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1885年創業、140年の歴史を持つ株式会社フジクラ。光ファイバの黎明期から研究開発に乗り出した会社だ。光ファイバ普及当初は順調に売上を伸ばしていたが、過大な設備投資や事業環境の変化による影響で、2020年3月期に過去最悪の決算を経験。再生の道を迫られた。そんな同社の変革を主導したのが、取締役社長CEOの岡田直樹氏だ。34年にわたり光ファイバの研究開発に携わってきた技術者出身の岡田氏は、経営危機を前にどのような決断をし、未来をどう見据えてきたのか。徹底した事業構造改革と挑戦の軌跡をたどる。

光ファイバ開発の黎明期、第一線で挑戦の日々

ーーフジクラへ入社した当時、どのような仕事を担当されていましたか。

岡田直樹:
1986年に入社し、千葉県佐倉市の研究所で光ファイバケーブルの研究開発に従事しました。その頃は、まだ光ファイバが世の中に出るか出ないかという黎明期。そんな時代に、基礎技術の確立から商用化に向けた開発まで、手探りで道を切り拓いていました。

当時、日本は世界に先駆けて光ファイバのインフラ整備に乗り出しており、NTTとの共同開発を通じて、全国にFTTH(Fiber To The Home:光ファイバを利用した家庭向け高速データ通信サービス)網を構築しました。個人の各家庭にまで光回線を引くというのは、世界的に見ても異例で、海外の通信関係者から「日本はクレイジーだ」と驚かれたほどです。光ファイバ普及の初期には、次々と新たな開発案件が舞い込み、日々チャレンジの連続でした。

ーーその後、国内市場はどのように変化したのでしょうか。

岡田直樹:
国内のインフラ整備が進みきってしまい、光ケーブルの需要は急激に落ち込みました。かつて高収益を誇った光ケーブル事業が、2012〜2013年頃から一転して赤字に転落。日本市場は早くに整備が完了したため、その時点で、国内での成長の余地がなくなってしまい、長らく苦しい時期が続きました。

フジクラの要となる「Spider Web Ribbon®(SWR)」の誕生

ーー次世代光ケーブル事業推進室を立ち上げた背景を教えてください。

岡田直樹:
国内市場の成長が止まり、海外市場に目を向けましたが、日本の光ケーブルは海外の標準規格と構造が異なるために受け入れられず、「このままでは事業が終わってしまう」という危機感がありました。そんな中、「グローバルで戦える製品を日本から生み出す」という強い決意のもと、2014年に次世代光ケーブル事業推進室長に就任しました。

従来の光ケーブルには、光ファイバ12本を並列にして樹脂で固めたリボンファイバを使用していましたが、このリボンファイバは平らな方向にしか曲がらず、高密度の実装を難しくしていました。光ファイバの機能を落とさず、ケーブルの外径を細くするために、変形可能なリボンファイバが必要と考えました。

最初の試作品は、事務所の机の上で、12本の光ファイバを横に並べて一点ずつ接着して作りました。その結果、非常に柔軟で細径ケーブルに高密度実装が可能となる革新的な製品の開発に成功しました。広げると蜘蛛の巣のように見えることから、「Spider Web Ribbon®(SWR®)」と名付けたこの製品が、私たちの転機となりました。

ーー製品化にはどんな苦労がありましたか。

岡田直樹:
アイデアを思いつくことと、それを何千キロメートル単位で量産できるようにすることは全く別物です。柔軟で高密度な構造を保ちながら大量生産を実現するには、製造技術そのものをゼロから構築する必要がありました。この難易度の高さが競合他社にとって参入障壁となり、結果的に私たちの技術的優位性へとつながったのです。

ーー海外市場へはどのように進出していったのでしょうか。

岡田直樹:
インフラ製品の特性上、「シングルベンダーで大丈夫か」と疑問を抱かれるケースもありました。そのため、現地パートナー企業と連携を図りながら、信頼と実績を少しずつ積み上げました。幸い、「SWR®」は既存の管路の空きスペースに多くの光ファイバを布設できるという圧倒的な顧客価値があり、予想以上に早く、多くの国々で採用が進みました。まさに、顧客価値こそが市場を動かすことを実感したプロジェクトでした。

