残りの1カ月半は自由。それを年4回繰り返すんです。すると年に4本つくれるんです。それで開発者、僕らもそうですが、要は1年のうち半年間は徹夜して、半年間はフリーというのを2年ぐらい続けたんです。十分食べていけましたし、それなりの利益も出ていました。

自由な1カ月半でメイン事業のアイフィルターの原型ができたんです。実はあの当時はネットの有害情報が結構問題になりつつある状態で、その自由な時間で、あるプログラマーから、ホームページにあるキーワードによって、ブラウザを真っ白にしてしまう、もしくは表示するというのを切り分けるツールをつくったんですよ、と言われたんです。

最初は僕も、へえ、なんか面白いね、って言っていたんです。そのときふと思ったのは、学校教育をやっていたので、これから学校の授業でパソコンが使われていくというのは知っていたんです。一方インターネットは有害情報だらけだったので、こんな状況で学校がパソコンのインターネットで授業することはできない。

要はこのツールを使用して、子供には見せたくないサイトをコントロールするソフトをつくったら、少なくとも学校にはニーズがあるはずだ、よし、このソフトをつくろうと。そこから1年かけてフィルタリングをつくったんです。まさに自由時間から生まれた発想で、この会社の今があるんです。

-起業するために選んだ道のり-

【道具】

何か商売をやるにしても、まず営業だろうというところと、あとはその当時給料が良かったというのもありますが、ご縁もあってフォーバル社に入らせていただきました。

当時のフォーバル社はちょうど上場前のタイミングで、OA機器を販売している会社でしたが、自分を形成する中で、フォーバル社に入ったことは非常に大きかったです。

1から10まで教えていただいたといいますか。数字に対してすごくシビアでしたので、厳しさとか、会社というよりも社会ってこんなに厳しいんだなということを学んだのと、コミュニケーション能力とか交渉力などを短い間でしたが非常に学べて、今があるのもフォーバル社での経験があったからといいますか、入社させていただいたのが一番良かったかなと思います。

フォーバル社では営業を経験しました。次を考えたときにモノづくりだろうと。コンピューターというテーマがありましたけれど、コンピューターといってもハードウェアではなくソフトウェアのイメージでしたので、モノづくりだということでプログラム。

そうすると自分はさらに教えてもらう立場なので、極端なことを言うともっと小さい会社に行こうということで、同じ渋谷だったのですけど、社長と部長しかいないワンルームマンションの一室でやっているような会社に行きました。その理由はプログラムを学べるということだけでしたね。

そこに入社させていただいて、その部長には最初の言語を、本当にいちから、半年ぐらい教えていただいて、そこではプログラムそのものの勉強からソフトをつくるということを学びましたし、また、小さい会社のいいところ、悪いところも体験しました。正社員ではない状態でクライアントのオフィスの中に、大体平均すると1社あたり半年くらい常駐をするという立場も経験しましたし、いろいろなことを学べました。

次に入社したのはTDKの子会社TDKコアという会社です。昔は本当に磁気のカセットテープをつくったTDKが、世の中に普及させるためにどうしようとなったときに、中学校の英語の音声をカセットに吹き込んで、それを本屋さんで売るというビジネスを始めたんです。

これが大ヒットして、TDKから独立して子会社化して、教育教材、教科書にピッタリ合った教材をつくる会社としてできた、TDKの中でのソフト会社みたいなところに就職しました。入社した目的は、これまで営業をやって、プログラムが分かった。では今度は商品化する、もしくは事業計画とか、損益とか、トータルなところを経験しないと独立できないというところで、製品企画という部署に入りました。

以前からインターネットはなんとなく少し日本に入ってきていたのは分かっていて、Windows95がポピュラーに一般の方まで、インターネットに触れるひとつのきっかけになりました。私自身もその当時はそんなに詳しくはなかったです。Windows、もしくはインターネット、メールというものが世界を変えるらしいと。このきっかけを逃したらまずいということで(会社を)つくりました。

-世界市場への挑戦-

【道具】

おかげさまで、日本においては『アイフィルター』も『メールフィルター』も、6割弱程のシェアをいただいております。ファイナルコードも毎年5倍の伸びです。去年(2015年)も前年比で5倍、今年(2016年)も多分そのくらいは伸びると思っています。

次は海外です。2015年4月にシリコンバレーにオフィスをつくりまして、2016年2月にシンガポールにオフィスをつくりました。夏までにはイギリスにもつくる予定です。この3拠点ができますと、アメリカ、アジア、ヨーロッパという展開になるわけです。

これまで当社はどちらかというと日本を中心に、この場所でつくったものを日本のお客様に提供していました。これまで日本でビジネスをさせていただく中で、海外から入ってきた製品に対して、当社は迎え撃って競争して、勝つことができました。

