
インタビュー内容
―起業後に発覚したまさかの落とし穴―
【聞き手】
いざ会社を立ち上げる、という時は、まず何で起業されたのですか。
【田中】
3年8カ月間営業マンだったので、行ってきます、と言っていろいろな所に営業に行くのですが、その間は結構自由に行動できるのですね。そこで図書館に行って、今の時代ではどういった商売であれば資金や免許を要さずに起業できるか、将来性があるか、といったことを考えていました。
【聞き手】
働きながら情報収集をしていた。
【田中】
そうですね。
そして、はたと自分の会社を振り返ってみると、およそ5,000万円かけて、土地が自分たちのものになるわけではないような物を買う方たちの層に向けて営業をしていたので、営業先には偉い方たちが多いのですよ。そこで、偉い人たちはどういったことが好きなのか、どういったことを趣味にしているのか、調べてみよう、と思いました。 その時に、たまたまSTTの社長が、5,000万円のものを買ってもらっているのだから、三つのうちからどれかプレゼントしなさい、と言われているものがあったのです。 一つは、三越のボヘミアングラスというクリスタルグラス。5万円でした。もう一つは、明治屋の神戸牛。これも5万円でした。そして最後に、ゴトウ花店の胡蝶蘭。これも5万円でした。5万円の予算の中で、社長さんが一番喜びそうなものを選んで、自分の手で持っていってお礼をしなさい、というのが会社の約束事だったのですね。
そして、あの社長さんお花好きそうだな、盆栽やっておられたな、という方には胡蝶蘭を贈っていたのですが、調べてみると会社全体で、月間1,000万円ほどゴトウ花店に払っていました。その時に「この注文をもし自分の会社で受けられたら、それで生活できるな」と思ったんですね。
もう一つ、何でそこに行ったかというと、ここに1冊の本があります。これは『役員四季報』といって、1993年のものですね。ちょっと見ていただくと分かるのですが、ここに会社名が載っていて、その下に役員の名前が載っています。そして最後に、趣味が載っているのですね。絵画、ゴルフ、園芸など。世の中を動かしているお金持ちたちの趣味は一体何だ、と思いました。調べてみると、1位が読書、2位がゴルフ、そして、3位と4位が同じくらいで、園芸と旅行なのですね。
「あれ、ちょっと待てよ」と思いました。うちの会社が贈っている胡蝶蘭だけでも毎月1,000万円ほどあって、偉い人たちの趣味で園芸が3位か4位にランクインしている、と。それなのに、園芸業界には大きな会社が一つもない。人が生まれる時、結婚する時、亡くなる時、お花というのはつきものですし、年がら年中どこかでお花が贈られています。そしてお花を贈られた人は大喜びします。そういったことを考えると、この現状にヒントがあるのではないか、と思いました。そうして、私は元々お花が好きではなかったのですが、ビジネスとして胡蝶蘭事業を始めようと思ったというのがきっかけでした。
【聞き手】
フラワービジネスをやるにあたって、商品を胡蝶蘭に絞り、一点突破しようと目を付けられた辺りもさすがだな、と思います。
【田中】
お花、となるとたくさん業者さんがいますので、「これならあいつだ」という属性別の一番にならないと、小さい企業が一点突破していくのは難しいので、胡蝶蘭で勝負しようと決めました。
【聞き手】
その発想はすぐに会社の業績に表れたのですか?