経営危機から再建を決意し、徹底的に事業構造を改革

ーー2020年に本社へ異動された経緯を教えてください。

岡田直樹:
正直なところ、最初は本社への異動を辞退していました。次世代光ケーブルの事業がようやく軌道に乗り始め、ここからが勝負という段階で、「まだ現場にいたい」というのが本音でした。

経営企画室長として本社に移り、会社内部のことを調査すると、財務状況が想像以上に深刻で愕然としました。2020年3月期の決算は過去最悪となる385億円の純損失を計上し、資金繰りも非常に厳しい状態に陥りました。再生計画を銀行に提出し、400億円の劣後ローンの借り入れを行いました。会社の存続すら危ぶまれる中で、2020年4月に常務執行役員に就任。就任早々に「100日プラン」と名付けた事業構造改革プログラムの策定と実行に着手しました。

ーー「100日プラン」とは、どのような取り組みですか。

岡田直樹:
固定費の削減、人員の適正化、資産売却など、あらゆる事業構造改革を同時並行で進めました。しかし、「SWR®」の技術こそがフジクラの未来を切り拓く鍵になると信じていたので、「SWR®」の開発は絶対に手放さないと決めていました。

研究者としての経験もあって、「技術が会社を救う」という信念は強く持ち続けていました。厳しい局面だからこそ、希望の芽をつぶしてはいけない。だからこそ、全社的な事業構造改革の一方で、この技術だけは未来への投資として継続することを決断しました。

ーー事業構造を見直した結果、どのような変化が起こりましたか。

岡田直樹:
最も大きな変化は、「すべての事業で戦略ストーリーを語れるようにする」という考え方が徹底されるようになったことです。従来は、顧客から求められたものをつくって納品する、いわば受動的なスタイルでも十分に利益が出ていました。なぜなら、弊社の主要顧客はかつての電電公社や電力会社といった国策を担う企業が多く、求められる要件も明確で、収益も安定していたからです。

しかし、国内の通信、電力インフラが行き渡った現在、そのビジネスモデルはもはや通用しません。競争相手が存在しない事業はありませんし、価格競争に巻き込まれれば技術で差別化しなければ生き残れません。だからこそ、すべての事業で「なぜ勝てるのか」を論理的に説明できる戦略ストーリーが必要になったのです。

ーー具体的にはどのような見直しを進めていったのでしょうか。

岡田直樹:
たとえば、光ケーブルであれば、すべての領域に手を出すのではなく、付加価値の高い領域に集中すべきという方針を打ち出しました。汎用性の高い製品は新興国のメーカーでも十分に対応できます。一方、弊社にしかできない細径高密度・高性能なケーブルで勝負すれば、価格だけではなく技術力でも勝てる。競合にどのように勝ち、どう差別化して優位性を保つか、事業戦略をストーリーとして論理的に描くようにしました。

ーーその変革は社内でどんな変化をもたらしていますか。

岡田直樹:
2020年の経営危機を経て、「このままではいけない」という意識は全社的に共有されました。それ以降は、戦略的思考の必要性や競争優位性への意識が徐々に定着し、今ではすべての事業が黒字化しています。単なるコストカットではなく、自ら考え、勝てるフィールドで戦う姿勢が根づいてきたのではないかと思います。

「技術のフジクラ」を意識し、技術開発で挑み続ける企業へ

ーー貴社にはどのような理念・哲学がありますか。

岡田直樹:
弊社は資本力では大手企業に敵わないため、創業以来、「技術で勝つ」という信念を貫いてきました。私が入社した当時も、先輩たちから「技術で劣ったら、フジクラの存在意義はない」と厳しく叩き込まれました。実際に、技術開発で勝ち続けることが弊社の命運を分けてきました。

それゆえ、「“つなぐ”テクノロジー™を通じ、『技術のフジクラ』として顧客の価値創造と社会に貢献する」という理念を明文化し、社内外で繰り返し伝えています。これは、フジクラグループのパーパスであり、ミッションだと考えているためです。

また、変化の激しい市場環境において、社会や顧客の変化を敏感に捉えることが、新たな市場を切り拓く鍵だと考えています。既存の市場で同じものをつくり続けるだけでは勝てない。変化の中にこそ技術が生きるフィールドがあるのです。確固たる技術を基盤に、変化をチャンスと捉え、新たな価値を創り出す。これこそが弊社の真の強さだと信じています。

