※本ページ内の情報は2025年6月時点のものです。

日本の自動車技術は世界でも高い評価を受けており、その背景には自動車部品をつくる企業たちの存在がある。株式会社東京濾器山村製作所も、その1社だ。

同社は家電部品の会社として始まり、自動車部品へと領域を広げた。そしてさらに現在、また新たな業種への参入を目指しているという。

代表取締役社長の山村孝幸氏は、鉄部品からプラスチック部品への置き換えが始まる時代の流れの中で、会社を大きく成長させた人物だ。そんな山村氏に、同社の展望を聞いた。

鉄からプラスチックへの置き換えで奮闘した20代

ーー社長に就任するまでの流れを教えてください。

山村孝幸:
弊社が1961年の創業時に山村商店として手がけたのは、洗濯機部品などの板金プレス事業です。祖父の代に山村精工株式会社として東京濾器株式会社とビジネスができるようになり、そこから自動車の部品事業が始まりました。

鉄部品からプラスチック部品に置き換わる時代の流れの中、当時の社長に「社会勉強、仕事の内容を把握するために3年はお客様の会社で修行してこい」と言われ、私は東京濾器株式会社へ3年間修業に出ることになりました。プラスチック技術について学んだのも、このときです。

もともと私にはやりたいことがたくさんありましたが、父が夜遅くまで仕事をする姿から学ぶことも多く、ものづくりにも興味があったので技術者として父の仕事と同じ仕事に就く決意をしました。

ーー苦労したことはありますか。

山村孝幸:
東京濾器株式会社との取引を進める中で、弊社も鉄からプラスチックへと、部品の素材を置き換えることが決まりました。ただ、当時はプラスチックが何なのかを知っている人が会社にほとんどおらず、自分の力で事業を立ち上げなければなりませんでした。

誰かに頼ることもできず、20代前半から30歳くらいまではずっと仕事に励んでいました。東京濾器株式会社から設備移管という形で機械を三台設備移管したり、新工場を建て、二十台の設備移管を行いました。新たに工場を建てるためにほかの工場を閉めて集約したり、しんどい気持ちはありましたが、「自分がやらなければ」という責任感もありました。

大量生産ではなく他の分野の市場で勝負する理由

ーー山村社長の事業や経営への考え方を教えてください。

山村孝幸:
自動車業界が「100年に一度の大変革期」といわれる中、自動車一本で生き残るのは厳しいと前々から考えていました。また、自動車業界でやっていくしかない場合は、自工メーカー様の受注動向に振り回され(コロナ禍の様な事態)工場停止時には弊社の稼働をストップせざるを得ないなど、過去は安定受注ではあったものの近年ではその形態は大きく変化しています。

また、東京濾器株式会社様で修行した事や技術支援を頂き自動車業界で培ったノウハウを他の分野で活かせないか?と言うと考えが湧いてきました。

これらの問題を解決するためには、自動車以外の分野にも参入する必要がある。そう思って人脈や横のつながりを活かし、いろいろな人に声をかけ、自動車一本ではなく環境事業も始めることにしました。

多くの経営者は大量生産できる製品で事業を安定させようとしますが、大量生産では競合が増えます。競合が増えるとコストの叩き合いが起こり、製品が売れたところで会社の利益は非常に薄いのです。自動車がまさにその例です。そのため、私は自動車のような大量生産数ではないかもしれませんが、競合他社の少ないかつ、利益性が高い他分野の市場を狙う事も考えています。

新規参入のチャンスは開発部門に営業をかけること

ーー目標や夢はありますか。

山村孝幸:
弊社は現在ティア2(二次下請け)サプライヤーですが、直納できる取引先もあります。それでもやはり、夢はティア1(一次)サプライヤーとしてメーカーと直接仕事をすることですね。

ただ、このティア2という立場にも強みはあり、それは業種を選ばず営業ができることです。今後は自動車はもちろん自動車以外の業種にも積極的に挑戦したいので、今どの業界に参入するかを決めるためにリサーチしているところです。

弊社には射出成形技術やプラスチック溶着技術などさまざまな技術があるので、この技術力をアピールポイントとして、すでにいくつかの企業にアプローチしています。

新しい業界に参入するのは、現場からすると怖いことかもしれません。しかし、新しいことを始めればその業界の知見ができ、そこからさらに新たな事業を立ち上げられるようになるので、挑戦する価値はあると思います。

ーー新しい業界に参入するときのコツはありますか。

山村孝幸:
購買やコストパフォーマンス部門ではなく、情報収集、技術提案に営業することです。開発部門には「どのような製品を生み出したいか?」や、製品実現に向けての問題点などさまざまな場面で提案が出来る場があります。また、先々の動向や情報を持っておられ、弊社としても「どのような準備が必要なのか?」などの検討をすることができます。

実際に、弊社の社員が、他社の開発部門に直接おうかがいし、製品を量産体制に乗せるための準備について具体的なご提案などをさせていただいたことがあります。

その際、ティア1メーカー様との打合せにて最適な製品形状提案し図面を作成するなど、まさに「ものづくりを担う会社(弊社)」「開発を行う会社(客先様)」「販売、戦略を担う会社(メーカー様)」という、それぞれの専門分野を持つ3社が一体となって協力体制を築き、プロジェクトを成功に導きました。

プロフェッショナル意識で仕事に情熱を

ーー最後に、若手に向けてメッセージをお願いします。

山村孝幸:
会社では1日のうち長い時間を過ごすことになるので、何か楽しみや目標がないとつらいし、続かないですよね。そのため、私は社員を「アスリート」と呼んでいるんです。アスリートは、自分を磨くためのトレーニングを欠かしません。会社員もアスリートと同じく、自身がプロであるという意識を持って仕事に取り組んでいただいております。

編集後記

現在は後継者の育成にも力を入れている山村社長。「もし自分がいなくなっても会社が成り立つような仕組みをつくっていきたい」と話した。

家電部品の企業からスタートし、時代とともに形を変えながら現在も活躍する同社。これからの時代に合わせ、新たな業界でどのような進化を遂げるのか楽しみだ。

山村孝幸/1975年、滋賀県生まれ。高等学校を卒業後、得意先である東京濾器株式会社草津工場での約3年の修行を経て、1993年に家業の山村精工株式会社へ入社。生産技術課に所属して、板金プレス加工や板金部品の試作品の製作を担当しながら切削技術、切断技術、溶接技術などの基本を学ぶ。金属製品からプラスチック部品への転換期となり、再び東京濾器株式会社草津工場にて約1年、プラスチックの後加工に必要な溶着技術を学びプラスチック事業を立ち上げる。1996年、山村精工株式会社が東京濾器山村製作所を吸収合併し、株式会社東京濾器山村製作所として再発足。2013年に同社代表取締役社長に就任し、現在に至る。