これからは、当社がつくったものが日本のお客様に売るだけではなくて、世界のお客様にチャレンジしていくことを2015年から始めました。1年間やってみて、非常に好感触を得ています。世界の人達がインターネットに求めるものはセキュリティで、日本の人達と共通していると思っています。

それを日本人特有の細かさで、かゆい所に手が届くような品質、機能の製品がつくれたら、時間はかかるかもしれませんけど、世界を席巻できるんじゃないかと信じていますし、まさにそういう想いや目標をもって、トライしています。

情報漏洩とか標的型攻撃ということで、かなり社会が変わりました。今まではファイヤーウォールとか、アンチウィルスソフトで対策できていたのに、もう対策ができていない。しなければいけない状況に大きく変わりました。

それによって、私たちも年10%の成長しかできていなかったのですが、私たちのビジネス、製品に注目していただけるお客様が急に増えて、年30〜40%の成長ができるようになってきたのが、ここ2年間の変化です。

こういう変化が起きると、対策が終わるまではしばらくは伸びていくかなと思います。このことは日本だけではなく、攻撃というのはもうグローバルで、国境に関係なく起きておりますので、日本のお客様にまず、そういう対策をして、そのノウハウを踏まえて、『ファイナルコード』だけではなくて、他の製品も海外のお客様にも提供していきたいと思っております。

私たちの製品のご要望というのも、1年で3倍くらい増えています。そのくらい市場が活性化してきていますので、その期待に応えられるように製品開発や、営業の強化をしていくように、社員一丸となって頑張っています。

-”自由”な働き方と視聴者へのメッセージ-

【道具】

前職のTDKコアの働き方は自由だったんです。要するに小さな商店の集まりのような文化だったんです。

自分で会社に対して製品プラン、事業プランを出して、会社がそれにOKを出せば、会社から費用を出し、アウトソーシングして、それをつくって自分たちで販売するという形だったので、自分の評価というのは、自分が企画した製品がどれだけ売れて、どれだけ会社に利益をもたらしたかです。とにかく何を企画してどれだけ儲けたかという働き方をしていました。

自分の会社も、まずは自由。とにかく誰かに何かを言われてするのでなくて、やりたい仕事を自分で発想してプランを立てて、実行して、チェックする。それが一番人間のモチベーションが上がる働き方だと思いました。

極力何かをやれと言うのではなくて、いる人の想像力を仕事にできるように持っていこうとしました。あとは、このITの世界では受諾開発、誰かに依頼を受けて、納品をしてお金をいただくというのがかなり多いのですが、それは一切やらない。

とにかくメーカーである。メーカーというのは自分たちがいいと思ったものを自分たちのリスクでつくって、自分たちで売って、売れなければ収益になりませんが、売れたら自分たちが一番儲かる。

テーマは「自由」ですね。要は自分がいろいろ想像をしたものを、自分でプログラムして、お客様に買っていただくということをしたい人がメーカーへ行けます。やっぱり与えた仕様書通りにつくって納める人は当社には来なくて、受託開発の方に主に行きます。

当社に来る方っていうのは、とても想像力があったり、モノづくりが好きな人。自分でつくったもので社会に影響を与えたいという人が開発には多いです。それ以外の人達は、まあベンチャーですので、実績を出して、立場も報酬も上げたいという方が多いですね。私もそういう想いをもって来ているので、過去の経験、もしくは想いを尊重したいと思っています。ですので、自由ということになりますね。

-視聴者へのメッセージ-

【道具】

2015年は当社の創立から丸20年経ちまして、今年で21年目になりました。国産のセキュリティソリューションということで、国内のみならず今は世界に対してチャレンジしています。メイドインジャパンがいつか世界に通用することを信じて、日々頑張っています。これからも応援よろしくお願いします。

【ナレーター】
Webやメール、ファイルなどのセキュリティソフトウェアを核に事業展開する、情報セキュリティメーカー・デジタルアーツ株式会社。

「より便利な、より快適な、より安全なインターネットライフに貢献していく」という企業理念のもと、主力製品『i-FILTER』を中心にさまざまなサービスを展開。

近年では、多様化するサイバー攻撃からユーザーを守る新たなセキュリティジャンル「ホワイト運用」を提唱。新サービスの利用実績が累計900万ライセンスを突破するなど、革新的な技術を世に提供し続けている。

革新的な技術を提供し続ける、パイオニア企業立ち上げの軌跡と創業者としての信念、今後の展望に迫る。

【ナレーター】
2021年、デジタルアーツは新たなセキュリティジャンルとして「ホワイト運用」を提唱。ジャンルの確立に込めた想いに迫った。

【道具】
2021年時点で、合計900万ライセンス、年間200万ライセンスを使用いただいております。現段階でサイバー攻撃の被害報告は“ゼロ”です。加えて、国産であり、かつこのような機能を有しているものは他にありません。そのようにして、フィルタリングメーカーからセキュリティメーカーに変化することができました。

