※本ページ内の情報は2026年4月時点のものです。

国内の日本酒消費量が減少の一途をたどる一方、海外での和食ブームを背景に輸出額は拡大を続けている。業界が大きな転換期を迎える中、創業350年を誇る京都の老舗酒蔵、玉乃光酒造株式会社もまた、新たなフェーズへと足を踏み入れた。2023年に代表取締役社長に就任した羽場洋介氏は、「日本酒を売る会社」ではなく、「日本文化を世界へ届ける会社」へと進化することを掲げている。AI全盛の時代にあえて「人の手」による価値を問い直し、世界に向けて日本人の精神性を発信する羽場氏に、その真意と未来図について話を聞いた。

「生きがい」を求めた先に待っていた350年続く家業との宿命的な縁

ーー入社前のご経験についてお聞かせください。

羽場洋介:
将来的に独立して働ける専門性を身につけたいと考え、大学院修了後に公認会計士の資格を取得しました。しかし、いざ実務に就いてみると、社会的な意義が大きいものの、日々数字をパトロールするような業務に対して、自分自身の心が動かされる感覚を持てませんでした。

もっと直接的に人と温かく接することができ、自分自身が心から「生きがい」を感じられる仕事がしたい。そう思い、飲食事業を展開する株式会社ワールド・ワンへ転職しました。その後、結婚を機に、妻の家業である酒蔵の存在が身近なものとなりました。その縁に導かれる形で弊社の運営に携わることとなったのです。

ーー社長に就任するまでの経緯をお聞かせください。

羽場洋介:
現会長である義理の父が社長をしていた弊社に、コロナ禍で落ち込んだ時期の4年半前から顧問として参加し、会社を見るようになりました。内部からじっくりと経営状況を見守ってきたなか、2022年8月、会長から「ぜひ力を貸してほしい」と次期社長への就任を要請されたのです。

そこから1年という歳月をかけて、改めて「日本酒を復権させ、会社を盛り上げよう」と決意を固め、2023年の9月に代表取締役社長に就任しました。

創業350年の歴史が育んだ「商品力」と「流通網」

ーー貴社の特長はどんなところでしょうか。

羽場洋介:
商品力の核となるのは、やはり「水」と「原料」です。弊社が蔵を構える京都・伏見は、桃山丘陵地帯に湧き出る良質な地下水「伏水(ふしみず)」に恵まれた土地であり、この水へのこだわりはどこにも負けません。厳選した米を用い、昔ながらの手づくりで仕上げた純米酒には、限りなくピュアな製品を世に送り出しているという強い自負があります。

ブランドの歩みについては、若い世代への認知度はこれからというところですが、祖父の世代には「玉乃光」の名は深く浸透しています。戦後の復興期には、業界に先駆けて純米酒を復活させた経緯があり、当時の圧倒的な勢いが現在の弊社の礎となっています。現在も純米吟醸酒と純米大吟醸酒のみを醸す酒蔵として、原料と製法にこだわり続けています。代表銘柄である「純米大吟醸 備前雄町100%」は海外でも評価が高く、現在では玉乃光ブランド全体で世界30か国以上へ輸出しています。

通常、小さい酒蔵は流通網を持たずに単価の高い商品だけを売るケースが多く、量をさばくことはできません。逆に大手酒造メーカーになると大きな流通網で単価は安くてもスケールを大きく動かすかわりに高級酒を売るのは難しくなります。弊社はブームの時代に大手流通先とも取引を築いてきたため、今でも量販、高級路線とも二刀流で販売できるのが大きな強みです。

目指すのは「文化の図書館」世界を日本文化のファンに変える挑戦

ーー社長就任から2年が経過し、経営方針に変化はありましたか。

羽場洋介:
考え方が大きく変わりました。以前は「日本酒の概念を覆そう」と思っていましたが、今はその考えを一切持っていません。就任当初は、業界が古くて閉鎖的だと思い込んでいたので、新しい風を吹かせれば上手くいくと考えていました。

しかし実際に入ってみると、他の酒蔵も皆、美味しいお酒をつくり、かっこいいラベルをつくり、新しいことに挑戦している。それでも、その魅力が十分に届いていない現実がありました。そこで、方針を転換し、もう一度原点に立ち返ったのです。私たちがやるべきは、奇をてらって概念を覆すことではなく、むしろ「日本の文化の一員」として、世界に文化そのものを発信することだと考えました。

今、世界では戦争や気候変動など、混沌とした状況が続いています。そんななか、自然と調和し、他者を尊重する日本の精神性や文化が世界から見直されつつあります。このタイミングで、私たちが日本文化を世界に届けることは、非常に意義深いことだと感じています。

ーーなぜ、数ある日本文化の中でも「日本酒」が、その発信役を担うべきだとお考えなのでしょうか。

羽場洋介:
日本酒は、海外の方にとっても「体験」しやすい文化だからです。たとえば、私が浮世絵を持って海外へ行き「見てください」と伝えても、知識のない方にはその価値が伝わりにくいでしょう。しかし、お酒であれば「乾杯」という世界共通の儀式を通じて、その魅力をダイレクトに体感していただくことができます。「一緒に飲もう」とグラスを交わし、酔いを楽しむ。その自然な交流の体験の中に、日本の精神性を乗せることができるのです。