【田中】
いえ、最初は全く売れませんでしたね。私は自分の会社で胡蝶蘭の注文を受ければいい、と思って独立したのですね。その時は非常に円満退社だったので、秘書室の同僚から「注文は田中の所に頼むから」と言われたので、とりあえず安定した売り上げは望めるな、と思って創業しました。
そして、STTで共に働いていた同期を誘って創業し、有限会社アートグリーンを2人でつくりました。それが1991年12月ですね。最初は僕一人で事業をスタートさせ、半年ほど経った頃にその同期が入って、STTに営業に行くと、秘書室の同僚は分かった、と言ってくれました。しかし、いつになっても注文が来なかったのですよ。どうしたのだろう、と思って聞いてみると「田中、本当に申し訳ない。俺はそんなに難しいことじゃないと思っていたのだけど、社長にこの話を持ちかけたところすごく怒られた」と。
なぜかと言うと、「田中は三越じゃないから」ということらしいのですね。つまり、ボヘミアングラスも、そこら辺に売っているグラスではなくて、三越のボヘミアングラスだから、(相手先の社長は)高いものをもらったと思うのだ、ということです。創業して間もない有限会社アートグリーンの花では贈答の効果がない、と言われたそうです。その一件で、ブランドというものがすごく大切なのだ、というのが分かった時には、もう創業してしまっていたのです。
注文は1件も来ませんでした。一緒に創業に参画してくれた同期は、私と違って6人くらいの部下を持っていて、年収も1,000万円を超えるような人でしたから、彼の人生を狂わせてしまったな、という思いもあって、創業当初は2人でものすごく苦労しましたね。
【聞き手】
そういった状態がどれだけの間続いたのでしょうか。
【田中】
本音を言うと、4、5年続きました。黒字になるまでに5年くらいかかっていると思います。
【聞き手】
辞めよう、と思ったことは?
【田中】
私はないのですが、もうひとりの人間を僕が誘って引きずり込んでしまったので、申し訳ないと思い、彼にそういう話をしたことは何度かあります。合併の話もありました。
手前みそになってしまいますが、2人とも営業としては確かな腕を持つ営業マンでしたから、君たちうちに来ないか、といった話や、うちの事業部の一つとしてフラワービジネスをやらないか、といった話をいただきました。その都度彼には、申し訳ないからそこに入るか、という話をしたのですが、いい大人が2人でやると決めたのだから、本当にダメになるまで頑張り抜いてみよう、と言ってくれたので、辞めずに済みました。
―アートグリーンを変えた大きな転機―
【田中】
沖縄にたまたま僕らが仕入れをしていた大きな建設会社がありました。その会社の新規事業として、胡蝶蘭ビジネスを興しましょう、ということで、南国から全国に胡蝶蘭を販売していた会社でした。
うちはそこから仕入れをしていたのですが、時代の流れとともにその会社も景気が悪化し、本業であるゼネコンの事業も不調な中、胡蝶蘭をはじめとする新規事業は全て撤退する、という話になりました。その時、建設会社さんから「うちはもう胡蝶蘭事業を辞めるので、申し訳ないからうちの事業をそっくりそのままやるか?」と言われたのですね。当時はM&Aなどという言葉もなく、そんなに大きな事業を引き受けるのは難しいと思っていたのですが、「顧客も農場も、このプロジェクトの中で必要なものを無償で提供し、不要なものはこちらで処理する。花も田中さんの好きなところから仕入れていいから、お客様に迷惑がかからないように花を出荷してあげてくれないか」、という話をいただきました。
当時、うちは2、3人の規模でありながら代理店の中では一番売っていたので、そういったチャンスをいただけたのだと思います。そうして、真剣に業務に取り組んでいる農場の方、営業の方を迎え入れました。また、三越さんや東京ガスさんといった大手企業が取引先に並ぶ、沖縄の巨大企業グループだったので、それを一気にもらえて、一瞬のうちにメーカーになることができました。