若手社員にもチャンスを与え、人を育て、技術を育てる

ーー人財育成にはどのように取り組まれていますか。

岡田直樹:
「技術は人につく」とよく言われますが、私もまさにそうだと感じています。だからこそ、優れた技術を持つ人財をいかに採用し、適材適所で登用し、継続的に育てていくかが極めて重要です。

弊社では、若手社員に挑戦の機会を与えるため、若手社員からの事業提案を受け付け、可能性を感じた案件には、一定程度のリソースを投下して実際に動かしてもらっています。その際、単なるアイデアではなく、なぜこの事業が成立するのか、どのような顧客に、どういった価値を提供でき、どう競合に勝っていくのかといった「戦略ストーリー」を重視しています。

先ほどもお話しましたが、「戦略ストーリー」が明確であれば、その事業に関わるメンバー全員が目的と方向性を理解でき、ベクトルを揃えて動くことができます。さらに、「このストーリーが実現すれば、世界を変えられる」という実感があれば、自然とモチベーションも高まっていく。そうした意味でも、私たちの育成型プロジェクトでは戦略的な思考力をとても重視しています。

ーー経営層の育成には、どのように取り組まれていますか。

岡田直樹:
将来の幹部候補には、財務の基礎知識に加えて、全社的な視野を養う機会を意識的に設けています。たとえば、中期経営計画の策定に参画させたり、全社的な経営課題に対して自ら考え提案する「CEOアジェンダプロジェクト」に参加してもらったりすることで、経営者視点を育てています。

弊社が今後も成長し続けるためには、革新的な技術と、それを実現する人財が不可欠です。挑戦の機会を与え、人を育てることで、企業としての強さとしなやかさを高めていきたいと考えています。

地球規模の環境課題解決に取り組み、挑戦と成長を両立

ーー現在の中期経営計画はどのような状況ですか。

岡田直樹:
現在の中期経営計画は2025年度を最終年度としていますが、情報インフラ、情報ストレージ、情報端末という3つの核心的事業領域すべてで、想定を上回る成果が見込まれています。生成AIやデータセンタ需要の高まり、FTTx(光ファイバを利用した通信接続方式の総称)など時流の後押しもあり、計画当初の数値目標を一年前倒しで達成しました。

ーー次の成長ステージに向けて、どのような準備をされていますか。

岡田直樹:
次期中期経営計画では、既存事業の強化に加え、新たな種まきも進める予定です。具体的には、高温超電導、ファイバレーザ、EV向け急速充電という先端分野に取り組む方針で、いずれもカーボンニュートラル社会の実現に貢献する可能性を秘めた領域であり、今後10年を見据えた布石となります。

中でも特に注力したいのが、高温超電導、核融合発電に用いられる高温超電導コイル向けの線材です。「核融合は、地上に太陽をつくる」とも言われ、放射性廃棄物が少なく、原料も海水由来で無尽蔵なうえに、発電時にCO2が発生しない。実用化されれば、火力発電や従来の原子力発電に代わる究極のクリーンエネルギーになると期待されています。その実現に不可欠な技術の一つが、弊社の高温超電導線材なのです。

ーー貴社では環境問題について、どのようにお考えでしょうか。

岡田直樹:
カーボンニュートラルというテーマは、単に自社のCO2排出を減らすという視点だけではありません。私たちは、社会全体のCO2削減に貢献する新たな技術や製品を提供することこそ、より大きなインパクトを持つと考えています。つまり、環境対応を「守り」ではなく「攻め」のビジネスチャンスとして捉えているのです。これからもサステナブルな成長を目指し、地球規模の課題解決に取り組んでいきます。

編集後記

140年の伝統を守りながらも、変化を恐れず挑戦を続けるフジクラ。その原動力は、現場で培われた技術力と、社員一人ひとりの高いモチベーションにあると感じた。岡田社長の語る「戦略ストーリー」は、単なる経営のフレームではなく、社員の心を動かす物語でもあるのだろう。次の100年に向けた挑戦から、ますます目が離せない。

岡田直樹/1986年藤倉電線株式会社(現:株式会社フジクラ)入社。光ファイバケーブルの研究開発に34年間従事し、「Spider Web Ribbon®」の開発を主導。2020年に本社異動、コーポレート企画室長・常務執行役員を経て、2022年取締役社長CEOに就任。事業構造改革を推進し、フジクラの再成長を牽引している。