―市場縮小による危機を脱した“切り札商品”―
【ナレーター】
その後、みすずコーポレーションの前身となるみすず豆腐へ入社。当時は乾物を中心に製造・販売を行っていたが、時代の移り変わりとともに市場は縮小。危機感を感じた塚田が自社製品の中で着目したのが、当時小規模な設備で製造していた味付けあげだった。
【塚田】
携わっている従業員が1ラインで6人くらいでしたでしょうか。それでも、売れていました。僕は「これは売れているのに、早くやらないと絶対他の会社もやっちゃうよ。簡単だから」(と考えていました)。これが唯一の伸びるチャンスだなということは直感的にわかっていました。当時、うどん用のあげしかなかったのですが、いなり寿司(用のあげ)もつくろうという話が出て、いなりの皮を豆腐の売り場に持って行けば良いんじゃないかと考え、お豆腐の売り場で売ったんです。レトルトですが、要冷蔵の売り場で、「要冷蔵」とあえて書いて売ってみた。そうしたら、大阪はうどんあげが売れて、スーパーではいなり寿司の皮が足りないくらい売れたんです。というのは、昔の油あげの売り場での一番の用途はいなりだったんですよ。ですから、昔はあの油あげは「いなりあげ」として売っていたんです。今は全部これに置き換わってしまい、今は一番売れているのは「刻み」というものです。味噌汁に入れるときなどにも便利ですからね。そういうものになってしまった。ですから、いなりずしの皮はきっと家庭で炊くのは面倒ですし「売れる」と思ったんです。それから、10年くらいの間にほとんどの店に入ったと思います。
―“良い会社を創る”という想いに年齢は関係ない―
【ナレーター】
当時、自社の経営において改善が必要であることを、30歳という年齢ながら役員や父親に進言を続けてきたと語る塚田。その背景にあった塚田の揺るがない信念とは。
【塚田】
本当に遅れた部分が後になって取り戻せないというのがあるんですね。ですから父にも役員、おじにもバンバンいいました。どちらが正しいかはわかりません。ですが、会社のためにいっておかないといけないことは絶対にいわないと、あとで後悔すると思ったので、「これは自分のためにいっているんじゃない。自分の意地じゃない。会社が良くなるためだ」というふうに信じていうということですね。しかし、結果がやはり後押ししてくれました。その後、あげが売れていったのです。当時から、いなりの皮に関しては先輩の会社がありました。(その会社の方が)全然上ですよ。遥か高みにいるわけですね。そして、その会社が非常に利益を出している。それを見て「同じ原料で同じ人がやっていて、同じモノをつくっているのに何でできないんだ」と(思いました)。だからそれが基本ですよね。できるはずだと思っているわけです。できないはずがないのです。同じ原料ですから。同じものでつくっていて、さらに機械は自分のところでつくれるくらい、こちらの方がノウハウを持っているのに何でできないんだと。「良いところを学ぼう」というのは、会議の時にいつもいっていました。商品の差があるわけですよ。
社員は試食会とかで、これだけ向こうが優れていると伝えても「うちのほうが良い」というのです。開発に携わっている人たちも、工場の人も「うちの方がうまい」という。そこを、負けを認めないと(ならない)。(そうしないと)直らないんですよ。ですから、モノが悪く売れないわけです。しかし「モノが悪い」と言うと全否定になってしまうので「良いところもあるけど、まだ近寄れないよね」と(いっていました)。
―みすずコーポレーション独自の強み―
【ナレーター】
「日本一の油あげ屋になる」という想いのもと、2001年に代表取締役に就任。塚田が語るみすずコーポレーションの強みとは。
【塚田】
本当にありがたいことに、当社の特色として、先々代から、工場の中に機械をつくる部門があるのです。機械をつくるというのは、高野豆腐の機械も油あげの機械も誰も考えてくれません。世の中にないのです。だから自分の会社の中で、設計部門と機械をメンテナンスするエンジニアリング部というのがあるわけです。ですので、工学系の人が20人くらい在籍しています。この人たちがいるから会社の差別化ができるのです。これはなかなかすぐにできることではありません。やはり積み重ねが必要です。機械をつくれるということの特色がもう少し進歩していけば、次に何か新しいモノをやるときに非常に役に立つというか、いけるのかなというふうにも思います。食品会社というのは、安全・安心という組織をしっかりつくって、その上でコンプライアンスというか、後ろめたいことはしないというような信条を社員が共有してやっていけば(続けることができるのです)。このあと何の商売が出て来るかはわかりませんが、もし出てきたとしても、その想いがあれば食品会社というのはできると思うんです。
