※本ページ内の情報は2025年8月時点のものです。

京都の地に根差し、不動産流通を核としながら、宿泊、飲食、建築企画という4つの事業を展開する株式会社レ・コネクション。用地の仕入れから運営までを一貫して手掛けるトータルプロデュース力を武器に、歴史ある町屋の価値を世界に発信してきた。しかし、コロナ禍という逆境のなかで大きな決断を下し、現在は、3Dプリンター建築(※1)という新たな挑戦に舵を切っている。今回、代表取締役の奥田久雄氏が描く成長戦略や未来へ向けた取り組みについて、話をうかがった。

(※1)3Dプリンター建築:3Dプリンター技術を用いた建築法。コストの削減や工期の短縮が可能で、造形・設計の自由度が高く、デザイン性やコンセプトの実現において優れている。

飲食業から不動産業界へ 挑戦を続けた20代

ーーこれまでの経歴について教えてください。

奥田久雄:
高校を卒業してから、父が経営する喫茶店を手伝っていました。その後、もう少し本格的に飲食を学ぼうと思い、別の小料理屋で3年近く修行を積みました。当時はまだ10代後半から20代前半で、明確な目標があったわけではありませんでした。

24歳で訪問販売の営業職に就いたきっかけは、周りの友人たちの存在が大きかったです。大学へ進学した友人たちが卒業し、社会人として働き始めると、仕事の話をするようになります。その姿に刺激を受け、「自分も何か新しいことを始めなければ」と感じました。たまたま求人で見つけたのが、布団の訪問販売の会社だったのです。私の家系は農家や自営業が多く、身近に会社員がいなかったため、一度会社員という働き方を経験してみたいという思いもありました。

ーーなぜ次のステップとして不動産業界を選ばれたのですか。

奥田久雄:
当時から「将来的に自分で何かをやりたい」という気持ちが漠然とありました。商売を始める上でも、会社を設立するにしても、場所つまり不動産は切り離せない要素です。それならば、その分野に精通している業界に身を置くべきだと考えました。また、不動産業界で働く人々に、何となく華やかなイメージを持っていたのも理由の一つです。「どうせやるなら、将来性のあるものを扱いたい」という気持ちで、不動産業界への挑戦を決めました。

ーー独立を決意されたきっかけは何だったのですか。

奥田久雄:
一番のきっかけは、時代の大きな変化を肌で感じたことです。私が不動産会社に在籍していた時は、スマートフォンの普及によって情報収集の手段が紙からインターネットへ移行し、さらに東京オリンピックの開催が決まって日本への注目度が高まるなど、社会が大きく動いていました。

当時の私は30代前半。自分の人生で日本がこれほど世界から注目される瞬間はもう二度とないだろうと感じ、「このチャンスを逃してはいけない」と独立を決意しました。

不動産価値を最大化するトータルプロデュースという強み

ーー改めて、貴社の事業内容をお聞かせください。

奥田久雄:
弊社は、不動産流通、宿泊、飲食、そして建築企画という4つの事業を柱としています。売上規模としては不動産流通が最も大きく、全ての事業の根幹であり、会社の大きな幹となっています。

ーー独立されるにあたり、どのような事業を展開しようとお考えでしたか。

奥田久雄:
世界に通用するビジネスを手がけたいという思いがありました。その中で、海外に向けて発信できる価値があると考えたのが、京都の「町屋」です。町屋は単なる古い木造建築ではなく、その歴史的背景にこそ、一般的な資産価値を超える大きな付加価値があります。インバウンド需要が高まる中で、この日本の文化的な価値を宿泊施設という形で世界に発信できるのではないかと考えました。

当時、京都ではホテルの建設ラッシュが起きていましたが、同じような宿泊施設では、運営力や価格競争で大手に太刀打ちできません。そこで弊社は、古民家を改修した「一棟貸し」という形態に特化することにしました。これにより、価格競争に巻き込まれることなく、独自の価値を提供できると判断したのです。実際に、お客様の9割以上が海外の方で、日本の文化を体験したいという需要を強く感じました。

ーー貴社ならではの強みは何でしょうか。

奥田久雄:
弊社の最大の強みは、用地の仕入れから企画立案、施工管理、そして最終的な運営までをワンストップで手掛けるトータルプロデュース力にあります。単純に不動産を売買したり、建物を建てたりするだけではありません。仕入れの段階から、その物件が将来どのように活用されるかという「出口」までを見据えることで、不動産の持つポテンシャルを最大限に引き出すことができています。

不動産の価値は、企画次第で大きく変わります。どのような魅力を見出し、どのように活用法を提案するか。全ては企画にかかっています。そして、良い企画を立てるためには、出口となる運営事業を深く理解していなければなりません。

弊社が宿泊や飲食といった運営事業も自社で手がけているのは、そのためです。不動産の専門知識と運営のノウハウ、その両方を併せ持つからこそ、質の高いプロデュースが実現できるのだと自負しています。

逆境を未来への投資へ 3Dプリンター建築が拓く新たな章

ーーコロナ禍において、事業への影響はありましたか?

奥田久雄:
創業以来、コロナ禍は最も厳しい時期で、特に宿泊事業は壊滅的な打撃を受けました。インバウンド需要の回復はいずれ見込めると確信していましたが、会社の体力がそれまで持つかという現実的な問題に直面しました。結果、コロナ禍の厳しい状況を受け、会社の未来を繋ぐために宿泊事業の売却という大きな決断をいたしました。

現在は、経営基盤の再構築を進める一方で、これを次なる飛躍への機会と捉えています。新たな成長分野へ積極的に投資し、これまで以上に力強い企業へと進化させています。この変革期を支えてくれるスタッフのことを考えると、必ず成功させなければならないと考えています。

ーー今後に向けた新たな取り組みについておうかがいできますか。

奥田久雄:
宿泊事業の売却で得た資金は、3Dプリンター建築の技術開発に投資しています。これは、工期の短縮やコスト削減を実現する、非常にポテンシャルの高い技術です。5年後、10年後には、この技術を活用した新しいビジネスモデルを構築し、会社の新たな柱とすることを目指しています。不動産事業で培った企画力と、この先進技術を掛け合わせ、世界を舞台に挑戦していきたいと考えています。

編集後記

時代の変化を読み、逆境さえも次なる一手への布石とする。奥田氏の経営者としての歩みは、まさに挑戦の連続だ。コロナ禍で主力事業の売却という痛みを伴う決断を下しながらも、その視線は常に未来を見据えている。得られた資金を3Dプリンター建築という新たな可能性に投じる姿からは、不屈の精神と事業への情熱が強く感じられる。足元を固め、再び飛躍の時を待つ同社。京都から世界へ羽ばたく今後の展開に、大いに期待したい。

奥田久雄/1983年生まれ。京都府京都市出身。高校卒業後、父親が経営する飲食店での勤務やアルバイト生活を送っていたが友人らの姿が刺激となり、24歳の時、訪問販売会社の営業職に就く。その後、不動産業のマネジメントや事業に魅力を感じ、26歳で不動産会社に転職。6年間勤務した後、2016年に株式会社レ・コネクションを設立。収益用宿泊施設の物件売買や運営管理を通じ、京都の文化や美しさを広める取り組みに注力している。