※本ページ内の情報は2026年3月時点のものです。

「安全・軽量・使いやすさ」を追求した作業工具ブランド「HIT(ヒット)」を展開し、世界中のプロから支持される東邦工機株式会社。鍛造技術を強みに、国内のみならず北米や欧州などグローバルに販路を広げる同社。6代目の代表取締役社長を務める川上喜八郎氏は、三洋電機株式会社での勤務や米国シリコンバレーでの就職など、多彩な経歴を持つ。人口減少や人手不足という逆境の中、独自の「標準化」や「ニッチ戦略」で100年企業の伝統をいかに進化させているのか。波乱万丈な半生と、安全への強いこだわりが凝縮された経営哲学について話を聞いた。

家業を離れ培った広い視野と独自のキャリアパスの構築

ーー最初から家業を継ぐことを目指されていたのですか。

川上喜八郎:
祖父が弊社を創業し、私ははや6代目になりますが、最初から社長になりたいと思っていたわけではなく、何とか会社を継ぐ事を回避できないかと考えていました。大学卒業後は、家業を継がずに三洋電機に就職しました。当時、コンピューター関連の仕事が将来有望だと思い、大きな企業で経験を積むことが重要だと考えたのです。

米国留学で得た異文化コミュニケーション力と逆境を乗り越える経験

ーー三洋電機での勤務を経て、その後はどのような道に進まれたのですか。

川上喜八郎:
東邦工機に入社を決意した時、英語の必要性を感じ海外留学を決意しました。アメリカの言語学校に通い、アメリカ人の友人とのやり取りを通じて、言葉だけではなく文化も学ぶことができました。この留学中の経験が、後の経営者としてのキャリアにも影響を与えていると思います。文化、習慣を知り、発せられる英語の背景を想像しコミュニケーションをとることは、私にとって多くの学びでした。

ーー帰国後はどうされたのですか。

川上喜八郎:
帰国後、東邦工機に入社しましたが、父との相性が悪く、結局退職してしまいました。就職活動をする中で、中途半端に終わっていた留学を完結するため、再びアメリカに渡る決断をしたのです。

しかしこの時、わずか1年分の資金しかなく、2年制のシティカレッジを1年で修了する必要がありました。さらには入学資格を得る為の英語力も必要だったので、英語のプレスクールから始めカレッジ卒業までを1年以内に修了させなくてはなりませんでした。

即座に決めて入学してしまった分、勉強量が膨大になり、過酷な課題をこなすことになります。大変でしたが努力が実を結び、期間内にカレッジを修了することができ、1年間の就労ビザを取得することもできました。そこからシリコンバレーで就職を果たし、日系のコンピューター関連の企業に勤務しながら、あらゆる経験を積み重ねました。

シリコンバレーでの解雇が導いた新たな縁と家業への復帰

ーーアメリカでの就職からどのように日本に戻り、現在の役職に就かれたのでしょうか。

川上喜八郎:
アメリカでの就職はビザの問題や、クライアントとのやりとりなど多くの苦労がありました。転換点はビザの切替申請で一度日本に帰国し、1年後にアメリカに戻ったときです。会社に戻ると、顧客の層が不安定になっていました。営業の担当者が代わり、それまで私が仲良くしていた会社とのつながりが断たれてしまいました。その状況を改善すべく、もともと取引のあった企業との関係修復をしたり、営業活動を行ったりしましたが、関係修復できると担当をかえられ厳しい時期が続きました。仕事用のパソコンの支給がなかったので、顧客の壊れたパソコンを譲り受け使用できる部品で事務用パソコンを作成したりしていましたが、ある日急に責任者が来て解雇を言い渡されました。営業はできるけど従順ではなかったので、まさに「目の上のたんこぶ」だったのでしょうね。

就労ビザを取得していた立場だったゆえ、ビザサポートがなくなったので、帰国するしかありませんでした。解雇後、泣く泣く今までお世話になった顧客にご挨拶に回っている中、一社より帰国後の予定が決まっていないのであれば、日本の本社の方へ連絡を取るよう提案を受け、面接を経てアイ・オー・データ機器のカスタマーサポートセンターに配属されることになりました。その後、同社の海外推進課に異動となりました。

海外推進課は大変忙しく、世界中の国々と日本の企画側との間に立ち交渉、調整に苦労しました。フレックスタイムが許可されていたものの、常に世界のどこかは起きているわけで、昼夜関係なく働き、体を壊すこともありました。ユニークな経験も多々ありましたが、すでに東邦工機へ入社していた弟に懇願され、東邦工機に入社しました。

アメリカから日本に戻った後が一番苦労しましたが、同時にさまざまな経験を通して、楽しかったとも感じられます。私の素地となる部分は、アメリカでの経験によって培われたのでしょう。

「安全」を重視する市場への適応とニッチ分野に特化した開発戦略

ーー現在の業界環境の変化についてどのようにお考えですか。

川上喜八郎:
世界的な情勢不安もあり景気は決して良くありませんが、今最も重要なキーワードは「安全」です。大手企業も安全性を非常に重視するようになり、最近では何かを開発する際に依頼側が最初から開発予算を確保してくれるケースも増えました。メーカーに長期間製造を持続してもらうため、適正な予算をかけて安全なものをつくるという形に変わってきています。

ーー製品開発において大切にしていることを教えてください。

川上喜八郎:
誰もが参入するオープンな市場ではなく、特定の業界や作業で使うようなニッチな工具の開発に注力しています。以前から、開発を依頼されたときには安易に断ることはしませんでした。赤字では受けれませんが、プラスマイナスゼロなら、顧客へ「今は100丁だけれど、将来は1万丁になるといった夢を下さい」と言って受けてきました。その積み重ねにより、今では電力会社との共同開発や、警察などの特殊な現場で使われる専用工具の開発にもつながっています。