―自社商品の特徴を生かした差別化戦略の裏側―
【ナレーター】
競合他社が多い業界で、みすずコーポレーションは自社の商品の特徴を生かした意外な方法で他社との差別化を図っているという。
【塚田】
豆腐も油あげもそうですけど、例えばおからが出てきたり、油あげを揚げると廃油が出てきたりします。おからというのは、通常は処分しなければなりません。しかし当社の場合は、おからを集めて、あるいは自分のところで乾燥して食品用のいわゆるスナックやパンに使ってもらっています。普通は捨ててしまうか、あるいはお金をつけて処分しなければならないおからに、商品としての付加価値をつけて売っているというのも、当社しかありません。当社なりの仕組みです。そして廃油は全部ボイラーの原料にできるのです。それにはある程度の規模が必要です。ほかにも出てきてしまう副産物、バイオマスで処理をして、電気をつくっています。12機の発電モーターを回して、結構大きな(規模)です。日本においてバイオマスで(発電を)している中では、かなり大きな規模だと思いますが、これも寄与するところがあります。そういう仕組みの中で強みがあります。この分野、大豆加工に関してはこれから何をやっていくかわかりません。今のところは油あげをやっていますし、高野豆腐をやっています。でも、例えば冷凍の豆腐をやるかもしれませんし、何をやるかわかりませんが、大豆加工のノウハウというのは十分持っていますので、ここの分野については希望があると思います。
【ナレーター】
食品会社の今後について必ず生き残るといい切った理由と、塚田が見据えるみすずコーポレーションの未来像に迫った。
【塚田】
衣食住にもありますように、生きていくには食べなくてはなりません。さらに健康に留意する人が多くなってくれば、付加価値も高めることができる。そして、学校で学んだことが、例えば農学部などにいっている人たちはすごく役に立つ可能性がありますよね。また、営業で入ってくる人たちも、どちらかというと通信というかIT等は皆がやるんでしょうから、その中では少し独特というか、特殊かもしれませんが、そういう意味ではチャンスはあるのかもしれないと思います。やる気さえあれば面白いんじゃないかなと思います。
高野豆腐というのは冷凍して乾燥して、乾物にします。豆腐をつくったあと乾物にするという大変難しい技術が必要なのです。そして、当社では、味付けあげを日持ちさせるレトルトとして30年も前から扱っています。この辺りが食品技術という意味では、ある程度のベースをもう持っているということですから、このあとどういうものが、何をやっていくかということは(わかりませんし)、私の段階では油あげ、大豆の領域から出ないかもしれないですけど、みすずコーポレーションはもしかしたら全然違う会社に変化できる可能性もあるのかもしれないという意味では、今後に期待していきたい。ベースは守りながら、そういう“小さくても強い会社”でいてほしいと思っています。
―視聴者へのメッセージ―
【塚田】
人を大切にしていただきたいということと、当たり前のようですが、強く念じている意思があれば、そういうものになれるということは、私自身が経験したこととして(感じています)。全ての出会いも、自分に意思があったから出会ったんだろうというふうに思いますし、そういう意味では企業と人は縁で結ばれていると思いますので、もし、私どもの企業に興味を示していただけるようでありましたら、当社には活躍のフィールドがたくさんあります。ぜひ、お考えいただければなと思います。
【ナレーター】
長野県発の老舗食品メーカー「株式会社みすずコーポレーション」。
国内シェアトップクラスを誇る「味付けいなりあげ」をはじめとした大豆加工食品の開発、製造を手掛ける。
環境配慮に重きを置き、排水処理の際に生じるメタンガスは発電に、豆腐製造の副産物であるおからは加工食品や飼料として再利用している。
資源を余すことなく使うことで二次的な利益を創出することに加え、これまで培った加工技術を活用し、既存の食材に代わる新たな食材の製造と普及にも注力している。
ニッチ領域のトップランナーとして走り続ける企業を牽引する経営者の波乱万丈の軌跡と、思い描く未来像とは。
【ナレーター】
自社の強みについて塚田は次のように語る。
【塚田】
スーパーニッチだけど、そこのトップであるということ。これが一番強い。それから、機械をつくったり、ノウハウを持っていたりすることですね。そのバランスがよくとれていて、新しいものに挑戦するだけの余力を持っているところは強みですね。
【ナレーター】
塚田は大学卒業後、大手冷凍食品メーカーに就職。6年半の勤務を経て、みすずコーポレーションの前身である、みすゞ豆腐に入社した。塚田は、入社早々にある危機感を覚えたと振り返る。
【塚田】
