アートグリーン株式会社 ~胡蝶蘭ビジネス成功から紐解く、ビジネスチャンス発掘のヒント~

Vol.1 経営者を志した意外な理由

アートグリーン株式会社 代表取締役 田中 豊 (2017年7月取材)

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【聞き手】

本日は、2015年にフラワー業界で初めて株式上場を果たされました、アートグリーン株式会社代表取締役社長・田中豊社長にお話を伺っていきたいと思います。社長、よろしくお願いいたします。

【田中】

よろしくお願いいたします。

―経営者を志した意外な理由―

【聞き手】

幼い頃から、社長になるのは決めていらっしゃったのでしょうか。

【田中】

そうです。創業の原点はその頃にありますね。

家庭環境も、父にはたくさんの兄弟がいたのですが、サラリーマンは一人もいませんでした。そういった家庭で育ったので、何となく子供の頃から、人に使われる人生ではなく、自立したいという気持ちがありましたね。祖父や祖母も似たようなことをしょっちゅう言っていたので、そういう意識の中で育ったというのも影響しているのかもしれません。

【聞き手】

(その意識が)物心ついたときから、当たり前のようにあった、と。

【田中】

そういう環境で育った、というのが一つと、もう一つ、小学生の頃に大きないじめに遭ったことも原因の一つでした。今振り返ればそこまで強烈ないじめではなかったとも思うのですが、当時は、自分は何のために生まれてきたのだろう、と思っていました。勉強もできない、学者やスポーツ選手になるわけにもいかない、女性にモテるわけでもない、俺の人生はどうしたら取り返しがつくのだろう、と考えていた時に、社長になるしかない、と思いました。何の社長になるかはわからなかったのですが、社長になってベンツに乗って、同窓会で名刺を出して同級生に「お前、こんな大きい会社の社長やってるんだ!」と言わせることでしか、自分の人生は取り返しがつかない、と思ったのです。ですから小学生の時点で社長になる、というのは決めていましたね。

【聞き手】

そうした環境で育っていると、進学するうちに雰囲気も変わっていくように思うのですが。

【田中】

高校生になるといじめもなくなり、内気だった性格も外交的になって、たくさんの友人ができました。「ああ、明るく元気でいれば仲間も増えるのだな」と実感しました。そのときにはもう、何かを自分の力で成し遂げる、という指針が心の中にありましたね。

【聞き手】

そして、ちょうどバブル絶頂期に大学生だったわけですよね。

【田中】

そうですね。私は昭和63年に大学を卒業したのですが、その前後はこの日本という国の景気が一番良い時でした。何をやっても儲かるような時代だったので、社会人になるときはそれが当たり前だと思っていましたね。近所のおじさんが塗装屋をやって儲かっていたり、隣にある八百屋も儲かっていたりと、サラリーマンとして勤めて毎月同じ給料をもらうのではもったいない、とさえ思える時代でした。

【聞き手】

ちなみに就職活動はなさったのでしょうか。

【田中】

はい、しました。石の上にも三年、とよく言われるように、大学を卒業してから3年ほどは誰かに仕えて、世間のことをしっかり勉強した上で、25歳で会社をつくる、というのを大学時代に自分との約束として決めました。

会社を立ち上げる資金も、今と違って株式会社では1,000万円、有限会社では300万円必要だったので、少なくとも1,000万円貯金できるくらいの会社を探していました。営業で成果を上げたら毎月の給料とは別の報奨金がもらえる会社はないだろうか、と思っていましたね。すると、たまたまSTTという会社に入られていた学校の先輩から、ゴルフの会員権を毎月三つくらい売ると、月給とは別にこれだけの報酬がもらえるよ、と聞いていたので、そこに就職しよう、と思いました。

社長プロフィール

President's profile
氏名 田中 豊
役職 代表取締役

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