※本ページ内の情報は2025年2月時点のものです。

昭和2年に神奈川県横浜市で創業した株式会社勝烈庵は、飲食業を営む老舗の会社だ。野菜と果物を2日間煮込んでつくる秘伝のソースをかけたカツレツで、創業時から変わらぬ味を提供している。系列会社に、カツレツを中心としたお弁当を扱う勝烈庵フーズ株式会社や、レトロでクラシックな雰囲気の洋食店「馬車道十番館」を運営する株式会社横浜十番館がある。

創業時から「変えないこと」を貫く株式会社勝烈庵の事業にはどのような背景があるのだろうか。株式会社勝烈庵、株式会社横浜十番館の代表取締役社長を務め、勝烈庵フーズ株式会社は大和食品工業株式会社へ売却後も取締役会長を務める本多初穂氏に話をうかがった。

祖母から伝統を引き継ぎ経営者の道へ

ーーご親族が経営者だったそうですが、将来は会社を継ぐと考えていましたか?

本多初穂:
親族と仕事をするつもりはありませんでした。学生時代は舞台やミュージカル、小演劇などに興味を持ち、その関係の仕事に就いていました。大学中退後も演劇の仕事を続けていましたが、結婚・出産をきっかけに退職して、上の子どもが幼稚園に入ったときに弊社の系列の広告会社に入社しました。

その後、勝烈庵の経営に携わっていた祖母が亡くなったため、私が監査役として入社することになったのです。さらにその後、両親が相次いで亡くなってしまいました。私が社長に就任したのは、父が亡くなる半年前のことです。

ーー仕事をする上で社長がこだわっていることなどを教えてください。

本多初穂:
弊社の創業者から祖母が会社を引き継いだときに、「何も変えない」という約束をしていたので、私も約束を守っています。ただ、お箸に関しては環境に配慮して、当初の塗り箸から熊野古道の間伐材を使用した割り箸に変えました。それ以外の点では、創業者から引き継いだ大切な心や考えを守るようにしています。

創業から変わらぬ手づくりの手法と心

ーー貴社の事業内容を教えてください。

本多初穂:
弊社は、昭和2年創業の老舗かつれつ専門店「勝烈庵」を軸に事業を展開しています。創業者が工夫を重ねて生み出した味を後世に伝えたいと考え、食材の仕込みから調理まで徹底的に手づくりにこだわっています。例えばマヨネーズなどの調味料は自家製ですし、パン粉は揚げ物に合うように独自の配合で焼いたパンからつくったものです。キャベツもスライサーを使わずに刻むなど、できる限り昔ながらのつくり方にこだわっています。

弊社の店舗は、ファミリーレストランのような性別・年代を問わず利用しやすい雰囲気のお店です。客層はファミリー層、サラリーマン層、外国人観光客と本当に幅広いです。よく「2月、8月は飲食店の閑散期だ」と言われますが、弊社は受験生や観光客の方の利用があり、2月・8月も忙しいですね。

ーー働きやすい環境づくりに関して、特に配慮していることは何ですか?

本多初穂:
育休に関しては、社員各自で期間を決めて取得できるようにしています。介護も同様で、希望者は時短勤務が可能です。忙しい職場なので、互いに配慮し自然と協力しあう雰囲気ができていると感じますね。年齢に関係なく、仲良くティーブレイクを楽しむ姿もよく目にします。

理想は「柔軟なワークスタイルが可能な会社」

ーー今後はどのような企業になっていきたいとお考えですか?

本多初穂:
店舗数を増やすことに特にこだわりはないので、少数精鋭の業態で事業を続けていきたいと考えています。新しく職人になろうとする人の数が少ないので将来に不安を覚えないわけではありませんが、人材がいない場合には、それに応じた工夫を考えないといけないと思っています。会社の規模を維持することに固執せず、これからも変わらないよさを提供していきたいですね。

ーー最後に読者に向けてメッセージをお願いします。

本多初穂:
昨今のテレワークの拡大やAIの普及によって、ワークスタイルは急速に変化しました。「男女共同参画」や「女性活躍」などが求められるようになり、企業側も多様な働き方に対応することが必要とされています。

私はライフプランによって、休んだり復帰したりしやすいことが、理想的な働き方につながるのではないかと考えています。弊社では家庭の事情で一度退社した人がまた戻ってきたりすることもよくありますね。休めるときにはゆっくり休み、頑張るときにはしっかり頑張る。そうすることで、プライベートも仕事も充実した人生を送ることができるはずです。

編集後記

自然な語り口で話してくれた本多社長。力みや気負いがまったく見られなかったことが印象的だった。「変えないこと」を維持してきた社長は、従業員の高齢化もまた自然な流れと捉えているのかもしれない。これからも変わらぬよさを維持し、食を通じて人々を幸せにしてほしい。

本多初穂/1967年生まれ。1984年〜1985年まで、カナダのグランドプレイリーコンポサイトハイスクールへ留学。1986年、山手学院高等学校卒業。1989年に文化学院大学部を中退。在学中から1994年までフリーランスで演劇業界に携わる。1998年、神奈川案内広告株式会社に入社。2002年、株式会社勝烈庵、勝烈庵フーズ株式会社、株式会社横浜十番館の監査役に就任する。2007年、同3社の取締役に就任。その後、同3社の専務取締役を経て、2012年に同3社の代表取締役社長に就任。その他、PJケータリング株式会社常務取締役、勝烈庵フーズ株式会社取締役会長、馬車道商店街理事、人権擁護委員、神奈川県警察加賀町署 暴力団排除対策推進協議会会長などを務めている。