【ナレーター】
創業90年以上という歴史を持ちながらも、革新的なビジネスモデルの構築を目指す三谷産業株式会社。
2021年7月時点で化学品、情報システムなど6つの事業領域において約5,000社との取引実績を誇り、ベトナムにも拠点を展開するグローバル企業だ。
近年ではクラウド連携サービス『Chalaza(カラザ)』の開発・提供や、一般企業とベンチャー企業との架け橋となることを目的とするビジネスマガジン『Carbon』を創刊するなど、「あなたにとって特別な会社を目指して」の経営理念のもと、その事業領域を拡大させている。
総合商社の枠を超え、挑戦を続ける若き経営者の軌跡と、次なる成長ビジョンとは。
【ナレーター】
三谷産業の特徴について、三谷は次のように語る。
【三谷】
三谷産業は創業90年を越えるベンチャー企業ですと、はっきりと宣言させてもらっています。
新しい事業をつくり上げていきたいという社員への支援プログラムや、本当に社内ベンチャーとして頑張っていきたい人も中にはいます。
そういうわかりやすい社内ベンチャーみたいなことばかりではなくて、自分たちの仕事や事業の内容を、少しずつ時代に合わせて変化させていかなければいけない。
変化に合わせるのではなくて、変化をつくっていける側に回らなきゃいけないということは、別に自分だけではなく当社の役員がずっと脈々と言い続けてきていることですし、それをわかりやすく言葉にして社員のみなさんにできる限りお届けしています。
【ナレーター】
4代目の経営者として手腕を発揮する三谷は、デザインやアートなどに傾倒していた学生時代を過ごす。当時の自身の心情についてこう振り返る。
【三谷】
かっこいいデザインとそうでないものってなにが違うんだろう、みたいな。そこから少しのめりこんでいって、デザインやアートの世界などに触れて、なにか自分も人の心を惹くものを作ってみたいという気持ちが大きくなっていきました。
大学は留年してまで、実は電子新聞の研究開発というのをやっていたんですけれど、組織に属しているというよりは、コンセプトを持っている人間だと認知されたいという欲求が多分、20代の頃はあったんだと思います。
【ナレーター】
その後、ある人物との出会いが三谷の運命を大きく変える転機となった。
【三谷】
実は大学卒業する少し前にサンフランシスコで、シリコンバレーで活動されているベンチャーキャピタリストだった原丈人(はら じょうじ)さんという方と出会いました。
原さんのビジョンや、日本の行く末はこうあらねばならないというそういう考えに共感しまして。当時、自分が真剣に取り組んでいた電子新聞デバイスのプロジェクトのことを、時間をいただいて「こんなことやっているんです」とお話させてもらって。
原さんの仕事とはあまり関係がなかったにも関わらず「じゃあ、きみは卒業したらうちで働くか」と言っていただいて、それで原さんのところにお世話になろうって決めたんですね。
ベンチャーキャピタルという業態は、実はそこで初めて知ったんですよ。原さんの話を聞いていく中で、ベンチャーキャピタルってこういうものなんだと。
新しい産業を生み出す力っていうのは必ずしもお金だけではなく、人と人とのご縁など、そういったものがすごく大切だということを感じました。
【ナレーター】
ベンチャーキャピタルの勤務と並行して、電子書籍の研究開発を陰で行なっていたという三谷。その取り組みは日本で評価され、見事コンテストで優勝。
その勢いと原丈人氏の推薦も相まって、会社を立ち上げたのだが現実は甘くなかった。
【三谷】
自分たちが営業活動しなくてもどんどん電話やメールが入ってくるんですよ。コンテストに勝つというのはこういうことなんだと。でもどこかでなめていたところがあって。
日本の出版業界って、出版社さんといくら議論が進んでも、やっぱり電子化や流通ということになると、別の会社が出てきます。
そういう会社に「今そういう新しい機能ではなく、とにかくコンテンツの量が必要だから、明後日また来てください」というようなことを言われてしまったんですね。
途中まで手弁当でつくっていた電子教科書とか電子雑誌とか、そういったものを毎回そういう形で放棄していく。
出版社さんからは、公演料と書かれた30万円ほどが入った封筒をもらって、「三谷さん、今までありがとうございました。この名目で、これぐらいしか出せないけれど、頑張ってください」と。
産業構造というか。すごくそれが大事なことだし、今ある構造を全部否定することなんて誰にもできない。その中でもどうやって楔を打って、新しい価値を提供できる手段に持っていくかということが、苦悩しながらでしたけれど、すごく勉強になりました。
【ナレーター】
売上が立たず神経をすり減らすような日々が続く中で、前三谷産業の社長であり、現会長の父、三谷 充(みたに みつる)に声をかけられ、悩んだ末に三谷産業への入社を決断。
当時の心境と心に刻んだこととは。
【三谷】
帰る理由ができてしまった自分は半ば逃げ帰るような気持ちで日本に帰ってきたんですね。
三谷産業の社員の皆さんがいて、本当に温かく迎えてくれて。それにすごく感激しつつもショックで。逃げて帰ってくるような気持ちで帰ってきていい場所じゃなかったなと。
自身の務めを果たして学ぶものを学んで帰ってきて、しっかりと何かを達成して、帰ってきたかったんじゃなかったっけという、そういう気持ちにさせられてしまいまして。
そのときに心にすごく刻んだことが、目の前にいる社員の皆さんをこれからはどうやって幸せにしていくかということを考えたいということです。
それから、社員自身が自らの世界をつくっていくようなチャレンジを応援していきたいと思いました。
経営者プロフィール
氏名 | 三谷 忠照 |
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役職 | 代表取締役社長 |
生年月日 | 1984年6月20日 |
出身地 | 石川県 |
座右の銘 | なし(大切にしている言葉はいくつもあるのですが、文脈次第であることと、一つに絞れないことと、年齢的にも"座右"というほど永年大切にしている言葉が無い方がまだ自然かなぁと思うことから。明日には考え方が変わってしまっているかもと思いながら生きています) |
愛読書 | 呉兢『貞観政要』 |
尊敬する人物 | 原丈人氏 |
2017年当社代表取締役社長に就任。
会社概要
社名 | 三谷産業株式会社 |
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本社所在地 | 石川県金沢市玉川町1-5 |
設立 | 1949 |
業種分類 | 卸売業 |
代表者名 |
三谷 忠照
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従業員数 | (連結) 3,569名 / (単体) 591名(2024年3月末時点) |
WEBサイト | https://www.mitani.co.jp/ |
事業概要 | 情報システム関連、樹脂・エレクトロニクス関連、化学品関連、空調設備工事関連、住宅設備機器関連およびエネルギー関連事業 |