
秋田県横手市に根ざし、創業以来自動車用シートカバー専門メーカーとして自動車産業の一翼を担う株式会社 Nui Tec Corporation。赤字経営の逆境にあった同社に、代表取締役社長として就任したのが井上峰之氏だ。井上氏は抜本的な意識改革と社長自らが東京から秋田へ生活の拠点を移すという決断をし、実行した。現場にこだわり抜く信念は、いかにして会社を再建へと導いたのか。変革の軌跡と、地域社会と共に描く未来像に迫る。
自動車への憧れから始まったキャリアの原点
ーー社会人としてのキャリアは、どのようにスタートされたのでしょうか。
井上峰之:
子どもの頃から自動車が大好きで、大学でも機械工学を専攻したため、ごく自然な流れで自動車業界を目指していました。就職活動中、親会社であるタチエスの工場見学に訪れる機会があり、その時に見た自動車用シートが次々と生み出されていく様子に心を奪われました。そして「ここで働きたい」と強く感じ、入社を決意しました。また、都心の混雑を避け、郊外に拠点を持つという点も決め手でした。
ーー入社後は、どのような業務に携わったのですか。
井上峰之:
最初に配属されたのは、生産の効率化を追求する生産技術の部署です。そこで、自動車への憧れ以上に、「いかに無駄なく効率的に製品をつくりだすか」というものづくりの奥深さに夢中になりました。当時の部署は若い先輩が多く、まるで大学のサークルのような活気ある雰囲気で、日々楽しく仕事に打ち込み、技術者としての基礎を築きました。
ーーその後のキャリアについてお聞かせください。
井上峰之:
入社3年目という異例の早さで、メキシコの「新規プロジェクト」の立ち上げに携わる機会を得ました。当時の上司からは「仕事は誰が行ってもできる。だから、楽しんでこい」と声をかけてもらい、その言葉を胸に、積極的に現地の輪に入っていきました。また、独学のスペイン語で対話を重ねるなどの経験を通して、多様な価値観に触れ、物事を多角的に見る視点が養われたと感じています。
予期せぬトップ就任から始まったV字回復への道のり
ーー社長に就任された経緯をお聞かせください。
井上峰之:
正直なところ、社長就任の話は全くの予想外でした。「次に声をかけられるときもまた海外赴任の話だろう」と思っていたので、内示を受けたときは3回も聞き返してしまったほどです。しかし、驚きと同時に「この会社を預かったからには、必ず立て直す」という強い覚悟が芽生えました。就任前の年が赤字だったこともあり、結果を出すことへの責任を強く認識していました。
ーー社長就任当初、どのような点に課題を感じられましたか。
井上峰之:
経営は厳しい状況でしたが、社員の技術力と真面目さには大きな可能性を感じ、彼らと共に会社を良くしたいという強い思いがありました。その一方で、長年培ってきた高い技術があるにもかかわらず、それを安売りしてしまっているのではないか、という課題意識も感じていました。まずはこの「安売り体質」からの脱却が、再建への第一歩だと考えました。
ーーその課題に対し、最初に着手されたことは何でしたか。
井上峰之:
社員の意識の変革です。営業チームには、原価を算出し、技術に見合った価格を粘り強く交渉する姿勢を徹底させました。秋田の方は奥ゆかしく優しい気質ですが、ビジネスでは対等なパートナーとして主張すべきだと繰り返し伝えました。この意識改革が浸透した結果、昨年度は創業以来最高の営業利益を達成しました。
社員との信頼を築くための移住と地域への第一歩

ーー改革の一つとして、ご自身が東京から秋田へ拠点を移されていますが、その理由をお聞かせください。
井上峰之:
「会社の舵取りをする人間が、現場から遠い東京にいては意味がない」と感じたからです。メールや電話だけでは本当の思いは伝わりません。日々社員と顔を合わせ、同じ場所で議論を交わすことでしか、本当の信頼関係は築けないと考えています。私自身が横手市民となり、この土地で生活することで、「Nui Tecは自分自身の会社なのだ」という当事者意識がより強固になりました。
ーー実際に秋田に拠点を移し、見えてきたことはありましたか。
井上峰之:
就任して驚いたのが、50年近い歴史があるにもかかわらず、地元での認知度が驚くほど低いという事実です。これでは、会社の未来を担う若い人材の採用も進みません。ベテラン社員が持つ貴重な技術を次世代に継承するためにも、まずは地域の方々に「ここにNui Tecという面白い会社がある」と知ってもらうことが急務でした。
ーー認知度向上のために、具体的にどのような取り組みを始められたのですか。
井上峰之:
まず従業員の通勤バスをラッピングすることに着手しました。そのために、デザインやキャッチコピーを全社員から公募し、コンテスト形式で決定。結果、かなり奇抜なデザインのバスが街を走ることになり、「あの会社は何だ?」と地域で大きな話題を呼びました。ほかにも、地元のプロバスケットボールチームに協賛するなど、地域の方々の目に触れる機会を積極的に創出しています。
従業員の幸せが起点 会社と地域が共に歩む未来
ーー地域での認知度向上以外に、現在注力されている新しい取り組みはありますか。
井上峰之:
自動車シートの表皮を裁断する工程では、クッキーの型抜きのように、どうしても端材が出ます。これまでは廃棄していましたが、社内で活用法を募り、丈夫な素材などを使ったトートバッグとして製品化しました。これは環境貢献だけでなく、弊社の高い縫製技術を地域の方々に直接見ていただく絶好の機会です。現在は秋田の観光施設内に工房も構えるに至りました。
ーートートバッグ開発は、事業にどのような広がりをもたらしましたか。
井上峰之:
この開発が、他の地元企業と新しい価値を生み出すきっかけとなりました。例えば、横手市には素晴らしい酒蔵がたくさんあるので、「弊社の技術を活かしてオリジナルのボトルバッグを共同開発できないか」と私自身が直接足を運んで提案しているところです。まずはトップである私が動いて道筋をつけることで、そこから新しい可能性が広がると信じています。
ーー最後に、さまざまな挑戦の先に、どのような会社の未来像を描いていらっしゃいますか。
井上峰之:
弊社では「三方良し」の精神を大切にしていますが、その順番を「従業員、お客様、社会」と定めています。まず、従業員が働きがいを感じ、満足できる会社でなければ、お客様に喜んでいただけるサービスは提供できません。従業員を第一に考えることが、結果としてお客様の満足につながり、ひいては社会貢献にもなるというのが私の信念です。この考えを全社で共有し、皆で未来を創っていける会社でありたいと考えています。
編集後記
「趣味はNui Tecです」。井上氏はインタビュー中にそう言って朗らかに笑った。その言葉通り、休日も自社の製品や技術のことを考えているという。その尽きることのない情熱と、地域に自ら飛び込む真摯な行動力が、会社と秋田に新たな活気を生み出している。同氏が縫い上げるのは単なる製品ではない。従業員と地域社会と共に歩む、希望に満ちた未来そのものである。

井上 峰之/1968年生まれ。明星大学卒業後、親会社である株式会社タチエスに入社。生産技術分野を歩み、新規プロジェクトや海外拠点の立ち上げなど、グローバルな経験を積む。2023年、株式会社 Nui Tec Corporationの代表取締役社長に就任。