※本ページ内の情報は2025年11月時点のものです。

関東圏を中心に物流サービスを提供する株式会社大松運輸。創業から50年以上の歴史を持つ同社は、住宅設備配送というニッチな分野に特化することで、大手企業との差別化を図り、確固たる地位を築き上げてきた。先代である父から事業を継承した代表取締役社長の仲松秀樹氏は、従業員が夢を持って働ける環境づくりを追求し、組織改革を推し進めている。自らもトラックドライバーとして現場を知るからこそ、社員一人ひとりの思いを大切にする仲松氏の経営手腕は、運送業界に新たな風を吹き込む。今回は、家業を継ぐまでのキャリア、ニッチな領域に特化した戦略、そして「従業員が幸せな会社」を目指す熱い思いについて話を聞いた。

家業を継ぐことへの葛藤と、決断の背景

ーーこれまでのご経歴について、お聞かせいただけますでしょうか。

仲松秀樹:
子どもの頃から「将来、馬に携わる仕事に就きたい」という夢があり、それを叶えるために、動物の専門学校へ進学しました。専門学校を卒業後は、念願叶って牧場で働き始めました。しかし、現実は厳しいものでした。休みは2週間に1度。給料は安く、家族を養うには不安も感じていたため、1年ほどで辞めました。

牧場を辞めた後、生活のために一度は父が創業した大松運輸に入社します。しかし、もともとトラックドライバーという仕事には興味がありませんでしたし、仕事の方針を巡って父とは頻繁に衝突しました。父は昔気質のワンマンなタイプで、折り合いがつかず、最終的には会社を飛び出す形で退職しました。この経験から、「父の会社に戻ればまた同じことになる」と強い思いを抱くようになります。

その後、スーツを着て働くことに憧れ、ペット用品の卸売会社で営業職に就きました。しかし、ノルマや休日を問わずかかってくる取引先からの電話に対する精神的なつらさから、3年ほどで退職。その後は、妻の実家がある埼玉県の建具屋で働き、家を購入し、このまま会社員として生きていこうと決めていたのです。

ーー現在のキャリアに至る上で、ターニングポイントとなった出来事は何ですか?

仲松秀樹:
ターニングポイントは、父から事業承継の話が出た時です。建具屋で働いていた私に、父が「お前が継がないなら、会社を畳むか、他社に売るか考えている」と話してきたのです。その時、長年共に働いてきた社員や、築き上げてきた取引先との関係を失うわけにはいかないという強い思いが込み上げました。また、「もし私が事業を継がなければ、父親は引退することなく、いつまでも現役で働き続けて苦しむのではないか」という心配もありました。

このような背景があり、「これは自分がやるしかない」と覚悟を決め、33歳で会社を継ぐことを決意し、単身で横浜に戻りました。会社を継いだ直後、父はすぐに引退して出身地の沖縄県に戻ってしまったため、私は現場でトラックを運転しながら、経理や役所の手続きなど、何もかもを一人でこなす日々でした。今振り返ると、非常に大変な時期でしたが、この経験が私の原点となっています。

ニッチ市場を拓いた独自の成長戦略

ーー事業承継後、会社の成長のためにどのようなことに取り組みましたか。

仲松秀樹:
当時は、お客さんから言われたら土曜日も仕事を断れず、代わりのドライバーもいない状況で、社員が休みを取れない環境をどうにかしたいと考えていました。その目標を達成するためには、仕事と人員を増やす必要がありました。

そんな時、ウェブサイトの営業を受け、活路を見出します。当時の会社にとっては大きな投資である約300万円をかけて本格的なウェブサイトを制作することを決断しました。会長である父親からは猛反対されましたが、「自分の給料から払う」ほどの覚悟で押し切りました。

ーー導入後、どのような効果が得られましたか。

仲松秀樹:
ウェブサイトを公開し、「住宅設備機器の配送」を打ち出したところ、住宅設備配送という専門性を見てくれたお客様が増え、仕事の依頼がどんどん増えていきました。仕事が増えたことで従業員も増やせるようになり、取引先も増えたため、社員のローテーションが組めるようになったのです。結果として、土曜日を完全に休める社員が増えていきました。