日本酒は、日本文化を世界に届けるための「先陣」を切れる最強のツールだと確信しています。まずは日本酒で興味を持っていただき、そこから「実は日本にはもっといいものがある」と、陶芸やお茶、織物といった、より深い日本文化の世界へ誘う。私たちはその入り口を作る役割を果たしたいと考えています。

ーーその実現に向け、具体的にどのような取り組みを行っていますか。

羽場洋介:
現在、京都・伏見にある築140年の酒蔵をリニューアルし、日本文化の発信拠点として再生させるプロジェクトを進めています。ここは単にお酒を販売する場所ではありません。西陣織のインテリア、伝統工芸士による照明、和ろうそく、陶芸作品など、日本文化を代表する品々を一堂に集めた空間にします。

能楽師を招いて能を披露したり、お茶の先生による茶会を開いたりと、訪れた方が五感で日本文化を浴びることができる「文化の図書館」のような場所にしたいと考えています。京都駅からタクシーで15分という立地を活かし、世界中からVIPや文化に関心の高い方々を招き入れたいですね。

ーー拠点づくり以外にも、新たなプロジェクトはありますか。

羽場洋介:
「350×(さんびゃくごじゅうかける)」という異業種の文化クリエイターとのコラボレーションを進めています。これは、創業350年の伝統を持つ私たちが、多様なジャンルのクリエイターと掛け算で新しい価値を生み出し、日本文化を世界に届けていきます。

中身のお酒は、弊社の若い蔵人たちが「一人の文化クリエイター」として、既存の味にとらわれず自由につくり上げます。そして、そのボトルのデザインを、デザイナーや華道の先生、陶芸家といった多様な文化クリエイターが手がけます。プロジェクト全体では、海外・国内合わせて年に2回、計12名の文化クリエイターとのコラボレーションを予定しており、すでに24名の文化クリエイターとコラボしています。

たとえば、陶芸ファンの人がボトルデザインをきっかけに日本酒を手に取るかもしれない。そうやって、日本酒をフックにして周辺文化を巻き込みながら、日本文化全体のファンを増やしていきたいと考えています。

神話の時代から続く「祈り」と「熟成」の物語

ーー「熟成酒」にも注力されていますが、そこにはどのような意図があるのでしょうか。

羽場洋介:
熟成酒を通じて、日本人の精神性や「時」の価値を伝えたいと考えています。そもそもお酒は、神様とつながるための神聖なものでした。神棚には水、塩、米、そして酒を供えますよね。豊作を祈り、感謝して神様と共に酒を飲む。そこには、自然への畏敬の念が込められています。

社名にある「玉乃光」という名は、弊社創業の地である和歌山県の熊野速玉大社から授かったというルーツがあります。主祭神である国生みの神の御霊(みたま)が映えるように、との願いが込められています。こうした神話的な背景や、10年という長い歳月をかけて熟成されたお酒には、単なるアルコール飲料を超えたストーリーが宿ります。今後、その神聖な物語ごと味わっていただくことで、日本の精神文化に触れていただきたいと考えています。

私は社員一人ひとりが、単にお酒をつくっているのではなく「日本文化の伝承者」であるという誇りを持ってほしいと思っています。私たちも「日本文化を発信している」という誇りを持つことで、日々の仕事への向き合い方は大きく変わると信じています。

ーー最後に、今後の展望をお聞かせください。

羽場洋介:
AIやテクノロジーの進化により、世の中は効率化一辺倒になりつつあります。しかし、すべての無駄を削ぎ落とした先に、果たして人間の幸せはあるのでしょうか。もし「面倒なことはAIに任せればいい」となり、人間がただ画面を眺めて一生を終えるような社会になったとしたら、私はそれを幸せだとは思いません。

朝起きて身支度を行い、一生懸命に働いて、心地よい疲れと共に眠りにつく。この「人の営み」そのものにこそ、幸せの本質があると考えています。だからこそ、私は手作業や手間を大切にする日本文化にこだわります。自分たちの手で何かを生み出し、工夫し、苦労してつくり上げる。そのプロセス自体を楽しむことが、これからの時代における「勝ち筋」であり、幸福な生き方だと考えています。

若い世代にも、こうした「日本人の誇り」や「働く喜び」を伝えていきたい。世界に誇れる日本文化の旗振り役として、弊社はこれからも挑戦を続けていきます。

編集後記

効率化を突き詰めた先に、人間の幸せはあるのか。羽場氏が投げかける問いは、利便性を追求し続ける現代社会への切実なメッセージとして響く。あえて手間暇のかかる「人間臭い営み」の中にこそ、生きる喜びやこれからの時代の勝ち筋があるという信念。その視点は、酒づくりを単なる製造業に留めず、日本文化の価値を世界へ再提示する活動へとつながっている。築140年の蔵を再生し、日本酒を入り口にして「日本人の誇り」を次世代や世界へつなごうとする挑戦。350年の歴史を背負いながら、自らが先陣を切って変革を恐れず突き進むその姿に、老舗酒蔵の新たな可能性を見た。

羽場洋介/1979年12月生まれ。大阪大学大学院情報科学研究科修了。公認会計士。2005年4月PwC京都監査法人、2012年8月株式会社AGSコンサルティングへ入社。2016年6月株式会社ワールド・ワンの取締役に就任(現任)。2023年9月、玉乃光酒造株式会社の代表取締役社長に就任(現任)。