
石川県に根差し、「いしかわ生まれ、いしかわ育ち」を掲げて地域社会と共に歩むアイ・ミルク北陸株式会社。地元の酪農家が生産した生乳にこだわり、安全・安心でおいしい牛乳を食卓に届け続けている。大手電子部品メーカー「村田製作所」でのキャリアを経て、家業を継ぐためにUターンした代表取締役社長、廣田孝司氏に、予期せぬ形で始まった経営者の道、品質管理の徹底と新工場建設という改革、そして地域に必要とされる会社であり続けるための経営における信条をうかがった。
大手メーカーから家業へ 予期せぬ事業承継の決断
ーー家業を継ぐことになった経緯をお聞かせください。
廣田 孝司:
私は次男でしたので、もともと家業を継ぐ意識はありませんでした。大学卒業後は電子部品メーカーの村田製作所に入社し、6年間勤務していました。しかし、兄が家業を継がないことになり、このままでは父が築いた会社がなくなってしまうかもしれないという状況になったのです。そのとき、「会社を存続させたい」という強い思いが芽生え、地元石川に戻ることを決断した次第です。
当時は従業員が10名ほど、売上規模も約3億円という、今と比べると非常に小さな会社でした。大手メーカーとは全く異なる環境でしたが、地域に根差した事業を守りたいという一心で、新たなスタートを切りました。
近代化を推し進めた品質へのこだわりと工場の刷新
ーー入社されて、まず何から取り組まれたのでしょうか。
廣田 孝司:
弊社に入社して最初に取り組んだのは、品質管理の強化です。当時、弊社は森永乳業の受託製造を行っていたため、その指導のもとで品質管理の重要性を学んでいました。お客様に安心・安全な製品を届けるためには、何よりもまず品質を管理する体制を徹底することが不可欠だと考えました。
ーー事業の大きなターニングポイントについて教えてください。
廣田 孝司:
2001年の新工場建設が、非常に大きな転換点となりました。これは、単に生産能力を上げるというだけでなく、品質をさらに高いレベルへ引き上げるための決断でした。この新工場が、その後の弊社の成長の礎になったと考えています。
新工場の導入による一番大きな変化は、コンピューター制御によって生産ラインを自動化したことです。もちろん、最初は従業員も新しい機械の操作に戸惑いがありました。そのため、私が率先して操作方法を学び、現場の皆がスムーズに移行できるよう、丁寧に指導することを心がけました。共に学び、変化に対応していく姿勢が大切だと感じた時期です。
社長就任時の覚悟と会社の未来を拓いた事業統合

ーー社長へ就任された際の心境をお聞かせください。
廣田 孝司:
2004年に社長へ就任した当時は、事業を大きくしたいというよりも、「まずはこの会社をしっかりと守り、継承していきたい」という強い思いがありました。売上を維持し、社員や取引先との信頼関係を大切にしようと心に誓い、会社の根幹である品質をさらに高めていく決意を固めたのです。
私たちが成長できたのは、北陸の牛乳製造を取り巻く環境の変化に、実直に対応し続けてきた結果だと考えています。牛乳製造業社が少なくなる中で、私たちの責任はより大きくなりました。どのような状況でも、お客様に安心・安全なものをお届けするという基本姿勢を貫いてきたことが、信頼につながり、会社の成長を支えてくれたと実感しています。
ーー会社の歴史において、特に大きな転機となった出来事は何でしたか。
廣田 孝司:
同じく北陸で事業を展開していた北陸乳業と、2011年に事業を統合し、社名を「アイ・ミルク北陸株式会社」に変更したことです。地域の牛乳供給を守るための決断でしたが、当時は想像以上に大変な道のりでした。
統合への道は決して平坦ではありませんでしたが、特に文化の違う組織をまとめるプロセスは困難を極めました。互いの「当たり前」が通用せず、各部署がそのすり合わせに奔走することになりました。当時は「こんなに大変なら…」と冗談を口にしたほどです。
この大きな変化を乗り越えた経験こそが、弊社を新たなステージへと押し上げてくれたと感じています。
「いしかわ生まれ、いしかわ育ち」石川県酪農家と歩む共存共栄の道

ーー貴社事業へのこだわりについておうかがいできますか。
廣田 孝司:
私たちのこだわりは、創業以来変わらず「いしかわ生まれ、いしかわ育ち」であることです。これは、酪農家の方々が大切に育てた牛から搾った生乳だけを使い、石川の工場で製品を作り、地域の方々にお届けするという誓いです。酪農家の方々との強い結びつきこそが、私たちの事業の原点であり、誇りでもあります。
ーー地域の酪農家との関わりで、大切にしていることは何ですか。
廣田 孝司:
地域の酪農家の方々を支え、共に歩むことを何よりも大切にしています。現在、石川県では酪農家の数が減少傾向にあります。特に能登地方は地震で大きな被害を受け、事業の継続が困難になった方も少なくありません。地域の酪農を守り、高品質な生乳を安定的に調達し続けることは、私たちの大事な取組みです。同時に、大きな課題だと認識しています。
そこで、被災された方々を少しでも応援したいという思いから、大阪・関西万博の会場で期間限定の「復興産地を知って、食べて、応援しよう」の企画ブースに出展しました。能登産の生乳で作った牛乳「のとそだち」を紹介してきました。石川の酪農業の未来のために、私たちにできる形で応援を続けていきたいと考えています。
規模の拡大よりも目指すもの 地域に必要とされる会社
ーー5年後、10年後、会社をどのような姿にしていきたいですか。
廣田 孝司:
私たちは、いたずらに規模の拡大を追い求めるつもりはありません。それよりも、生産者の方々、取引先、そして製品を手に取ってくださる消費者の皆様から「アイ・ミルク北陸があってよかった」と思っていただけるような、地域にとって必要とされる会社であり続けたい。それが私たちの目指す未来像です。
そのために、既存の取引先との関係をさらに深めるとともに、地域の方々が商品をいつでもどこでも購入できる環境を整えていきます。スーパーマーケットやドラッグストアなど、皆様の生活に身近な場所で商品を手に取っていただけるよう、地道な努力を続けていくことが重要だと考えています。
ーー最後に、今後どのような人材を求めていますか。
廣田 孝司:
生産者の方々の思い、そして消費者の皆様の暮らしに、想像力を働かせることができる方を求めています。私たちの仕事は、単に牛乳を作ることではありません。石川の食文化や地域社会を支える、大切な役割を担う仕事です。そのことに誇りを持ち、共に会社の未来を、そして地域の未来を創っていきたいという情熱のある方をお待ちしています。
編集後記
大手メーカーでの安定したキャリア。多くの人が望むその道を離れ、予期せぬ形で家業を継ぐ決断をした廣田氏。同氏の話からは困難な状況から始まった経営者の道で育まれた、「地域と共に生きる」という揺るぎない覚悟が感じられた。会社の成長を規模の大きさで測るのではない。「あの会社があってよかった」という地域からの信頼こそが、自社の存在価値だと同氏は語る。その言葉は、利益追求が優先されがちな現代において、企業が本来持つべき社会的使命とは何かを考える、重要なきっかけとなるだろう。

廣田 孝司/1963年石川県生まれ、1985年3月中央大学理工学部卒。株式会社村田製作所に入社し、6年後の1991年に小松牛乳株式会社に入社。2004年代表取締役社長に就任。2011年北陸乳業株式会社と事業統合し、アイ・ミルク北陸株式会社に社名変更。