【ナレーター】
封筒業界トップのシェアを誇る、老舗メーカー「株式会社イムラ封筒」。
1918年、荷札の製造販売を祖業とし、1930年代に封筒の製造・販売事業へ本格参入。
以降、封筒業界をけん引する存在として第一線で活動を続け、2021年4月には、40年にわたるダイレクトメールの発送業務で培ったノウハウを活かしたダイレクトマーケティング支援サービス「イムらと」をリリース。
モノからコトを提供できる企業を目指し、その事業領域を広げている。
次代を見据え、5代目社長が陣頭指揮をとった大改革の裏側と、次に目指すステージとは。
【ナレーター】
半世紀以上に渡り封筒業界の第一線を走ってきたイムラ封筒。同社をけん引する井村が現在注力しているのが、サービス業ができるメーカーへの変革だ。
【井村】
お客様が自社内で行なっている作業を引き受けることで、コストダウンなどのメリットを提示できる。そういったテーマを拡大させることが、これからの当社の大きなミッションだと思っています。
要は、マーケットインの考え方ですよね。それによってお客様から「イムラさんにこんなことをやってほしい」などとお話がこの数年で出てきていますので、やはり企業のミッションとしてやるべきことだと思っています。
【ナレーター】
変革を推進する5代目社長、井村のキャリアスタートは証券会社だった。当時の仕事内容と得た学びについてこう振り返る。
【井村】
当時は大蔵省(現財務省)の窓口や、株式関係の予算管理・利益計画から現状の把握。それから、東京証券取引所が発信する法令対応などを一気に引き受けていました。
今の時代はコンピューターで処理するような仕事ばかりですが、コンピューターが算出した数字への意見を時々求められることがあって。そこで意見を述べることへのやりがいを感じていたような部分はありました。そういう時代だったと思います。
【ナレーター】
そして1993年、結婚を機にイムラ封筒へ入社。知られざる入社までの経緯に迫った。
【井村】
1992年11月、当社の創業家である妻との結婚式を行ないましたが、私の入社に関する話は出ていませんでした。ところが結婚式の最中に「これで後継者もできましたね」って言われる方がいまして。結婚式が終わり、会社で「なんだお前決まっていたのか」という話になって。話のほうが先行してしまいました。
そのときに上司が「お前、行くなら早い方がいいぞ」と。これは親の感覚で言っていただきました。中途半端に証券会社の仕事をするよりは、やはり決断すべきだと思い、1993年4月に当社へ入社しました。
【ナレーター】
入社後は紙の荷降ろしなどの肉体労働が主な仕事だったと語る井村。当時の経験から得た気づきとは。
【井村】
つい最近まで丸の内でスーツ姿で歩いていた僕が、なんでこんな奈良の田舎で制服を着て、汗をかいて仕事しているのかなと思ったこともありました。でも、ここで意識改革しないと絶対ダメだと思ったんですね。やらされているのではなく、自分でこの仕事をやっているんだと。この仕事は役に立つんだと。
すると、あまり意識していなかったことですが、コミュニケーションが増えました。仕事に打ち込んだ結果、現場の方々から声をかけられるようになり嬉しかったです。意識改革によって仕事が捗るということに、入社数ヶ月で気づくことができて良かったですね。
【ナレーター】
その後、神奈川県相模原市の工場に係長として赴任。その時のあるエピソードが、後の改革につながったという。
【井村】
係長という役職に就き、権限も有していたことから、現場の改善を図りました。1年半ほどして、転勤したんですね。転勤後に赴任先を確認したところ、改善したものが元に戻っていたんです。当社の企業風土を目の当たりにした瞬間でしたね。