ーーその他にはどのようなことに取り組まれましたか。

仲松秀樹:
父が社長を務めていた頃の会社は、父が個人事業主の親方のような存在でした。そこから脱却し、しっかりとした組織の会社にしたいという夢を持ちました。その夢を象徴する具体的な目標は「社屋と倉庫を構える」こと。物理的な拠点を持つことが、組織として成長するための第一歩だと考えていたのです。

そこで、大手企業の仕組みを参考に、瀬谷、平塚など複数の拠点に倉庫を設け、荷物を集約して各拠点から近隣だけを配送する「共同配送」の仕組みを導入しました。この仕組みにより、車両の効率が上がって運賃も上げやすくなり、社員の給与も上げられるようになったのです。このような取り組みを続けた結果、従業員数は現在130人まで増え、組織として成長することができました。

従業員の成長を支える企業文化と今後の展望

ーー現在、従業員の教育や組織づくりでどのようなことに力を入れていますか?

仲松秀樹:
社員が安心して長く働ける会社を目指し、さまざまな取り組みを進めています。特に力を入れているのが、社員一人ひとりが描くキャリアを支援する教育体制の強化です。これまでも安全教育は徹底してきましたが、今後はスキルアップやキャリアアップを支援する仕組みをさらに充実させていきたいと考えています。

また、運送業は肉体的な負担が大きい仕事ですから、仕事に見合う評価と報酬を提供することも重要です。そのため、共同配送の仕組みを導入するなど、業務効率化と待遇改善を両立させることに努めてきました。従業員の声に耳を傾けながら、彼らがやりがいを持って働ける環境をこれからも追求していきます。

ーー今後の会社の目標や、ビジョンをお聞かせください。

仲松秀樹:
今後は単に規模を拡大するだけでなく、組織の基盤をより盤石なものにしていきたいと考えています。そして、社員一人ひとりがやりがいや目標を持って働ける会社にしていきたいですね。ただ荷物を運ぶだけではなく、「この荷物が誰の役に立っているのか」まで考えて仕事をする、そんな自立したプロになってほしいです。そのため、トラックドライバーのスキルアップはもちろん、社会経験やビジネススキル、経営のノウハウを学べる機会も作っていきたいと考えています。

弊社では、年に一度の全社イベントで、売上や数字に貢献した人だけでなく、目に見えない部分で会社を支え、助けてくれた社員を「MVP」として表彰しています。受賞者には、賞金や記念品ではなく、「個人の夢を会社が全力で応援する権利」が贈られます。たとえば「家を建てたい」という夢を持つ社員には、会社が持つノウハウや人材を注ぎ込み、最大限のサポートを提供します。会社が社員の夢を応援することで、彼ら自身に「夢」や「目標」を持ってほしい。それが日々の仕事のやりがいにつながり、人生をより生き生きと送ることになると信じています。

編集後記

今回、仲松氏に話をうかがい、「会社は働く社員のためにある」という強い思いが伝わってきた。自らもトラックドライバーとして現場を知り、若き日に家業を継ぐことに葛藤した経験を持つからこそ、社員一人ひとりの苦労や人生に寄り添う温かさがあるのだろう。ニッチな領域に特化するという戦略的な経営判断もさることながら、最も印象的だったのは、「社員の夢を応援する」という独自の制度だ。社員の自己実現を会社の成長の原動力と捉える仲松氏の熱い情熱は、運送業界の未来を切り開く大きな力となるだろう。今後のさらなる飛躍が楽しみである。

仲松秀樹/1973年生まれ。専門学校卒業後、那須高原の牧場に勤務。2006年より父が創業した株式会社大松運輸の代表取締役に就任。運送業を通じ「社員や関わるすべての人を幸せにする」理念のもと、安全・安心の物流と地域貢献に取り組んでいる。