【聞き手】
その時のビジネスというのは、今の御社の独自のモデルとは異なるものですよね。
【田中】
そうですね。その時は胡蝶蘭のメーカー、卸売会社として花屋さんに商品を卸すことで売り上げを上げていたのですが、当時ユニバーサル証券という会社があって、そこは僕がSTTでゴルフの事業をしていた時に担当していた会社でした。その縁もあって秘書室長さんとすごく懇意にしていただいて、そこの年間注文は私たちが全部もらっていたのですね。
するとある日、その秘書室長さんから呼び出されて、「田中くんの所に注文ができなくなりそうだ」と言われました。ある神戸の花屋さんで、すごく多くの証券を買ってくれた企業があり、神戸支店からの要請でユニバーサル証券の社内全体で贈答品はその花屋さんに依頼せよ、という命令が来た。だから田中くんには頼めなくなりそうだ、と言われたのですね。その時、私たちにとってユニバーサル証券さんはすごく大きなお客様だったので、これは大変なことになる、と思っていました。すると、その秘書室長さんが苦肉の策で考えてくれたのですが、「1、2年神戸の花屋さんに発注したら田中くんの所に戻す。けれど、自分がその時に秘書室長であるとは限らないから、ユニバーサル証券の子会社に10%くらい(資金を)落とせないか?」と聞かれました。
大丈夫ですよ、ということで、つばさ証券という子会社に、紹介を受けて行きました。そこの社長さんが「これは面白い」と。「うちは、取引先が上場すると必ずお花を出している。すごい金額だけれど、よくよく調べてみると、どこに頼むのかという明確な規定はない。神戸の花屋さんに取引先が変わった時もお願いされたからそうしただけで、中核に入って注文を取るような会社がない。だからそれを自分がやってあげるよ」と、その社長さんが言ってくれました。すると、その社長さんが全部一網打尽にするので、今までの秘書室からもらっていた注文より多くの注文を受けるようになりました。こういう関連会社は世の中にたくさんあるのかもしれない、と思い調べてみると、3,800社ほどある上場企業のうち、2,000社は商事系の関連子会社を持たれているのですね。
そこで方向を転換しまして、そういった関連会社にマージンを落として、お花のビジネスをしませんか、と持ちかける営業を展開していきました。そうすると、大きい会社の子会社にはそういう関連会社が必ずあるので、そこにたどり着くまでの方法論は難しいのですが、そういう提案をすると、在庫管理、配達といった工程を全てうちが担当しますから、こういう生ものであっても、リスクがゼロなのですね。さらに、親会社に商品を売るので、売り上げの未回収が発生することもなく、労せずして利益が上がるので皆さんにも喜んでいただきました。そこから1社1社取引先が広がっていき、ステージが変わった、というのが今のうちの状態ですね。
【聞き手】
外に払うお金も、売り上げに立ててしまおう、という発想ですよね。
【田中】
子会社に出てくる利益というのは、連結ベースで考えた時に、外に現金が出ていませんから、グループ全体から見ると経費削減モデルになります。
一方、関連会社から見ると親会社のマーケットを使うことで売り上げと利益を上げているので、そこに一つの新しいビジネスが興ります。グループから見ると、例えば3万円で買っていたものを、払うのは3万円ですが、うちから請求するのは2万円ですので、1万円の現金は外に出ていない、ということになり、経費削減モデルなのですね。大手メガバンクで言いますと、年間1億円ほどをお花の購入に使いますから、それがそっくりそのまま経費削減につながりますし、関連会社としては、今までになかったビジネスにリスクなしで参入できるということで、非常にWin-Win-Winで、皆さんに喜んでいただけるようなビジネスモデルになっています。
―夢をかなえるための考え方―
【聞き手】
上場というのは、会社を興す段階から意識されていたのですか?
