※本ページ内の情報は2025年2月時点のものです。

誰もが一度は目にしたことがあるであろう特徴的な容器の「でんぷんのり」。そのでんぷんのりを長きにわたってつくりつづけているのが、不易糊工業株式会社だ。1924年の設立からちょうど100年を迎える記念すべき年に、同社の代表取締役社長に就任した鈴木勝也氏に、社長就任に至るまでの経緯や、今後の展望などについて聞いた。

大人になってから叱られた苦い思い出が現在の礎に

ーー社長に就任されるまでの経緯をお聞かせください。

鈴木勝也:
大学卒業後、空調設備のメンテナンス会社に入社して、営業職として働いていました。約9年間勤めたのですが、30歳を過ぎた頃から、「この会社で定年まで働くのだろうか?」という迷いを持つようになりました。

そこで、自分のキャリアを見直すべく転職活動を始めたところ、妻の父であり、当時の不易糊工業の社長だった梶田会長から「転職を考えているのなら、うちで働いてみないか」と声をかけていただいたのです。

私は工学部出身で、大学時代は化学を専攻しており、化学系の仕事に就きたいと考えていた時期もありました。そのため、不易糊工業の事業にとても魅力を感じ、2013年に入社を決意しました。その後、2020年に取締役、2022年に代表取締役専務を経て、2024年に代表取締役社長に就任し、現在に至ります。

ーー前職での経験で印象に残っているエピソードはありますか。

鈴木勝也:
特に印象に残っているのは、社会人になって初めてクライアントから厳しく叱られた経験ですね。空調設備の工事が始まる前に、ちょっとしたトラブルが発生したのですが、そのとき私は「これくらいなら問題ないだろう」と安易に判断し、クライアントへの報告を怠ってしまったのです。そして迎えた工事当日、事情を知ったクライアントから厳しい叱責を受けました。

すぐに自分の失敗を深く反省し、改めてお詫びしたことで何とか事態を収めることができたのですが、あのときの厳しい叱責は、私にとって本当に強烈な経験でした。その後、退職する際にそのクライアントにご挨拶にうかがったのですが、そのときには涙ながらに別れを惜しんでくださいました。

「君がここで学んだことは、きっと次の仕事にも活かせる。新しい職場でも頑張ってほしい」と励ましていただき、最後にはしっかりと握手を交わしました。

厳しい方ではありましたが、本当に仕事に真剣で、私自身が成長する機会を与えてくれた大切な存在だったと思います。あのときの経験があったからこそ、自分を律することの重要性を学びました。今でも心が折れそうになるときには、当時のやり取りを思い出し、初心を取り戻すきっかけにしています。

理想と現実とのギャップに戸惑いながらも商品開発を学ぶ

ーー異業種からの転職ですが、入社後はどのような業務をしていたのですか。

鈴木勝也:
入社後、すぐに化学の仕事に携わったかというと、実はそうではありません。最初はほとんど関係のない業務からスタートしました。工場の排水処理設備の整備や電気・ガス・水道といった基盤的なインフラの管理などに従事し、化学の知識を直接活かす場面はほとんどありませんでした。

その後、新規事業を開発する部署が立ち上がり、そこで新商品の開発に関わる業務を任されるようになりました。さまざまな配合を試し、サンプルを作成してテストを繰り返す日々で、純粋な化学研究開発というよりは、商品開発の基礎を学ぶ形で業務に取り組んでいました。

社長の娘婿ですから、周囲は「将来は社長になるのだろう」と考えていたようですが、私自身は社長になることなどまったく考えていませんでした。経営に携わることを本格的に意識し始めたのは、役員になってからです。特に専務に就任した頃からは、会長や他の役員との対話を通じて、自分が後継者になることを意識するようになりました。

ーー貴社の事業内容と強みを教えてください。

鈴木勝也:
弊社では、「でんぷんのり」をはじめ、のり・接着剤・書道用品・キャラクター文具などの製造販売を行っています。また、これらに関連する商品の企画・開発・研究にも取り組んでいます。弊社のでんぷんのりは、とうもろこしからつくられる天然でんぷんを100%使用しているのが特徴です。

環境に配慮した製品づくりを心がけており、これは私たちの大きな強みの一つだと考えています。また、とうもろこしは痩せた土地でも育つ作物であるため、安定した供給が可能です。この点も、多くのお客様に安心して選んでいただける理由となっています。

オリジナルキャラクターを生かした事業展開

ーー今年、社長に就任されたということですが、経営に関してどのような考えをお持ちですか。

鈴木勝也:
もし弊社がでんぷんのりだけをつくり続けている会社だったとしたら、おそらく存続は難しかったと思います。少子化が進み、ペーパーレスが浸透した現代では、「紙と紙を貼り合わせたい」という需要は減少する一方です。また、子どもの数が減れば、幼稚園や保育園で使われる量も減り、それに伴い生産量も大きく落ち込んでいきます。実際、でんぷんのりだけで事業が成り立っていたのは、約20年前までです。

でんぷんのりだけでは、いずれ会社が立ち行かなくなることを見越して、現会長は化粧品事業とライセンス事業を立ち上げ、さらにコーンスターチを使った新しい樹脂の開発にも着手しました。これらの新規事業により、現在も事業を維持できているのです。

私の役割は、会長が築いてくれたこれらの事業をさらに強化し、しっかりとした基盤をつくり直すことだと考えています。特に、化粧品事業とライセンス事業は、弊社のキャラクター「フエキくん」を活用した新たな商品展開の可能性を広げています。

子どもの頃に弊社ののりを使っていた方が、懐かしさを感じながら化粧品を手に取り、さらにはその子どもや孫の世代に引き継がれていく。そんな人生のサイクルに寄り添う商品展開ができるのではないかと思っています。

さらに、コーンスターチを活用した新しい樹脂の開発は、社会貢献という面でも大きな可能性を秘めています。子どもからお年寄りまで、弊社の製品が人生のあらゆる段階で寄り添うような品質と、「フエキくん」というブランド力を軸に、世代を超えて愛される企業へと成長させたいと考えています。

ーー最後に、今後の展望についてお聞かせください。

鈴木勝也:
不易糊工業を100億円、200億円企業にすることが最優先の目標とは考えていません。むしろ、最も大切にしているのは、社員が幸せになれる会社を目指すことです。社員一人ひとりが「入社して良かった」と心から思える会社をつくりたいと考えています。

そのためにも新商品を生み出し、売上や利益を上げることが必要ですし、良い商品を追求して形にし、商品ラインナップを拡大していく努力も欠かせません。しかし、急激な成長ではなく、少しずつ、着実に右肩上がりで進んでいければいいと思っています。その結果として、社員だけでなく、関わるすべての人の心が少しでも豊かになるような会社になることが、私の一番の理想です。

編集後記

設立からちょうど100年を迎える記念の年に代表取締役社長に就任した鈴木勝也社長は、経営者の家系に生まれたのでもなく、起業を夢見て経営を学んでいたわけでもない。そんな鈴木社長は並々ならぬ決意で前社長からバトンを受け継いだのだろう。不易糊工業の伝統と革新をどのようにして両立させ、新しい挑戦を形にしていくのか。鈴木社長の手腕に大いに期待したい。

鈴木勝也/1981年長野県生まれ、東洋大学工学部卒。大学卒業後、東京都内の空調設備メンテナンス会社に入社。その後、2013年に不易糊工業株式会社に入社し、2020年同取締役、2022年代表取締役専務を経て、2024年に7代目の代表取締役社長に就任。