
長野県木曽郡に本社を構える有限会社テヅカ精機は、電子部品の組み立てから始まり、住宅建設、ハウスクリーニング、木工製品まで、地域のニーズに応じて多角的な事業を展開している。社内ではマネジメントゲーム研修を取り入れた人材育成を実施し、地域では企業・行政・金融機関と連携した未来志向の取り組みを推進してきた。バンドマンから経営者へと転身し、地域とともに歩む経営を実践する同社代表取締役社長の手塚良太氏に、その思いをうかがった。
父の言葉が経営者としての支えに
ーー入社に至るまでのご経歴を教えてください。
手塚良太:
私は「音楽で食べていきたい」という思いから音楽の学校に通っており、卒業後はバンド活動で愛知県を中心に、東京、名古屋、大阪でライブをするという生活を送っていました。創業者一族の出身ではありますが、「会社を継いでほしい」というプレッシャーを受けることはなく、のびのびと育ちました。ところが、前社長だった父が体調を崩してしまい、「自分が継ぐべきかな」という気持ちが湧き始め、2013年に音楽活動をやめて入社を決めました。
ーー入社後に苦労したことや印象に残ったエピソードをお聞かせください。
手塚良太:
入社後、最初に直面した困難は人手不足です。当時、弊社はある1社の取引先から依頼された製造業の仕事が増えており、ハローワークに求人を出したり、紙の広告をつくって配ったりといった採用活動を積極的に行っていました。
ところが、採用した人がすぐにやめてしまうという状況に陥ったのです。人手不足をどうするべきかと悩んでいた矢先、新たな困難が訪れました。当時、売上の大部分を占めていた取引先からの発注がまったくなくなってしまったのです。この状況を打開するため、長野県内のいろいろな企業を訪問して仕事を増やしつつ、保険の解約や土地の売却で自己資金をつくり、それを会社の運転資金として運用しました。
私にとって一番つらい時期だったのですが、そのとき私の心を救ってくれたのが、前社長である父でした。父は、私を車に乗せて木曽地域内の廃業した同業他社を訪問し、「お前が帰ってこなかったら、テヅカ精機も廃業を免れなかった。この先は、本当にお前がやりたいことをやってみろ」と言ってくれたのです。父のこの言葉によって、「よし、やるか」という気持ちになりました。
ーーその後は、どのようなことに取り組みましたか?
手塚良太:
父の言葉をきっかけに、「中小企業同友会」という経営者の勉強会に参加するようになりました。そこで学んだことを活かし、「ものづくりからまちづくりへ」という弊社の企業理念をつくりました。この理念を作成したことで、私自身の気持ちも固まり、経営の方向性が明確になりました。漫然と経営するのではなく、新規事業への参入、業態の変更、子会社化などの一つ一つの取り組みを、明確な方針をもって着実に実行できるようになったのです。今振り返ると、この企業理念をつくった2014年が、弊社にとってひとつのターニングポイントだったと思います。
地域のニーズに応えて多角的に事業を展開

ーー現在はどのような事業を展開していますか?
手塚良太:
現在の事業の柱は、車載音声入力マイクなどに用いられる電子部品の組み立てです。2016年ごろから自社設備を開発して、機械で自動的に部品を組み立てて出荷する仕組みを構築しました。さらに、2018年には電機設備事業部を開設し、この自社設備開発のノウハウを活かしてお客さま向けに設計施工などを行うサービスを始めています。
そのような中で、社員から「電機設備だけでなく、住宅設備もお助けできるのでは」という意見をもらいました。木曽地域における住宅設備会社では、社長や職人が高齢化しているため、新たな人材を育成しなければ、木曽地域の未来が守れません。このままでは、弊社の理念を実現できないと考え、雇用をつくり人材を育てるために住宅設備も扱うようになったのです。
最初は水回りの工事やリフォームといった小規模な工事から開始し、2020年に建設業の許可を取得しました。現在では、基礎工事から電気工事、大工工事に至るまで、すべて自社で施工する体制を整えています。
さらに、2022年にエアコンクリーニングの事業を立ち上げたところ、近隣で清掃事業を営んできた方から相談を受け、弊社が事業を引き継ぐことになったのです。これを契機として、エアコンクリーニング事業と清掃事業を統合し、クリーニング事業部を新設。ハウスクリーニング全般への対応を実現しました。
また、2024年からは、「衰退しつつある木曽ヒノキの産業を活性化できないか」と自治体から依頼され、木工製品の事業も展開しています。地域課題を自社の指針に取り入れ、地域の事業者や自治体のニーズに応じる形で事業を拡大しているところが、弊社の強みと言えるでしょう。
ーー社長が大切にしている価値観を教えてください。
手塚良太:
私自身が大切にしているのは、常に仕事を楽しむ姿勢です。加えて、社員に対しては、「仕事を自分事化してほしい」と考えていますね。社長や役員の会社ではなく、「みんなの会社」という意識で仕事に臨んでほしいです。
ーーその価値観を社内に反映させるために、どのような取り組みを行っていますか?
手塚良太:
社員一人ひとりが「採算意識をもって仕事に取り組む」という意識を持てるように、マネジメントゲーム研修を行ってきました。このゲームでは、5期分の経営体験をして、決算書も自分で作成してもらいます。楽しみながら体験することで、キャッシュフロー計算書を見るよりも学習が進みやすいと感じています。
ワクワクする職場をつくり、木曽の歴史を未来へつなぐ
ーー最後に、貴社の今後の展望をお聞かせください。
手塚良太:
弊社が2022年に策定した10年ビジョンのテーマのひとつに、「月曜日がワクワクする、人が輝く信頼企業になる」というものがあります。これを2032年までに達成したいですね。
社員全員が、月曜日にワクワクしながら出社できたら素敵だと思うのです。さらに、弊社はグループ全体を10社に分社化して社長を10人選定することを考えています。最終的には、500人規模の会社に成長できるよう、事業を拡大する方針です。
また、これは弊社独自の取り組みではないものの、現在は地元企業、行政、金融機関などの関係者が集まり、2か月に1回のペースで「木曽の未来を考える会」を開催しています。この会以外にも、地域の経営者や役場の職員が毎月集まって、勉強会を行っています。これからも、地域の企業や行政・金融機関と連携をとり、800年以上の歴史がある木曽のまちを守り、さらに育んでいきたいですね。
編集後記
「やりたいことをやってみろ」という父の言葉が、経営者としての転機になったと語る手塚社長。その言葉を胸に、地域のニーズに応えるために事業を多角化し、同社の成長と地域の発展を両立させてきた経営手腕には感服するばかりだ。地域とともに歩み続ける同社の姿に、地方創生のヒントを見た思いがした。

手塚良太/1985年、長野県生まれ。名古屋コミュニケーションアート専門学校卒。26歳までのバンド活動を経て、2013年に有限会社テヅカ精機へ入社。2018年、同社代表取締役社長に就任。中小企業家同友会の活動にも注力している。