残念ながら今まで提供されていたセキュリティ対策にはどうしても「抜け」があり、人への教育が併行して行われないと防げないという状況がありましたが、その課題に対して私たちは「それは違う」と。ソフトウェアで不審なメールを受信しない、という世界が本当あるべき姿だという想いで制作しています。

【ナレーター】
デジタルアーツの原点は創業者である道具の学生時代にまで遡る。起業を意識したのは、偶然見たあるニュースだった。

【道具】
「21世紀はコンピュータが普及してエンジニアが200万人足りなくなる」と。

「ああ、これからそういう時代になっていくんだ」「それだけのニーズが出てくる時代が来るのだ」と思いました。そのニュースを見て、「方向性はこれだな」と。その感覚は今でも覚えています。

ものづくりも好きでしたので、「コンピュータを使っていろいろなものがつくれるのではないか」というところでは、ベースがつながっていったという感じですね。

【ナレーター】
起業に必要な力を身につけるため、プログラムと簿記を習得後は、当時成長中だったOA機器の販売会社へ営業職として就職。

営業の基礎を学んだ後、プロのプログラマーとしての経験を積むために自分を含め従業員数3名の会社へ転職した。当時の経験から得た学びについて、道具は次のように語る。

【道具】
そこで体験しましたのは「お客様が何を求めるか」、あとは「品質」ですね。

何十本のプログラムが固まって、ひとつになって連携をなす。そのひとつの部分を、自分がコーディングする。今私たちがメーカーをしているベースでいうと、十数人のためにそのような苦労をしていましたけれども、やはり自分たちがつくったソフトをもっと多くの人に使ってほしいという想いを強く持ちました。

ただのプログラマーではなく、メーカーとして自分たちのつくったものが広く普及される仕事にしたいな、というのは強く思いました。

【ナレーター】
ソフトメーカーを立ち上げるべく、大手メーカーへと転職し、製品企画やブランディングのノウハウを学び、1995年、満を持してデジタルアーツ株式会社を創業。記念すべき1つ目の製品とその開発秘話に迫った。

【道具】
アルバイトの子と「インターネットで何か課題はないのか」と意見を交わし合いました。議論の中で、学生アルバイトが「先月の電話代がとても高かった」と言ったんです。

当時は、電話代を払ってインターネットをやっていた時代で、今のように使い放題のサービスではありませんでした。

「じゃあ、いくら電話代がかかっているか集計するソフトはどうだ」ということで、インターネットの通信料を集計する『ネットタイマー』というソフトを製作しました。

パッケージをつくり、店頭で売っていただきました。本当に感動しましたね。昨日までワンルームマンションの机の上にあって、このネーミング、このデザイン、このロゴ、このマニュアル、全部自分がつくったものなんですよ。

あまりにうれしくて、自分でも1本買いました(笑)。

【ナレーター】
ソフトウェアメーカーとしての第一歩を踏み出した道具は、学生のアルバイトにもっとクリエイティブになってもらおうと、週に数時間、自由な時間を設けるという、当時では珍しい取り組みを行った。

その中で生まれたのが後の主力製品である『i-FILTER』の原型だった。当時、有害情報の乱立が社会問題になっており、道具はこの製品を見た瞬間に次のように考えたという。

【道具】
「これは子ども向けにできる、このまま製品化しよう」とひらめきました。そこから一年かかりましたが、実はこれが『i-FILTER』の原型です。

1997年に『i-FILTER』の原型をつくり、98年には日本初の国産のWEBフィルタリングソフトの製品化に成功しました。

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経営者プロフィール

氏名 道具 登志夫
役職 代表取締役社長
出身地 東京都
座右の銘 想えば叶う
愛読書 ハーバード流交渉術(YESを言わせる方法)
略歴
1995年6月 デジタルアーツ株式会社 設立
2011年4月 Digital Arts America,Inc. Director, President & CEO
2012年6月 Digital Arts Investment,Inc. Director
2014年4月 FinalCode, Inc. Director President & CEO
2016年4月 デジタルアーツコンサルティング株式会社 代表取締役会長
2016年9月 Digital Arts Europe Limited Director

会社概要

社名 デジタルアーツ株式会社
本社所在地 東京都千代田区大手町1-5-1 大手町ファーストスクエア ウエストタワー14F
設立 1995
業種分類 情報通信業
代表者名 道具 登志夫
従業員数 257名(2024年3月31日現在)
WEBサイト https://www.daj.jp/
事業概要 インターネットセキュリティ関連ソフトウェアおよびアプライアンス製品の企画・開発・販売
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