【ナレーター】
2020年のコロナ・ショックの影響により、変化を余儀なくされたものづくり企業。新時代を生き残るためには、技術力を高めることはもちろん、新たに生まれたニーズの発掘や新しい技術の活用など、新たな取り組みを果敢に行なうことが重要となる。
そんな中、総合エンジニアリング企業として日本を代表する数々のプロジェクトに携わり、半世紀以上に渡り日本のものづくり産業を支える企業がある。株式会社タマディックだ。
自動車、航空・宇宙機器、FA・ロボットなどトップメーカーの設計・開発・生産技術の分野のコア業務を担う同社は、高度な専門性と技術力を持つエンジニアがチーム単位でプロジェクトを請け負うビジネスモデルを推進し、付加価値の高い技術サービスを提供。「誠実・創造」の企業理念の元、各事業の最先端技術を追求し続けている。
2020年5月に新社屋の着工を開始し、さらなる事業領域の拡大を目指す経営者の軌跡と
新時代を見据えた成長ビジョンとは。
【ナレーター】
学生時代、人前で話すことが苦手だったと語る森實(もりざね)。それを克服するために行なったこととは。
【森實】
昼間から夕方ぐらいに塾で子供たちに勉強を教えるアルバイトをしていて、塾が終わるとその後に夜のバーなどに移動してそこでアルバイトをする、そんな生活をしていました。
バーで働いていた時も今日初めて来た方とにこやかに話をしなければいけないじゃないですか。それがすごくできたのは本当に良い訓練だったなと思いますね。
【ナレーター】
会社を継ぐことを意識し始めたタイミングもこの頃からだったという。当時のエピソードについて、こう振り返る。
【森實】
具体的にやっぱり意識したのは父が亡くなったときですね。家族の構成を見る限り私が多分やるんだろうと思ったのがその頃ですね。
病院に入院していて、家族は病院につきっきりになって、その間、私当時18歳で長男で、下に兄弟がいますから色々なことをやらなきゃいけないし、ご飯を作ったりとか洗濯したりとかね。
死がどうこうというよりも自分でやらなきゃどうしようもないみたいな状態には、亡くなる前の2年くらい前からなっていたんですね。それで鍛えられたというか、やらないとどうしようもないと。
やればいいだけでクヨクヨしていても仕方ないことなので。そういうのが段々と習慣になってきたのかなと思いますね。
【ナレーター】
その後、いくつもの選択肢がある中、森實は外資系IT企業へと就職。その理由について次のように語る。
早く社長にならなきゃいけないだろうと思っていたので。もっとサイクルが早くて20代のうちに色々なことをしなきゃいけなくて、とても鍛えられるような業界にいった方がいいだろうと思っていました。
当時聞いて回った中でやっぱり外資系の企業がそういう感じだったんです。若い時期に色々やらせてくれるという意味でそこ(外資系の企業)を選んだということと、やっぱり知らない文化を知って(タマディックへ)入った方がきっといつか役に立つだろうというところもあって。
日本の企業でメーカーのお客様を抱えているうちの会社と違う文化に触れておいたほうがいいだろうというので、この外資系の企業を選んだんですね。
【ナレーター】
当時はITバブルの真っ只中であり、多忙な日々を過ごしていたという森實。その中で得た、仕事をする上で重要だと感じたこととは。
【森實】
私当時は25~26歳の時にそういうことをやってきたわけですけど、お話する相手は通信会社の課長とか部長とか40、50代の経験豊富な方たちと話をさせていただいていました。
生意気だって言われることも何度もあったし、「なんでお前みたいな若造が」と言われることも何度もありましたけども。
でもやっぱりより良い提案をしたり、もしくはクレームを言われても引き下がらずにクレーム対応をちゃんと誠実にやり続けたりすると、流石だという言い方はしてくれないまでも、「君がうちの社員だったら良かったのに」くらいのこと言ってくださる。
そういう責任者の方がいらっしゃったときは非常にモチベーションも上がるし、頑張ってきて良かったなと思いました。
自分の利益だとか自分の成績だけじゃなくてやっぱりお客様、せっかくこうやって言ってくれるお客様のために良い仕事をしなきゃダメだというのは、そういうようなことがきっかけで思うようになりましたね。
【ナレーター】
外資系企業で力をつけた森實はその後、2000年にタマディックへ入社。研修として、当時の課をすべて回って社員の精勤ぶりを見る中で、将来的に解決しなければならない課題に気づいたという。
【森實】
私は当時社会人5年目ぐらいだったと思いますが、ほぼ同世代ぐらいで、こんなことは何十年もやってきたベテランの方がやるんじゃないのというような美しい図面をたくさん真面目に描いていて。
それを一日コツコツちゃんと描いてお客様にお納めするというのが、よく同世代でここまでやれるねととても感動しましたね。
私の印象では正直言ってこれぐらいのことをやって1時間3000円くらいの単価で仕事をしていると。それを160時間、180時間びっしりやって、やっと売り上げを上げるわけですね。
独特の形態だと思いますけれども、当時は私の感覚ではこれはちょっと安すぎると。
これだけのことを優秀な社員が何時間も原価をかけてやっている仕事の割には単価が安すぎると思ったのが率直なところですね。
これじゃダメだなというのが1年間回った結果、一番はまず単価を上げていけるようにしようというのがスタートですね。
【ナレーター】
設計の単価を上げるために、森實が行なった施策とは。
【森實】
請け負うプロジェクトの範囲を徐々に大きくしていったんですね。
仕事の範囲を受注するために大きくして、マネジメントの部分を当社のほうに取り込む。1人分、何時間もかけて仕事をやりますではなくて、10人1カ月の仕事をちゃんとお受けする。
例えば大きい単位で仕事をお受けして、それを品質もスケジュールもコストも全部守ってお納めするところまでのマネジメントの部分ですよね。そこの部分も我々が責任を持つ。
責任をちゃんと持つ代わりにまとめて仕事をください。単価も少し考えていただきたいというような話をするようになって。
段々と仕事のボリュームを大きくしていって、我々の方に責任を取るという付加価値、品質責任も全部取るというのを付加価値として取り込むようにしていって、徐々に価格を改定していただけるようになってきました。