【ナレーター】
高層建築物の外壁には欠かせないプレキャストコンクリートカーテンウォールの設計・製造・施工を手掛ける「高橋カーテンウォール工業株式会社」。
東京都庁舎や東京スカイツリー、グランフロント大阪、新千歳空港旅客ターミナルビルなど、日本の主要建築物の施工を多数手掛けており、国内シェアトップを誇る。
近年では、「デザインと環境で世界をリードする」というビジョンのもと、脱炭素への取り組みにも注力しており、その存在感を際立たせている。
後発企業ながらも、業界のリーディングカンパニーへと上り詰めた強さの秘密と、経営者が思い描く未来像とは。
【ナレーター】
自社の強みについて、建設時のさまざまな相談に対応できる人材の厚みにあると、高橋は言い切る。
【高橋】
設計事務所にまず「デザインをつくってくれ」「設計図を書いてくれ」と依頼します。そうすると、設計事務所は大まかな絵を描きますが、細かいところは当社のような専門業者に相談しながら制作します。
そのときに相談に乗れる人材が当社には非常に多くいるんですね。ただ専門業者にとっては、受注して、製品をつくって納めてお金をもらわないとタダ働きで終わってしまいます。その点、当社は受注率が高いので、「いくらでも相談を受けます」と、安心して人を投入できます。
お客様から見たら「まずは相談できる」。工場に任せれば、「いいものをつくってくれる」。加えて、「取り付け作業も対応できる」。そうした人材が当社には多いので安心して任せてもらっています。
【ナレーター】
高橋のファーストキャリアは都市銀行だった。入行4年目に、病気を患った父親から「家業を継いでほしい」と言われ、2000年に高橋カーテンウォール工業に入社。役員に言われたある言葉が、今でも印象に残っていると言う。
【高橋】
当初は「自分が社長になる会社に入った」と意気込んで、やる気に満ち溢れていました。そのときに、役員陣と一緒に参加した立食パーティーで、ある幹部から「もう逃げられませんからね」と言われたんです。
当時は強力な競合会社がいて「取った、取られた」というような激しい戦いをやっていました。そこに「よう来たな」というニュアンスだったと思います。
【ナレーター】
その後、アメリカの大学に留学しMBAを取得。帰国後の2004年。父親の後を継ぎ、32歳で代表取締役社長に就任した。当時の心境について、次のように語る。
【高橋】
留学をする前から少しわかっていたのですが、親会社である本業は利益を出していましたが、いくつかの子会社でチャレンジした事業はどれも赤字でした。
この赤字のおかげで、本業の人たちの給料が上がらない。子会社の人たちは利益が出ていないから、生活苦に陥る人もいた。これはどうにか脱却しなければいけないと思いました。
【ナレーター】
社員を路頭に迷わせるわけにはいかないと、高橋は赤字事業の精算を始めとした社内改革に着手。厳しい現実に立ち向かう中、あることに気付いた。
【高橋】
「これはまずいですよね」と社内で言っても賛同する人がいない。オーナーが始めたものに反対すると「にらまれる」。事業撤退のトリガーを引いてしまうと「恨まれる」。そんな思いもあったのだと思います。私以外で誰もそれを言う人がいなくて。
赤字の事業を「続ける、続けない」というのは、意識改革というよりも経営者の意思統一の問題です。
経営者プロフィール
氏名 | 高橋 武治 |
---|---|
役職 | 代表取締役社長 |
生年月日 | 1972年12月9日 |
出身地 | 東京都 |
座右の銘 | 一隅を照らす |
愛読書 | 「生き方」稲盛和夫 |
尊敬する人物 | 稲盛和夫 |
日米リーダーシッププログラムフェロー
PCSA理事
会社概要
社名 | 高橋カーテンウォール工業株式会社 |
---|---|
本社所在地 | 東京都中央区日本橋本町1丁目5-4 |
設立 | 1972 |
業種分類 | 建設業 |
代表者名 |
高橋 武治
|
従業員数 | 189名 |
WEBサイト | https://t-cw.co.jp/ |
事業概要 | プレキャストコンクリートカーテンウォールの設計・製造・施工、建築用プレキャストコンクリート部材(N認定)の設計・製造・施工、水施設・水空間・水環境の企画・提案・設計・施工 |