株式会社シナモン AIで働き方そのものを変える。創業者の想いと挑戦 株式会社シナモン 代表取締役Co-CEO 平野 未来  (2020年9月取材)

インタビュー内容

【ナレーター】
日進月歩を続け、我々の生活にも多大な影響を与えているAI。

近年では、ビジネスモデルや企業そのものをAIの力で変革させるデジタルトランスフォーメーションの促進が活発化してきている。

そんな中、ビジネスAIの領域においてデジタルトランスフォーメーションを推進し、注目を集める企業がある。株式会社シナモンだ。

人工知能文書読み取りエンジン「Flax Scanner」をはじめ、音声認識や、自然言語処理エンジンといったさまざまなAIプロダクトを開発・提供。

2020年4月には約10億円の資金調達を実施し、「創造あふれる世界を、AIと共に」をミッションに、活動を続けている。

日本の働き方そのものの変革に挑戦する経営者の軌跡に迫る。


【ナレーター】
両親ともに経営者という家庭で育った平野。高校生の時に志していた意外な職業とは。

【平野】
パイロットになりたいと思っていました。それで調べたら航空大学校というのがあって、「ここに行きたい」と思ったんですが、応募要件のところを見たら、身長が163センチ以上と書いてありまして。

私、背が小さいので、もう高校1年生にして夢破れたりというような感じでした。その後、高校1年生から3年生の途中まで本当にやる気のない高校生でしたね。

【ナレーター】
航空大学校への入学が叶わなかった平野が次に選んだのが、エンジニアの道だった。

【平野】
パイロットになれないのであれば、飛行機やロケットがつくれるようなエンジニアになろうと思いました。

結果的に情報系の大学で専攻しているんですけれども、あそこの選択というのは自分の人生の中でもトップクラスにいい決断だったなと思っています。

夢破れてからしたことといえば、ずっとインターネットにかじりついていました。まさにインターネット大好き少女だったんですけれども、情報系を選択して私が中毒になっていたサービスに触れて、自分で提供者側としてもつくれるんだっていうことに気づいて。

そこからのプログラミングにのめり込んでいったような女子大生時代でしたね。

【ナレーター】
当時はWEB2.0というインターネットを通じて誰もが情報を発信できるようになり、平野も時代の移り変わりを肌で感じていた。

しかし一方で、ライブドア・ショックなどの影響もあり、当時の起業家への風当たりは強くなっていた。そんな中、なぜ平野は起業という道を選んだのか。

【平野】
私は基本的に、迷ったら面白い方に行くと決めているんですね。

私は起業家=未来をつくる人だと思っているんです。自分でも未来をつくっていきたいっていうのも大きいですし、当時学生だったこともあって、別に失うものは何もないわけじゃないですか。

とりあえず起業してみよう、みたいな気持ちが大きかったですね。

【ナレーター】
その後、携帯電話向けのミドルウェアを開発。このプロダクトが、当時SNS事業を主力としていた株式会社ミクシィの目に止まり、売却の提案を持ちかけられ、平野はこれを了承。

初めて企業で働くという経験をすることになるが、スタートアップの魅力が勝っていることを改めて感じ、2012年に株式会社シナモンを創業。

その本社所在地として選んだのが当時は発展途上だったアジアだった。その理由について、平野は次のように語る。

【平野】
ビジュアルコミュニケーション的な、そういうC(Customer)向けのアプリをつくる以上、ユーザーの方々の気持ちというのがわからないといけないっていうのが1点。

もう一つは、当時は全く英語が話せなかったので、アメリカに行ってネイティブ相手に資金調達をしたり採用したりしているところが想像できなかった。

最後の一つは、もともと私が学生時代にバックパッカーとかをやっていたんですけれども、そのとき、アジアがすごく好きになったということです。

その3点でアメリカではなく、アジアをマーケットとして選ぼうという決断がありました。

【ナレーター】
その後、本社をシンガポールに置き、ユーザーリサーチのためにベトナムを訪れた平野。そこでの予想だにしなかった出来事とは。

【平野】
そこら辺にあるフォー屋さんに一緒に事業をしていた堀田(現シナモンCAIOの堀田創氏)と一緒に行きまして。決してきれいなフォー屋さんではないんですが、なぜかその時に“ビビビ”と来まして。

