【ナレーター】
焼き鳥チェーン店「鳥貴族」を始め、全国に1000店舗以上展開する「株式会社鳥貴族ホールディングス」。
1986年に産声を上げた同社は、全てのメニューを全品均一価格で提供するという、競合他社とは一線を画するビジネスモデルで成長を続け、近年では「TORIKI BURGER」を始めとした新業態の開発など、海外展開も見据えた事業領域の拡大を推進している。
日本有数の焼き鳥チェーンを一代で築き上げた創業者の原動力と、思い描く未来像とは。
【ナレーター】
自社の強みについて、焼き鳥の代名詞とも言える専門店の強さにあると大倉は言い切る。
【大倉】
まず店の強みとしては、全品均一価格ということがあると思います。
そして、たとえば「寿司を食べに行こう」となると「スシロー」さん、中華料理だと「王将」さん、「じゃ、焼き鳥食べたい」と言ったら「鳥貴族」、そういった使い分けをしていただけているのかなと考えています。
小売業界ではかつての総合スーパー全盛の時代から、今では専門店の力が強まっていますが、我々の外食産業でも同じことが言えるのではないでしょうか。
また会社の強みとしては、社員・スタッフが「鳥貴族」というお店を好きだという比率が同業他社に比べて高いことだと思います。
従業員の皆が休みの日に「鳥貴族」をよく利用しているのは、まさにその証ではないでしょうか。
ある意味で、社員・スタッフが当社の一番のお客様なのかもしれません。
【ナレーター】
大倉の原点は、ある人物との出会いにある。
会社員時代、仕事帰りによく訪れていた焼き鳥店の店主と親交を深め、店の手伝いをすることもあったという大倉。
ある日、その店主から「一緒に店を出さないか」と誘いを受けた。はじめは断っていたが、その店主から言われたある言葉に心を揺さぶられた。当時をこう振り返る。
【大倉】
「大倉君、俺と一緒に大チェーンをつくろうよ」というようなことを言われたんです。
当時は私もちょうど、「何か大きなことがしたい、社会的にインパクトのあることをしたい」と徐々に思うようになっていたので、“大チェーン”という言葉が心にとても響きました。
そして「この方についていったら、何か大きなことができるんじゃないか」と考え、一緒に働くことを決めました。その業種がたまたま焼き鳥屋だったということです。
【ナレーター】
大チェーンをつくると意気込んだものの、経営に携わる中で方向性の違いが生まれ、25歳のときに独立を決意。
1985年に東大阪市に「鳥貴族」1号店をオープンするも、業績は芳しくなかったという。
状況を打開するために大倉がとった策が、今の鳥貴族の特徴のひとつである、全品均一価格だ。
【大倉】
独立後に開業した1店舗目は「鳥貴族」でしたが、1年間はなかなかうまくいきませんでした。そこで、当時は居酒屋ブームだったため、2店目、3店目には総合居酒屋のような店舗を開いたのですが、こちらもそれほどうまくはいきませんでした。
ところが1号店の「鳥貴族」を全品均一価格にしてから売り上げが年々上がっていったので、「じゃ、4店目は久しぶりに『鳥貴族』を出そう」ということになりました。
この4号店も順調に売り上げがあがっていったので、「全品均一価格の『貴族族』ならやっていけるのではないか」と考え、先に出していた居酒屋2店舗も「鳥貴族」に変えました。
それがまた成功した時に「あ、『鳥貴族』でいけるな」という確信がやっと持てました。
実は、「鳥貴族」は最初、全品均一価格ではなく、150円・250円・350円のスリープライスでスタートしました。全品均一価格をやりたいという構想は持っていましたが、原価率、採算が読みにくいため、ちょっと怖かったのです。
そこで1年間はスリープライスで営業したのですが、半年目から赤字が続き、このままでは店が潰れてしまうということで、やっと1年後に全品均一価格に踏み切りました。
【ナレーター】
業界の常識にとらわれない施策により、その後も順調に店舗を増やし続け、現在、全国に1000店舗以上を展開するまでに成長した鳥貴族ホールディングス。
挑戦を成功させるために心がけていることについて、大倉は次のように語る。
【大倉】
「成功するまで諦めない」ということを大切にしています。
私は仕事の話や悩みをあまり家庭に持ち込まないのですが、5、6店舗ぐらい出店して、少し伸び悩んでいた頃に、妻が気付いたんでしょうね、「もういいやん」って言われたんですよ。
「何が?」と聞くと、「いや、もうしんどそうや」「もう5、6店舗出してるんだからいいやん」と言うわけです。
その時、妻に話したのが「いや、俺はもう立ち止まれないよ」「俺の夢、志についてきてくれる社員をやっぱり裏切れないし、俺は諦めないで成功するまで行くよ」ということでした。
「成功するまで諦めない」とはそのような思いのことです。