近年の「働き方改革」や「DX推進」により、情報システム部門の業務負担が増えた一方で、多くの企業では人材不足が課題となっている。
そんな中、IT機器のサブスクリプションサービスを提供し、情報システム部門の支援事業を行っているのが、株式会社パシフィックネットだ。
数ある上場企業の中でも、同社はPCの導入から運用サポート、データ消去までトータルで
請け負っている、唯一の企業である。
2023年8月に先代から会社を引き継いだ、上田雄太氏の思いを聞いた。
PCの導入から運用サポート、データ消去・リサイクルまで一気通貫でサービスを提供
ーーまずは貴社の事業内容についてご紹介いただけますか。
上田雄太:
当社は1988年に創業し、今年で37年目を迎える業務用PCのLCMサービスを提供する会社です。人材不足を背景に、生産性の向上が企業の喫緊の課題となっています。
テレワークの浸透もあり、各人が複数のデバイスを所有することも珍しくなく、企業が管理する総デバイス数は昔より増加しています。機器の選定から導入、ユーザーごとの管理、それに伴うセキュリティ対策やネットワーク管理など、情報システム部門の負担は増える一方です。
多くの企業ではこれらの業務に忙殺され、コア業務であるIT戦略やDX推進に手が回らないという課題を抱えています。本来注力すべき業務に時間を割くために、ノンコア業務を外注したいというニーズは年々増えています。当社の事業の目的は、情報システム部門の負荷軽減です。
ーー貴社の強みについてお聞かせいただけますか。
上田雄太:
PCの導入から処分までのライフサイクル管理をワンストップで提供しているのは、上場企業の中では当社だけです。
たしかに、サービスを部分的に提供する企業は存在します。しかし、「トータルでの業務負荷軽減」を提案している会社は殆どありません。企業は業務負荷とリスクの軽減を望んでいるのであって、外注先を増やすことが目的ではありません。
ーー現在のPCサブスクリプションモデルへ事業転換されるまでの経緯をお聞かせください。
上田雄太:
創業当時、PCは利用者が限定される高額な製品でした。そこで、今後レンタル需要が伸びていくと目を付けた父は、短期レンタルを行う「パシフィックレンタル」を立ち上げました。
1997年以降、企業が排出されるPCのデータ消去や引き取り回収を行う事業が本格化し、メンテナンスしたPCを販売する、リユースに業態を広げました。
その後、業績は順調に伸び、社名も現在のパシフィックネットに改名しています。最盛期は全国に12の店舗を持ち、いつしかレンタルよりも中古PCの販売が主となり業界での存在感を高め、2006年には上場するまでになりました。
その後しばらくして、リーマンショックが起きるなど日本全体が景気後退ムードとなり、企業は設備投資を大幅に縮小するなど、長く業績に足踏みが見られました。当時を振り返ると、スマホやタブレットなどの新たな端末の登場や、中古市場も成熟の時代だったので、次の成長の分水嶺を見極める時期でした。
このような経営環境の変化を鑑み、使用済みPCを企業から仕入れて販売する小売ビジネスだけでは将来はないと考えた父は、業務用PCの長期レンタルを主とするLCMに事業転換する決意をしました。
具体的には店舗事業からはすべて撤退し、「小売からサービスへ」「ストックビジネスの最大化」をスローガンに現在のサブスクリプション事業、ITAD事業に大きく舵をきりました。現在では、サブスクリプション事業の売り上げが全体の7割を占めるまでになりました。
ーー事業転換をされるうえで社内体制や社員教育についてはどうされたのでしょうか。
上田雄太:
事業転換に伴う整理解雇は一切ありませんでした。当社には昔からPCに詳しい従業員が沢山いて、そのノウハウは今の事業でも活かすことができました。事業転換は大きな痛みと意識改革が伴うものでしたが、父の強いリーダーシップのもと、全従業員がベクトルを合わせ難局を乗り切ることができました。
一方、欠員が出てから人を補充する従来の姿勢を改め、ダイレクトリクルーティングを中心とした攻めの採用にシフトしました。
新卒採用は毎年行っています。外部研修を含めた育成をしっかり行い、営業やエンジニアとして活躍できる人材を輩出しています。20代で管理職に昇進した例もあり、年齢にかかわらずステップアップが可能です。
また、キャリア採用にも力を入れています。異業種からの転職組も多く、入社後にスキルを身に付け頭角を現し、管理職にスピード昇進したケースもあります。
例えば、かつてスーパーでうどんの試食販売をしていた社員は営業のリーダーをしていたり、元ホテルマンだった者は気鋭のエンジニアとして働いていたりします。このように、異業種から来た人が活躍できるのが当社の特徴です。
創業者である父親の偉大さを知り、後継者になることを決意
ーー上田社長は以前からお父様の会社を継ぐことを意識されていたのですか。
上田雄太:
父から将来会社を継いでほしいという話は今まで全く出なかったですし、私自身も経営者になるつもりはありませんでした。
学生の頃は父親の経営する会社が何をしているのかさえ知らず、上場したと聞いた時も「何だかよくわからないけどすごいな」くらいにしか思っていませんでした。
大学卒業後、全く関係のない業界で営業をしていましたが、年を重ねるごとに働くというこ
との苦楽やキャリアについて考えるようになりました。
その時には、ゼロから起業した父への尊敬の念は持っていて、「後継者として親を支える人生もカッコいいな」と、ふと思いました。28歳のときにそれまで勤めていた会社を辞め、ビジネススクールを経て30歳の時に当社に入社しました。
組織改革を進めながら既存の事業をより強固に
ーー今年の8月には2代目として代表取締役社長に就任されましたが、今後どのような経営者を目指されるのでしょうか。
上田雄太:
会社に入り9年経ちましたが、そのうち7年半はグループ会社の経営に携わっていたため、まだ若葉マークが付いた社長だと自覚しています。父が目指す経営理念に対する思いは引継ぎ、その実現の為には、既存事業をより強固なものにする必要があると考えています。
ーー今後どのような社内改革を進めていこうとお考えですか。
上田雄太:
父は創業者であり同時にアイデアマン、誰よりも行動力のある営業マンでもありました。そのため、発信力も強く、どちらかと言えばトップダウンの組織文化があると思います。
私の役割は「永続的に発展していく会社」を作ることだと思っています。そのためには、トップダウン型からボトムアップ型へ、徐々に体制をシフトしていく必要があると考えています。
私は、組織は平面ではなく、縦横斜めに人がつながる「円錐型」の組織が理想だと思っています。理由は、仕事というものはあらゆる部署が互いに接しながら重層的になり、成立するからです。
私が考えるトップダウンは、上位下達の関係ではなく、トップ自らが現場に降りていき、広く意見を取り入れて改善していくものなので、こうした考えに共感いただける方と一緒に働きたいですね。
編集後記
父親の会社を引き継いだ上田社長だが、学生時代はどんな事業を行っている会社なのかも知らなかったという。しかし、社会人になって世の中の厳しさを知り、改めて父親の偉大さを理解したそうだ。先代の意思を継ぎ、PCの導入から運用、リユース・リサイクルまで請け負う株式会社パシフィックネットは、今後も多くの企業をサポートしていくことだろう。
上田雄太(うえだ・ゆうた)/1983年生まれ埼玉県出身。青山学院大学大学院卒。2014年に株式会社パシフィックネットに入社し、経営企画室に配属。その後、合併会社への出向、グループ会社の代表取締役社長などを経て2023年8月、代表取締役社長に就任。