【田中】
STTにサラリーマンとして勤めていた時から、上場会社をつくろう、と思っていました。
というのも、STTで勤めていた頃、2種類の社長さんにお会いすることができたのですね。どちらもお金持ちではあるのですが、例えば、社長さんは日曜日にゴルフコンペにいらっしゃるので、写真を撮って、またお届けをして、どこか紹介してください、という営業をするために、朝社長さんの元に伺ってご挨拶をするのですね。その時、2種類の社長さんの特徴を顕著に見ることができます。
黒塗りの車に乗っていらっしゃって、「おはようございます。本日も一日よろしくお願い致します」と、すごく丁寧な社長さんがいるかと思えば、オープンカーに乗ってきて、一回りぐらい若い彼女を横に乗せて、「成功してるんだぞ」というような、若干鼻にかけるような、横柄な態度でいらっしゃる社長さんもいるのですね。こうした2種類の社長さんを見た時に、後者の社長さんの方がすごくもうかっているのかもしれません。でも前者の社長さんは、大体が上場企業の社長さんです。どこかで誰かに見られているかもしれない、という意識を持っています。それは株主かもしれないし、上司かもしれないし、取引先かもしれない。その姿を見た時に、非常に品が良く育った経営者だと感心しました。
そして、経営者になるならば、誰に対しても腰が低く、丁寧な社長になりたい、と思いました。そういう観点でSTTのときに出会った社長さんを割り振ってみると、そういう人たちは皆さん上場企業の社長なのですよ。当時は上場企業というのが何なのか、分かっていませんでしたが、上場企業の社長さんのような人生を送り、そういった人格を持った経営者になりたい、と思いました。
【聞き手】
今、まさに上場企業の社長になられたわけですが、ご自身はいかがでしょうか。
【田中】
上場企業になった、と言って良いのかな、こんな小さい会社では。まだまだこれからではありますが、人生は一度しかありませんよね。その中で、自分が目指した目標、やろうとしたことが思い通りにいかないことがたくさんありますが、サラリーマン時代、すなわち今から27、8年前に思っていた夢が、長い時間を経てかなったというのは、本当に運が良かったと思いますね。自分が言ったことのスタート地点に立てたわけですからね。
【聞き手】
自らこうする、と決めたことは何としてもかなえよう、自分との約束を守ろう、と。
【田中】
僕は、人の夢というのは絶対にかなうものだと思っています。私の知り合いの経営者を見ていますと、強い思いと共にスタートすることと、その思いがかなうまでは辞めない、という人たちしか成功していないのですよね。事業を始めて、かなうまで辞めない。成功する人は皆さんこれしかやっていないのですよ。
普通は途中で何かしら理由をつけて辞めてしまう。夢はここに厳然としてあるのに、結婚、年齢的な問題など、何か理由をつけて夢から逃げているのは自分です。思いがかなうには時間がかかるかもしれませんが、その思いに社会性があり、一般的通念とずれておらず、思いがきれいであれば、必ずお天道様は見ていて、かなうのだろう、と先輩の経営者を見ていて思いました。「途中で辞めなければ思いはきっと成るんだ」ということだけを考えてやっていたら、たまたまではありますが、その通りになったので。
【聞き手】
やはり、成功するためには継続が絶対的に重要だと。
【田中】
とはいえ、目標は人それぞれ違うので、何が良い、何が悪いということではないですよね。
例えば、これは違うな、と思った時に辞めて、「あいつはころころ変わるやつだな」と世間から言われたとしても、その変わった先が成功であれば、最終的な結果としては成功、ということになります。ですから、何が良い、という答えはないのだと思いますね。
しかし、大きな目標を達成するのにはやはり「努力・忍耐・時」が繰り返されていないといけないと思います。努力がなかなか目標に結びつかず、我慢しないといけない忍耐の時もあります。そして「ここだ!」という時が来るのですが、それを何回か繰り返しているうちに大きな夢に近づいているのだろうな、とは思いますね。
―“6次産業ビジネス“で新たな境地を―
【聞き手】
胡蝶蘭の市場だけでも、300億円くらいあるのですよね?
【田中】
そうですね。250億円くらいありまして、お店で枯れてしまい、売れていないものを引くと、200億円くらいは、北海道から沖縄まで年中誰かしらが贈っているマーケットがあるんですよ。
【聞き手】
そんなに大きな市場があることにたいへん驚きました。
【田中】
植物のような生ものは、開発が非常にゆっくりなんですね。ですから、胡蝶蘭の跡継ぎとして贈答品になるような花は未だにないのですよ。もし、儀の世界が無くなって、贈答品そのものが不要、ということになれば、うちもそうですし、百貨店も大変なことになると思うのですが、そういうことがない限り、高級な花を贈るときは胡蝶蘭を贈っておけば安心、という世界はもう少し続くと思います。
ただ逆に言えば、胡蝶蘭に代わるような贈答品としてのフラワービジネスを提案するのは、当社であるべきだと思っています。胡蝶蘭の次はこれですよ、と提示する役目もあると思いますね。
【聞き手】
今、こういうことをやりたいな、と考えている新たなビジネスの構想などはありますか?
