
本田技研工業株式会社(以下、ホンダ)の研究開発部門から独立し、AIをはじめとする最先端の基礎研究を担う、株式会社ホンダ・リサーチ・インスティチュート・ジャパン。同社を率いるのは、二足歩行ロボット「ASIMO」の開発にも携わった経験を持つ、代表取締役社長の重見聡史氏である。エンジニアとしてキャリアをスタートし、常に技術の最前線で挑戦を続けてきた同氏は、ホンダの未来をどのように描き、何を成し遂げようとしているのか。今後のビジョンに焦点を当て、暮らしの可能性を広げる未来の技術と、それに挑む研究者への思いについて詳しく話をうかがった。
自動車開発からロボット研究へ 技術者としての原点
ーーこれまでのキャリアと、転機となった出来事をお聞かせください。
重見聡史:
大学の自動車クラブでの活動がきっかけで、ホンダに強く惹かれ、入社しました。入社後はエンジンの電子制御化が進む過渡期でした。若手ながら電子制御を理解していたため、アメリカでの実地テストなど多くの挑戦機会を与えられました。
私のキャリアにとって最大の転機は、1996年に自動車開発からロボット研究の部署へ異動したことです。ここで、のちの「ASIMO」につながる二足歩行ロボットの開発に携わりました。当時、人型ロボットの小型化は、非常に難しい挑戦でした。「これ以上小さくすれば歩行は不可能だ」とまで言われていたのです。しかし、それを乗り越えられた経験は大きな財産です。
その後、2017年に弊社へ異動した頃から、先端技術の進化のスピードが格段に速くなっていると肌で感じていました。基礎研究であっても、先んじて手を打たなければ世界の潮流から遅れてしまう。その中で、ホンダが必要とする革新的な技術を生み出すという、研究所の役割を全うしたいという思いがありました。
社長に就任してからは、かつての自分のように研究者が自ら提案し、自由に挑戦できる環境づくりを何よりも大切にしています。
グループの未来を描く 技術の「目利き」としての役割

ーー貴社のグループ内での役割と強みは何でしょうか。
重見聡史:
弊社はホンダグループの最先端を担う基礎研究所です。未来社会を想像し、新しい価値を見出す技術の核を提供することを使命としています。強みは、世の中の新しい技術がどのレベルにあるのかを的確に判断できる「目利き」の能力です。これにより、グループ全体の技術戦略に貢献しています。
また、研究成果が直接製品化につながることもあります。たとえば、弊社の音声認識技術を活用したコミュニケーションツールです。これは聴覚に障がいのある社員向けのもので、現在ホンダ社内で実際に活用されています。
モビリティの枠を超え生活の可能性を拡げる2030年ビジョン
ーー会社として、今後どのような未来を目指していますか。
重見聡史:
弊社の目標は、24時間人々の暮らしに寄り添えるようなホンダ製品を生み出すことです。そのための基盤技術をつくりたいと考えています。現在、お客様がホンダ製品に触れる時間は、毎日運転する方でも1日数時間に限られています。これを、暮らしのあらゆる場面に広げていきたいのです。
ホンダの社名には「自動車」という言葉が入っていません。これは自動車だけにこだわらず、本当に人々が求めるものをつくっていくという意思の表れだと考えています。それはロボットかもしれませんし、AIエージェントとして暮らしを支える存在かもしれません。
ホンダは、2030年ビジョンとして「すべての人に、『生活の可能性が拡がる喜び』を提供する」を掲げています。弊社の取り組みは、まさにそのビジョンを実現するためのものです。モビリティを利用している時間だけでなく、日々の暮らしの中でもお客様に寄り添い、豊かさを提供できる。そのための革新的な技術を、この研究所から生み出していきたいと考えています。
研究者の挑戦を後押しする意思決定の速さと組織文化
ーー今後求める人材像について教えてください。
重見聡史:
ただ基礎技術を研究したいというだけでなく、「自分の技術で未来の社会を変えてやる」という強い意気込みを持つ方に来ていただきたいです。その技術が誰のために、何を成し遂げるのかを考える。そして社会に新たな価値を提案したいという、高いモチベーションを持つ方々と一緒にホンダの未来をつくっていきたいです。
ーー貴社で研究することの魅力についてお聞かせください。
重見聡史:
かつての二足歩行ロボットのように、「できない」や「ありえない」と言われている新しい領域があります。そうした領域であっても、自分の思いを信じて挑戦できる場があることです。研究者の提案を尊重し、それを継続してサポートしようとする文化があります。
また、弊社は独立した研究所であるため、新たな挑戦を始める際の意思決定が非常に速いのも特徴です。研究者にとっては、”「不可能」への挑戦ができる”、魅力的な環境だと自負しています。未来を変える技術は、こうした不可能への挑戦の中から生まれて来ると信じています。
編集後記
「できない」と言われたロボット開発の最前線に立ち、技術で限界を突破してきた重見氏。その経験は、今、研究者たちが挑戦できる環境を育むという信念につながっている。「24時間、人々の暮らしに寄り添えるような製品を」という言葉。そこからは、自動車メーカーの枠を超え、暮らしそのものを豊かにしたいというホンダの強い意志が感じられる。未来を変える技術は、未来を変えたいと強く願う人の情熱から生まれる。同社の挑戦は、これからも私たちの日常を驚きと喜びに満ちたものへと変えていくだろう。

重見聡史/1964年東京都生まれ。1987年、東京電機大学卒業後、本田技研工業株式会社に入社。同年9月、株式会社本田技術研究所に異動し、車のエンジンコントロールユニット(ECU)の量産設計・開発に従事。1996年、ロボット研究室に異動し、二足歩行ロボットの研究に携わる。2000年、世界で初めて本格的な人型二足歩行ロボット「ASIMO」を発表。2017年、株式会社ホンダ・リサーチ・インスティチュート・ジャパンの上席研究員に就任。2021年、同社代表取締役社長に就任。