職人技術の標準化による継承と全社データベース化が進めるDX

ーー技術の継承はどのように進められていますか。

川上喜八郎:
今の時代は、特定の職人しかできない難しい技術を継承するのではなく「誰でもできるように変えていく」こと、つまり標準化が重要です。たとえば、以前は熟練の感覚が必要だった「エアードロップハンマー」を、プログラムで叩く力を制御できる「油圧ハンマー」に置き換えました。これにより、ベテランでなくても一定の品質で作業ができるようになります。

ーー社内の情報管理については、どのような取り組みをされていますか。

川上喜八郎:
現在、全社的なデータベース化を2年ほどかけて進めています。データベースを整理して構築することで、新たな基幹システムの選定や移行がスムーズに行えるよう準備しているところです。事務作業の負担を軽減させるだけでなく、正確な数字を把握できる体制を整えている最中です。

グローバルなリスク分散と現場発想の製品開発

ーー貴社の競争優位性や強みは、どのような点にあるとお考えですか。

川上喜八郎:
工具も鍛造品も、取引先の業種が非常に多岐にわたるのが強みです。どこか一つの業界が落ち込んでも他がカバーしてくれるため、極端に業績が下がりにくいリスク分散ができています。また、海外販路も北米やヨーロッパ、アジアなど全世界に広がっているため、これも大きなリスクヘッジになっています。

ーー製品づくりでは何を大切にされていますか。

川上喜八郎:
現場での実際の使われ方を観察し、そこから改良を加えています。たとえば帯鉄を切るカッターでは、刃を入れるために持ち手をハンマーで叩く人が多いのですが、それなら最初から叩くことを前提にした工具を提供した方が安全です。

また、両手持ちで設計された工具が実際には片方を地面において使用する頻度が多い場合、最初から両手持ちでも据え置きでも使用できるように製造する。「今までこうだったから」ではなく「これ、おかしいんじゃないか?」と疑うところから、現場に即した安全な道具が生まれるのです。

問題点の原因を探り、効率よく改善策を見つける

ーー将来のビジョンをお教えください。

川上喜八郎:
「適応力」が最も重要だと私は考えています。予期せぬ出来事でビジョンが崩れたり、環境が変わったりしても、柔軟に対応する力があれば、前を見て進むことができる。落ち着いた状態で未来を見据えることができると思うのです。

よく私は、企業経営を「穴があいた船」にたとえ、「かき出す水と塞ぐ穴」の話をします。今やってるのは沈まない為に水をかき出す作業をしているのか、根本原因である穴を塞ぐ作業をしているのか。対症療法的な作業は必要であり効率よくしなければいけませんが、それに集中しすぎて穴を塞ぐのを疎かにしては、いつか船は沈んでしまいます。

ーー変革を進める上での難しさはどういった点にありますか。

川上喜八郎:
工場のような外部との接触が少ない環境で働く人は、変化を嫌う傾向があります。通常業務では行わない穴を塞ぐ作業には大きな反発があります。しかし、決断し多少強引でも、強い信念のもと皆をけん引し、穴を塞ぎ、水をかき出す作業を減らし、強い推進力を持たなければいけないと思います。

自ら課題を見つけ環境を変える人材の登用と柔軟な製造体制の構築

ーー今後、どのような人物に来てほしいですか。

川上喜八郎:
自分で環境をつくり、おかしいと思うことを変えていける人に来てほしいですね。与えられた役割をただこなすだけではなく、自ら課題を見つけて疑問と好奇心を持つ方と一緒に働きたいと考えています。弊社は、発想があって採算がとれるなら、基本的に「何をやってもいい」というスタンスです。自分の想像力を大切にし、採算ベースに乗る絵を描ければ、既存の枠を超えて新しいことにチャレンジできます。最終的な責任は私がとりますから、失敗を恐れずに自らのアイデアを形にできる方を求めています。

ーー最後に、今後の展望をお聞かせいただけますか。

川上喜八郎:
今後は内製化も考えていかなければなりません。外注先が不足するという課題は製造業全体の共通認識ですが、すべてを自社設備で賄うには限界があります。そのため、新しい協力会社を探したり、他社と共同で購入したりと、柔軟なネットワークづくりも模索しています。一つひとつの「穴」を塞ぎながら、世界に誇れる製品を届け続けていきたいと考えています。

編集後記

インタビューを通して、川上喜八郎氏の地道な努力と忍耐力に感銘を受けた。アメリカでの就労経験が川上氏をタフにし、冷静に現実を見極める判断力を身に付けるきっかけになったのではないだろうか。リーマンショック以降、厳しい状況に置かれている中小企業だが、ビジョンの重要性よりも適応力が経営において不可欠だという川上氏。企業経営を「穴があいた船」にたとえ、水をかき出すだけでなく穴を塞ぐことがより重要であり、反発の力を見越した強力な変革力が必要だと説く。現場の発想を柔軟に取り入れ、「安全」を軸に世界中へ販路を広げる川上氏によるビジネスの舵取りは、東邦工機株式会社をより大きく成長させていくに違いない。

川上喜八郎/同志社大学商学部卒業後、三洋電機株式会社に入社。1992年に東邦工機株式会社の貿易部に入社し、95年には退職して渡米。Santa Barbara City Collegeでマーケティングを専攻して卒業し、T-Zone Inc.、ミカサ商事株式会社、株式会社アイ・オー・データ機器を経て、2005年に再び東邦工機に入社。2010年に代表取締役に就任。