【田中】
たまたま私どもは今、ソーシャルビジネス的に、生産者が自分で花をつくって自分で値段を決めて出荷することができる状態、これを6次産業化というのですが、そこで生産者とのコラボ事業というのを考えています。私たちは既にネットワークを持っていますので、私たちとコラボすることで、良い商品さえつくれば私たちの手で流通させることができる、というコラボ型の6次産業化を、最初に海老名で行い大成功を収めました。現在は山梨県石和町(現・笛吹市)、千葉県旭市と、3県の農家さんとタッグを組み、自社農場の経営という形でビジネスをさせていただいています。そして非常に良い商品ができまして、私どもの会社でしか買えない品質、ということでブランド化に成功しました。
さらに、企業が障害者雇用の農場をつくり、特例子会社で胡蝶蘭をつくる際、私どもはその導入のお手伝いや生産指導、出荷先の指導などをパッケージ化したものを提供することで、障害者雇用を達成しつつ農業経営を黒字化していくような、社会貢献型の事業を始めています。
一方、福島県では放射能の影響は全然普通なのですが、今でも、口にするものは風評被害によって売れなくなってしまっています。そうして農家の皆さんの生活が危うくなってしまっている中で、復興庁の予算でソーラーパネルをつくっていただき、ある村で胡蝶蘭を生産し、その生産にあたって村の人々に携わってもらうことで雇用を創出する、という事業をすることになりました。障害者雇用、復興事業と、胡蝶蘭というのは社会問題の解決に寄与する植物なのですよ。ですから、こういった事業をこれからも全国的に広げていこう、と考えています。
【聞き手】
このビジネスを26年やっておられて、改めて振り返ってみると、胡蝶蘭ビジネスというのはいかがでしょうか。
【田中】
本当に良いビジネスですよ。
今僕は50歳を過ぎて、キャリアも後半戦に入ってきましたが、最後の最後にやりたいと考えていることがあります。例えば、沖縄美ら海水族館や、旭山動物園、行かれたこともあるかもしれませんが、一生に一度は行ってみたい、と思いますよね。それと同じように、一度は行ってみたい植物園、というのはありますか?
【聞き手】
確かに、言われてみると、水族館や動物園に比べると植物園って、そういう感覚にはあまりならないですよね。
【田中】
一生に一回は行ってみたいと思うような、エンターテインメント性があり、勉強にもなる、そんな植物園を世界に提案したいな、というのが、次の目標として心のどこかにあるんですよね。
【聞き手】
そこには御社がつくられたお花がたくさんあって。
【田中】
全国から、どこでどういう人たちがどういうものを生産している、ですとか、世界中にはこういう植物がある、とか、色々な地域でどういうものがある、ということですね。修学旅行では勉強のために一度は行かなくてはならないような植物園を日本のどこかにつくれれば良いな、と思っています。
―座右の銘に込めた想いと視聴者へのメッセージ―
【聞き手】
田中社長の座右の銘とは何でしょうか。
【田中】
「実事求是」という中国の言葉があります。例えば、100万円しか持っていないのに1億円持っているような顔をして、瞬間的にたくさんの富を持っているように見せかけてもダメなので、100万円のものをしっかり仕入れてきて、そこに自分たちの努力で付加価値を付けて110万円で販売する。そうしたら次は110万円で仕入れてくる。 少しずつでもいいから、今日より明日、明日より明後日と成長していく人間であり集団になるのが良いと思います。
人間の人生も、会社も、泡沫の夢を見ているわけではないので、ちょっとずつでいいから成長していく人たちの集団をつくりたい、と思いまして、社員にも「実事求是」と言っているので、うちの社員はこの言葉を全員知っていますね。身分相応にやる、ということを大切に日々経営や仕事をしていきたいです。