堀田に、「私、ベトナムいいと思うんだよね。住みたいな」みたいなことを言ったんです。

すると堀田に「いや、一緒にシンガポールに移住しようって言ったじゃん!」みたいなことを言われて「そうだよね」と返して。

でも私はベトナムに、全然言語化できないんですけれども、すごく心惹かれていましたね。

【ナレーター】
調査の結果、ベトナム出身プログラマーのスキルがとても高いことが分かり、ベトナムでの採用を開始。しかし、思いがけないカルチャーショックを受けることとなる。

【平野】
当時ベトナムにはスタートアップとかそういう概念はなくて、特にプログラマーって優秀なんだけれども、単純に自分の時間を提供して、それに対してお金をもらいますという考え方だったんです。

やりがいとかではなく、時間を売っているみたいな、そういう人がすごく多かったんですね。

給与の交渉は当然ながらするし、給与が1円でも高い会社が他にあるとしたら、ほとんど転職していきますというのが普通なんですね。

ですので、アプリが全然できていないのに、毎日のように給与交渉を当時の社員の人たちにかけられて、私の1日の半分は給与交渉しかしないみたいな状況だったんですよ。

それで、ベトナムに夢を見て「やるぞ!」と思ったんですけれども、これは無理だと1回全員解雇しましたね。

【ナレーター】
その後、自社のミッションに共感できる人材を地道に採用していき、事業を推進するも停滞。2016年には調達していた資金が底をついてしまい、平野は会社を存続させるために帰国。

自身も妊娠・出産という人生の転機を迎えており、暗中模索の中でたどり着いたのがAI事業への転換だった。

【平野】
システム受託を請け負えば何とか生きていけると、営業をやっていたんですけれども全然売れないんですよ。

やばい、あともう少しで会社が潰れる。そういう危機感といいますか、ろうそくがもうすぐ燃え尽きる、そういうような状況だったんです。

しかしある時に、弊社ではAIもできますと、そういうようなことを書いたんですね。そしたら、「シナモンさんって、AIつくれるの?」といきなり皆さんの反応が変わって。AI開発の受託がいきなり決まり始めたんです。

その後、日本に帰ってきたのが2016年の4月とか5月とかそれくらいだったんですよね。私のプロダクトの一つである『Flax Scanner』というのをリリースしたのが2017年の4月だったので、本当その1年間は大変な1年間でした。

【ナレーター】
多くの苦労を乗り越えて、2017年4月に初のAIによる文書読み取りエンジン「Flax Scanner」をリリース。想定以上の大きな反響があったことに驚いたという。

【平野】
大体150人ぐらい、大企業のオープンイノベーションなどを担当してる方がいらっしゃっている会なんですけれども、私の前だけ、ものすごい長蛇の列になったんですよ。その後、もう1時間半とかずっとひたすら名刺交換をしていました。

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経営者プロフィール

氏名 平野 未来
役職 代表取締役Co-CEO
生年月日 1984年1月23日
出身地 東京都
座右の銘 夢をアップデート
愛読書 創刊男の仕事術
略歴
シリアル・アントレプレナー。東京大学大学院修了。レコメンデーションエンジン、複雑ネットワーク、クラスタリング等の研究に従事。

2005年、2006年にはIPA未踏ソフトウェア創造事業に2度採択された。在学中にネイキッドテクノロジーを創業。IOS/ANDROID/ガラケーでアプリを開発できるミドルウェアを開発・運営。2011年に同社をミクシィに売却。

ST.GALLEN SYMPOSIUM LEADERS OF TOMORROW、FORBES JAPAN「起業家ランキング2020」BEST10、ウーマン・オブ・ザ・イヤー2019 イノベーティブ起業家賞、VEUVE CLICQUOT BUSINESS WOMAN AWARD 2019 NEW GENERATION AWARDなど、国内外の様々な賞を受賞。

また、AWS SUMMIT 2019 基調講演、ミルケン・インスティテュートジャパン・シンポジウム、第45回日本・ASEAN経営者会議、ブルームバーグTHE YEAR AHEAD サミット2019などへ登壇。

2020年より内閣官房IT戦略室本部員および内閣府税制調査会特別委員に就任。プライベートでは2児の母。

会社概要

社名 株式会社シナモン
本社所在地 東京都港区虎ノ門3-19-13 スピリットビル6階
設立 2016
業種分類 情報通信業
代表者名 平野 未来
従業員数 200 名
WEBサイト https://cinnamon.is/
事業概要 AIコンサルティング、AIプロダクト事業。成長戦略としてAIを活用することで顧客のDXを推進しています。
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