【ナレーター】
回転寿司チェーン『スシロー』を始め、国内外に900店舗以上展開するFOOD & LIFE COMPANIES。
「変えよう、毎日の美味しさを。」「広めよう、世界に喜びを。」のビジョンの元、近年ではテイクアウト専門店や2021年3月に最大規模となる店舗をタイへ初出店するなど国内外への出店を積極的に行ない、コロナ禍の逆風を跳ねのけ成長を続けている。
コロナという逆境を進化する機会と捉え、実現に向けて行動する経営者の軌跡と、見据える成長ビジョンに迫る。
【ナレーター】
2021年4月に社名変更を行ない、新たなスタートを切ったFOOD & LIFE COMPANIES。
その中で掲げられたビジョンが「変えよう、毎日の美味しさを。広めよう、世界に喜びを。」。この言葉に込めた想いとは。
【水留】
我々の会社の想いとしては特別な日の食事を変えていくのではなくて、生活者の皆さんが日常に、日頃に普通に食べる食事を良くしていきたいという想いの方が強いですね。
昔はどちらかというとお寿司というのは晴れの日というか、おじいちゃんやおばあちゃんの家に行ったときとか、何かお祝いごとだとか、そんなシチュエーションでしかお寿司って食べるような機会がなかった。
それに対して、回転ずしというのは本当に普通の日常の中に小さいお子さんから若いカップルからご家族連れから本当に広い世代にお寿司を食べる文化というか食のシーンを変えてきたと思っているんですね。
毎日のおいしさというのはそういうところに我々はあると思っていて。特別に1人1万円、2万円払うみたいなそういう世界の味を変えていくことではなくて。
やっぱり消費者の皆さん、生活者の皆さんが普段の食事でこそ味わえるものをより良くしていけるような、そういうものを我々のビジョンにしたいよねというので“毎日の”というのが付いているんですね。
【ナレーター】
FOOD & LIFE COMPANIESを牽引する水留は神奈川県出身で、少年時代は天文学者を夢見ていたという。
夢を実現させるため、天文学が専攻できる東京大学へ進学したのだが、早々に天文学者への道を断念。その理由について、こう振り返る。
【水留】
天文学者はならなかったのは簡単で、自分よりも頭のいい奴がもっとたくさんいたというのが非常によく分かったんです。
これは天文学の研究の中では、もう頭ひとつ抜け出せないなというのはとてもよくわかったので「止めた、無理だ」と思って、星ではなく人の世界に入ったという感じです。
【ナレーター】
大学時代はアルバイトも複数こなしていたと語る水留。その中でも面白かったという意外な職種とは。
【水留】
意外と面白かったのは旅行会社の添乗員。団体さんと一緒に宴会もしたし歌も歌ったし色々なことをやらせてもらいました。
やっぱり色々なところに行けるというのはひとつのメリットというか面白いところでした。
2泊3日、3泊4日のツアーが終わった時に、参加していただいたお客様が「今回の旅行良かったよ、ありがとうね」と言っていただけるというのは、働いているほうも嬉しいなと思いますしね。
【ナレーター】
大学卒業後は大手広告代理店へ入社。その経緯と得た学びについて水留は次のように語る。
【水留】
マーケティングの部署から始まって、結構早いタイミングで営業に私は配属になりました。
ずっと営業としてはNECさんを担当していましたから、当時の言葉で言うとマルチメディアとか、そういう今でいうインターネット、ネットの世界というのが始まりかかったぐらいの時代だったので。
そのタイミングからそういう世界を垣間見れたというか。仕事の中で知識も含めて色々見ることができたのは非常に良かったなと思っています。
【ナレーター】
広告の仕事をする中で、経営というより大きな範囲で企業の支援をする仕事に就きたいと思うようになった水留は、28歳の時に大手外資系コンサルティング会社へと転職。転職後の仕事ぶりについてこう振り返る。
【水留】
意外とうまくいってしまって (笑)。
ひとつはさっき言ったようにコンサルタントもお客様、クライアントに対するサービス業なのでそういう意味では広告代理店と変わらないんですよね。
結構この部門の営業改革をしたいだとかこの部門の物流改革をしたいだとか、結構テーマというのは狭いところも含めてあるんですよ。
そういう中ではもともと広告代理店とかでマーケティングをやっていたこともあって、どちらかというと最初に配属、アサインと言いますけど、アサインされた仕事というのはそっち側の仕事が多かった。
それほど大きくテーマも離れていないし、仕事の生業としてもやっぱりクライアントに対するサービス業というところもあるし。そういう意味ではそれほど入り口に壁があった感じではなかったですね。
【ナレーター】
その後、別の外資系コンサルティング会社の日本法人へ入社後、順調にキャリアを積み、2005年に代表へ就任。しかし水留はこの時、更に先のキャリアを見据えていた。
【水留】
まだ36歳なわけですよ。そこからじゃあこのままひとつのキャリアをあと20年、30年同じことをやるんですかということじゃないですか。
そうではなくて、元々どこかのタイミングで会社を育てるだとか自分で事業会社の意思決定をしていくみたいな、いつかはそういうポジションをやってみたいという想いはずっと根っこに、コンサルティング会社に入るときから持っていたので。
お陰様で会社も大きくなってそれなりに知名度も出てくる中で、自分の役割としてまた違うところに行ってもいいのかなと、もう完全に自然にそういう流れでという感じです。