よく株主さんにも言うのですが、SNSのような今の時代に合った商売ではないので、急成長することはないですよ、と。ですが、喜んでくれるお客様が1人ずつでも増えていって、気がついたら去年よりも良い会社になっている、サービスにプラスアルファされている、という会社なので、そういったことを分かった上で当社に投資していただければ、ということは広く言っているのですね。株主の方には当社のファンが多い、というのは非常に特徴だと思います。
―視聴者へのメッセージ―
【聞き手】
最後にぜひ、社長から視聴者にメッセージと御社のPRをよろしくお願いします。
【田中】
私どもは胡蝶蘭という花を中心として、色々な人に幸せを提供したいと考えております。基本的には、私たちとお取引をされているお客様の利益の最大化を、花を通じてモデルとして提供していきたいと思っています。
皆さんそうなのですが、これからは地球規模で、環境などをどうしていくのか考えるような企業が残っていくのではないかと思うので、利益の追求、人間が良ければいいという考えではなくて、自然環境の保護、種の保全を含めて、シンクタンク的にやっていきたいと思います。アートグリーンに来れば、どういうものを生産すると良いのか、ということが分かるような総合研究所のようなものの開設も目指しています。
社会貢献が大好きな人は来ていただきたいですし、こういった目立たない感じの会社ではありますが、ぜひともごひいきにしていただければな、と思います。
【ナレーター】
法人向けの贈答用胡蝶蘭の販売において、国内トップクラスのシェアを誇る「アートグリーン株式会社」。
ビジネスの節目に胡蝶蘭を贈り、祝福の意を伝えるという文化が一般的ではなかったことに商機を見出し、1991年に創業。ひたむきにビジネスモデルを磨き続け、全国への配送システムの構築を実現した。
法人向けのフラワービジネス新規参入サービスの提供や、胡蝶蘭を育てる農家をサポートするナーセリー支援事業など、その事業領域は多岐にわたり、今後は、東京証券取引所への市場変更やグローバル展開も視野に、その歩みを着実に進めている。
経験ゼロから花き市場へと飛び込み、今もなお挑戦を続ける創業者の波乱万丈の軌跡と、思い描く未来像に迫る。
【ナレーター】
自社の強みついて、田中は次のように語る。
【田中】
今まで花のビジネスとは関係ない人たちが、当社と組むことにより無店舗で生花店という新規事業に参入できるというのが、フラワービジネス業界でも、当社ならではのビジネスモデルです。新規事業としてリスクがなく、初期投資もなく、フラワービジネスに参入できるということを、さまざまな会社に提案しています。このモデルを構築したことが、当社の強みです。
それから、当社独自の配送システムを持っていることも特長です。ラストワンマイルと言われる、ちゃんとお客さんに自分たちでエンドユーザーまで花を届けるという流通システム、配送システムを持っています。さらに、胡蝶蘭であれば生産量、流通量とも日本で一番という、独自のシステムを持っているのも強力な強みになっています。
当社の事業は他社にはないモデルなので、世の中のお花屋さんの多くが当社のお客さんといえます。
【ナレーター】
田中の経営者としての原点は、25歳だった。幼少期から経営者を志していた田中は、大学卒業後、ゴルフ場開発会社へ入社し、約3年の社会人経験を経て、25歳で独立を決意する。そのときに着目したのが生花販売の事業だった。
【田中】
会社に社員として勤めている時に、ゴルフ場の会員権を売っていたのですが、時代背景もありそれが飛ぶように売れるわけです。自分たちで直接売るだけではなく、銀行にお客様の紹介依頼に行くと、どこでも応じてくれました。
その会員権を4800万円でお客様に売ると銀行は4800万円の融資が付く、ということは、4800万円の8%の金利がもうかるわけです。銀行は必死になって僕らが紹介してくださいという会員権をバンバン売ってくれます。僕らの商材である会員権を、銀行マンが自分たちのもうけのために売ってくれるという構図がありました。