加ト吉に勤めていた時は、お客様からの電話が1分間に5件ぐらいかかってきちゃうほどの忙しさでした。メモを取っておいて、すべて処理してから出かけていたものです。
でも、みすゞ豆腐では、朝から電話が鳴ることは少なかった。商談も月に1回あればいい方。先方のところに行かなくても事足りるんですよ。でも、市場が小さくなっていっているのは目に見えてわかってしまう。その焦りがものすごくあったんです。何かやらないと「会社はなくなっちゃう」と。
やはり昔は、農産乾物の「みすず」ブランドということで問屋さんにも知られていますし、そこそこの取り扱いはしてくれる。でも、このままでいくと相手にされなくなってしまうのでは、という危機感がありました。
【ナレーター】
このままでは会社が倒産する。そう思った塚田が可能性を見出したのが、市販用で国内市場を席巻する一方で、業務用の取扱量が少なかった味付けいなりあげだった。
しかし、業務用の味付けいなりあげは、すでに上場メーカーが市場で幅を利かせていた。どのように市場へ参入し、シェアを伸ばしていったのか。その裏側に迫った。
【塚田】
原料が一緒で製造工程もあまり変わらない。それなのに、なぜうちは業務用に参画できないんだという疑問があったんですよね。大きな方の市場に行かないと(会社が)持たないと思っていましたから。
お手本とする会社にどういう歴史があるのかということに興味があり、その会社がつくる商品とうちの商品はどう違うのかを比べてみたんです。
他社ではいなりをロボットが握りますが、ロボットにかけると10%ぐらいロスが出るんですね。それに対してコンペチターの商品はロスが2%を超えないにもかかわらず、しっかりしたいいものができている。
それならば、うちでも簡単につくれるだろうと思っていたんですが、やってみてもなかなかできない。機械は自分で考えて改良しなければいけないので、試行錯誤の日々です。商品を顧客に持って行っては断られという時期が8年間ぐらい続きました。
ようやく目指す商品ができるようになったので、1996年に新しく業務用専用の工場をつくるんですけど、これが最初に大失敗して。あるコンビニから全部返品されたこともありました。
ただ、その1年の間に自社にもムチを入れて、人を招いてアドバイスをもらい、いろいろなことを試したんです。10年ほどで「みすずの商品もいけるね」と、なっていって。評判も良く、ようやくモノになって、今は業務用の世界でもトップシェアになってきました。
【ナレーター】
社長就任時に、塚田はある目標を立て、社員たちに伝えたという。
【塚田】
「とにかく上場できるぐらいの会社にしようよ」と。そうすると「景色が変わる」。それを社員に伝えたんですね。簡単なワードでいうと、「油あげでとにかく日本一になろう」と。
ニッチでトップにならないと生き残れない。「自分たちが思っているよりもずっとずっと早いスピードで、市場はシュリンクしていっちゃうよ」と話したんです。
外に出る。輸出をしていく。新しい商品を考える。自分のところにないものは他の人と一緒にやっていかなければなりませんから、協業も視野に入れる。
同じ形でずっと会社が残ることはあり得ないですし、一生同じ会社で働く人も割合も、近年は4%といわれています。ということは、96%が離職・転職するわけですから、入社式の挨拶も「この会社で生涯一緒にやっていきましょう」ではなく「この会社でスキルを学んでください」と話します。
その代わりに「スキルが高くなるということは自分の実力も上がるということ。それは会社に返してくださいね」と伝えていかないと。これからはそういう時代だなと思っています。
経営者プロフィール
氏名 | 塚田 裕一 |
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役職 | 代表取締役社長 |
生年月日 | 1958年8月27日 |
出身地 | 長野県 |
座右の銘 | 不易流行 |
愛読書 | 『こうして会社を強くする』稲盛和夫/PHP |
尊敬する人物 | 稲盛和夫氏 |
会社概要
社名 | 株式会社みすずコーポレーション |
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本社所在地 | 長野県長野市若里1606 |
設立 | 1949 |
業種分類 | 食料品・飲料製造業 |
代表者名 |
塚田 裕一
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従業員数 | 897人(令和6年3月現在) |
WEBサイト | https://www.misuzu-co.co.jp/ |
事業概要 | 凍り豆腐、油揚げ、味付け油揚げのレトルト食品・チルド食品、シート食品他の製造と販売 |