※本ページ内の情報は2024年5月時点のものです。

1947年、機械工具卸業で創業し、1953年に前身の大和自動車株式会社設立から、2023年で70周年。奈良スバル自動車株式会社は、今や3つの会社を持つまでに成長した、歴史の長い会社だ。

社員思いの社長に率いられる奈良スバル自動車の経営理念は、「企業活動を通じての幸福の実現」。会社をどう成長させ、社員にどうあってほしいのか、会社の価値観やビジョンを高木社長にうかがった。

新卒後は工場で7年間、エンジニアとして勤務

ーー奈良スバル自動車に入社する前に、別の会社に勤めていたとうかがいました。当時はどのようなキャリアを積んだのでしょうか?

高木信一:
社会人になったばかりの頃は滋賀県にある印刷会社の工場で働いていました。7年間お世話になったのですが、そこで印象的だったのが、入社3年目で、東京本社から来る当時の社長をアテンドしたときのエピソードです。約1万人規模の大企業だったので、社長と直接会える貴重な機会をとても楽しみにしていたのを今でも覚えています。

アテンドしたのは、工場に入るときのクリーンウェアへの着替え等です。思えば、あのときが「社長」という存在を間近で見る初めての機会でした。初めて間近で見る社長は、自分のイメージとは違うものでした。着替えを手伝われている姿を見て、失礼ですが、私が描いていた社長像とは違ったものでした。

この出来事から、私は社長像というものを意識するようになりました。また、当時弊社の社長を務めていた父をそれまで以上に意識することになり、奈良スバル自動車への入社を決意しました。

奈良スバル自動車への入社後は携帯電話販売店の窓口で接客を学ぶ

ーー奈良スバル自動車に入社してから大変だったことについてのエピソードはありますか?

高木信一:
最初に配属されたのは、弊グループの事業の一つである携帯電話ショップの窓口でした。弊社はグループ企業ですので、会社の一つとして携帯電話のショップも運営しています。

初めての接客業に戸惑うことも多かったのですが、そこでの経験は今に生きていると感じています。

そこで印象的だったエピソードが、窓口で怒鳴るお客様への対応に関するものです。たとえば、回線の接続トラブルへの対応として土下座を要求してくる方もいますし、中には暴力をちらつかせる学生さんもいました。特に学生は、当時は未成年という保護された立場ということもあり、お客様対応に苦戦した思い出があります。

約4年間でしたが、「お客様対応」について勉強できた時期だったと思います。

事業の分社化を経て代表取締役社長に就任

ーー社長に就任されるまでに経験したさまざまな業務の中での、印象的だった出来事を教えてください。

高木信一:
印象に残っているエピソードの一つに、ボルボ事業の分社化があります。ボルボは長期的に取り組んでいる正規ディーラーとしての事業ですが、その分社化に関する官公庁や金融機関、そして取引先等々、全ての手続きやそれに伴う折衝を全て私が担当しました。

そのような社外的な事業と共に、同時に、社内的には組織そのものの環境を整える必要がありました。ボルボ事業部と分社したVSS奈良株式会社には長く籍を置いていましたが、やはり会社としての立ち上げに取り組んだ組織というのは、思い出深いですね。私は現在も、VSS奈良株式会社の代表を兼任しています。

奈良スバル自動車の社長に就任したのは2019年のことです。おかげさまで、弊社は昨年創立70周年を迎えました。また、ボルボは1989年の事業部発足から35年目です。VSS奈良株式会社もお客様から長く愛される会社として、今後も頑張っていきたいですね。

社長としての喜びは社員からの「幸せの報告」

ーー社長として業務に携わる中で、嬉しいと思うことを教えてください。

高木信一:
嬉しいと思うことには大きく2つありまして、一つは業務成績に関すること、もう一つは社員個人に関することです。

まず業務成績に関することですが、弊社が自慢できることの一つに、「ディーラーオブ・ザ・イヤー」(※株式会社SUBARUが主催する、全国のスバルディーラー対象に褒賞する、最高位の勲章)において、2021年までに10年連続で全国第一位を獲得していたということがあります。

これは会社の評判にもつながっていて、さまざまな方面からお褒めいただくことがあるほどです。社員も嬉しく感じていると思いますが、自分が当事者であること、奈良スバル自動車の一員であることに誇りを持って働いてほしいですね。

もう一つの社員個人に関することとは、社員から「幸せの報告」を受けることです。ご契約がとれた報告を始めとして、結婚の報告のような個人的なことも嬉しく思います。私にとっての最大の喜びは、社員の喜ぶ様子を見聞きすることです。弊社に所属することが、社員にとってプラスになってくれたら嬉しいですね。

ちなみにディーラー・オブ・ザ・イヤーに話を戻しますが、じつは受賞10年目の翌年以降、会社全体の状況を考慮し、エントリーを中断した経緯があります。しかし、2023年度は「またみんなで頑張ろう」という機運が出てきたこともあり、再度ディーラー・オブ・ザ・イヤーを獲得できるように頑張った1年間でした。

会社の強みを活かして社員みんながイキイキと働ける会社へ

ーー会社の強みや、今後実現していきたいことを教えてください。

高木信一:
弊社の強みとして欠かせない1つは、3つの会社を持っているという点です。これは会社間の人材交流も可能になりますし、個人個人にとって、働く場所の選択肢が多くあるという意味もあります。

今後取り組みたいのは、5年、10年後を見据えた環境整備です。特に、人事評価制度や経営幹部育成は注力したい分野です。

また、これらの考えの根底には、社員みんながイキイキと働ける会社でありたいという思いがあります。経営理念として掲げる、「企業活動を通じての幸福の実現」や「企業活動を通じて、幸せを感じられる会社であること」の実現に向けて努力を続けていきたいと思っています。

今を目いっぱい生きることの大切さ

ーーこれから社会人になる方たちに向けて、アドバイスやメッセージをいただけますでしょうか。

高木信一:
まずお伝えしたいのは、二度とない学校生活を全力で有意義に過ごしてほしいということです。将来と同じくらい、今そのときを生きることも大切です。目の前のことに一生懸命に取り組むことで成長できますし、その頑張りが何より素敵なことだと思います。

私は当社に入って25年が経ちましたが、まだ55歳と若いですし、これから取り組むべきことがたくさんあります。学生の皆さんも、まずは目の前の学生生活を目いっぱい頑張ることから取り組んでみてください。

編集後記

会社の経営理念から今後のビジョン、そして社長が嬉しく思うことまで、奈良スバル自動車は社員のことを思う姿勢が端々から見える会社だ。

話を聞くほどに優しさが感じられる高木社長。これから会社を通じてどのような幸せを実現していくのか、創立70周年を迎えた奈良スバル自動車はますます注目を浴びることになるだろう。

高木信一/1968年奈良県生まれ、立命館大学理工学部機械工学科卒。凸版印刷株式会社(現・TOPPANホールディングス株式会社)に入社。エレクトロニクス事業本部滋賀工場に配属され、約7年間勤務に就いた。2000年に奈良スバル自動車株式会社へ入社。グループ会社である奈良移動体通信株式会社のドコモショップ窓口にて接客業務に就き、同じくグループ会社のVSS奈良株式会社の設立業務などを経て、2007年に奈良スバル自動車株式会社の代表取締役に就任。2019年に代表取締役社長に就任。