やがて僕も独立しようとなったのですが、「一体何をやろうかな」と思った時にヒントになったのが『役員四季報』でした。パラパラとめくって見てみると、当時2500社ぐらいあった上場企業の役員や、世の中を動かしている人達の趣味の1位が読書、2位がゴルフ。そして3位が旅行と園芸でした。
また、僕の前職の社長は、会員権を買ってもらうと、3つの物のうちどれかをプレゼントするように部下に指示をしていました。
3つの物とは三越のボヘミアングラス、明治屋の神戸牛、ゴトウ花店の胡蝶蘭です。それぞれ予算は5万円で、毎月、ゴトウ花店にも2000万円ほど払っていました。1社から注文を貰っただけでも毎月2000万円の売上ですから、年間の売上高が2億4000万円の会社がいきなりできると僕は思ったわけです。
【ナレーター】
そして、1991年にアートグリーンを創業。成功への手応えを感じていた田中だったが、待ち構えていたのは厳しい現実だった。
【田中】
ところが前職の会社が買ってくれません。以前の同僚に聞いたら「田中、申し訳ない」と言うんです。「うちの社員だったやつが挑戦して会社を興して、花屋やってるから買ってあげましょうよと言ったけれど、社長から止められた」と。
なぜかと聞いたら、「同じ胡蝶蘭でも、ゴトウ花店の胡蝶蘭だからもらった人が5万円の価値を感じる。三越のボヘミアングラスだから5万円を感じる。しかし、無名の花店から買っても、ブランドがないから5万円の価値にはならない」。だからだめだと言われたそうです。
そこから8年間赤字でした。今も一緒にやっている、根本という専務がいますが、彼もよくやってくれました。独立した頃の月給は5万円ですから。根本に「辞めようかな」と言ったら、「馬鹿やろう、あんないい給料のところを辞めて、2人で始めて、それですぐに辞めるなんて恥かしいことはできないよ」と言われました。
そして、「今、自分たちは金がないだけで、ケガをしているわけでもないし、ちゃんと歩ける。だから、とにかく本当にだめだと思うまでやってみようじゃないか」と、彼が言ってくれなかったら、今のアートグリーンはありませんでした。

経営者プロフィール

氏名 | 田中 豊 |
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役職 | 代表取締役社長 |
生年月日 | 1966年1月21日 |
出身地 | 神奈川県横浜市 |
座右の銘 | 実事求是 |
愛読書 | マーフィー100の成功法則 |
尊敬する人物 | 堀威夫 鳥羽博道 |
1988年3月成城大学経済学部経営学科卒業
4月リゾート開発会社STTコーポレーション入社
1991年12月同社を退社後、アートグリーン設立
代表取締役就任
2006年一般社団法人東京ニュービジネス協議会
(旧 社団法人関東ニュービジネス協議会)理事
並びにベンチャー創出委員会委員長就任
2012年同協議会事業創出部門副会長就任
2015年12月名古屋証券取引所セントレックス(現 ネクスト市場)上場
現在に至る
会社概要
社名 | アートグリーン株式会社 |
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本社所在地 | 東京都江東区福住1-8-8 福住ビル |
設立 | 1991 |
業種分類 | 卸売業 |
代表者名 |
田中 豊
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従業員数 | 89名 |
WEBサイト | https://www.artgreen.co.jp |
事業概要 | 洋ラン・各種種苗の生産・卸売、生花全般の卸売、フラワービジネス異業種参入支援事業、 ブライダル装花の企画、デザイン、観葉植物の卸売・リース アートフラワー・造花の製造・リース、総合園芸コンサルタント 園芸資材の卸売、台湾産胡蝶蘭苗の輸入・卸売 造園・土木工事の設計・施工 |