※本ページ内の情報は2025年11月時点のものです。

奈良県で創業85年の歴史を持つ靴下製造メーカー、日本ニット株式会社。低価格の海外製品との競争が激化する現代において、「日本のものづくり」と「地域の雇用」を守ることにこだわり、革新的な挑戦を続ける。売上至上主義ではない経営を掲げる同社は、自社ブランドの成功だけでなく、一見畑違いに思えるナマズの陸上養殖事業も展開している。家業を継ぐまでの道のり、そして未来を見据えた挑戦の背景にある思いを、三代目社長、里井謙一氏にうかがった。

経営者としての原点と現場での学び

ーー家業を継ぐまでの経緯と、経営者としての思いをお聞かせください。

里井謙一:
祖父が創業した会社だったので、将来は後を継ぐように言われながら育ちました。しかし、すぐに家業に入ってしまうと社会の常識やビジネスの流れが分からないだろうと考え、一度銀行に入行しました。

銀行では、とにかく多くの経営者の方々と直接お会いしたいと考えていました。さまざまな業界の社長とお話する中で、成功企業ならではの経営のあり方や、揺るがない信念があることを肌で感じたのです。その経験が、将来自分が会社を継ぐ上で、単なる「後継ぎ」ではなく「経営者」としてやっていくべきだという思いを強くしました。

そんな中、父から「戻ってきてほしい」と声をかけられたのが転機となりました。3年間の銀行での学びを活かすためにも、家業に戻って、ものづくりの世界に飛び込む決意をしました。

ーー入社後は、どのような業務に携わりましたか。

里井謙一:
入社後は、父の「ものづくりをゼロから学べ」という考えのもと、すぐに製造現場に入りました。弊社の心臓部である編み立て機を扱う現場からスタートし、靴下製造に必要な工程を全て回りました。また、外部の協力会社に出向いて機械を分解し、再び組み立てることを学ぶなど、靴下製造にとどまらず、ものづくりの根本を徹底的に学びました。この5年間でものづくりの流れを理解したことで、その経験が営業業務で大いに役立ちました。

現場経験が活きる営業と自社ブランドへの挑戦

ーー営業では、現場で培った知識がどのように活かされましたか。

里井謙一:
当時はOEM(相手先ブランドによる生産)が中心で、お客様に新商品を提案するのが主な仕事でした。現場で機械の構造や糸の特性、製造の流れをすべて把握していたため、単に商品を提案するだけでなく、「弊社の技術力を用いれば、耐久性を高めたり、コストを抑えたりする工夫ができます」といった、お客様のニーズに応える具体的な提案ができたのです。この強みは非常に大きく、何も知らない状態ではできない深い提案が可能になりました。

ーーOEM事業一本だったところから、自社ブランドを立ち上げたきっかけは何だったのでしょうか。

里井謙一:
私が会社に入った頃には、中国やベトナムからの海外輸入が当たり前になりつつあり、このままOEM一本に頼っていては将来的に厳しいという強い危機感を抱きました。そのため、自社ブランドの立ち上げを決意したのです。当時はまだネット販売が始まったばかりで、手探りの状態でしたが、OEMのように言われたものだけを作るのではなく、自分たちで企画・製造した商品が直接お客様に届くことに大きな喜びを感じました。BtoBだけでなく、BtoCに向けて直接、弊社の技術力をアピールできることは、大きなメリットだったのです。

ーー自社ブランド立ち上げ当初、社内ではどのような反応がありましたか。

里井謙一:
最初は「OEMの注文があるのに、なぜ売れるか分からないブランドなんてやるんだ」という懐疑的な見方をする社員もいました。しかし、今では「社長のやっていることは間違いではなかった」と分かってもらえていると思います。現在、売上はOEMが6割、自社ブランドが4割を占めるまでになりました。

独自の技術力が生む「破れにくい靴下」と今後の展望

ーー貴社の自社ブランドの強みは何でしょうか。

里井謙一:
私たちが最もこだわっているのは、独自の技術を活かした“破れにくい靴下”の開発です。靴下は消耗品で、すぐに破れてしまうという不満を抱えている方も多いでしょう。弊社では、編み方と糸使いを工夫することで、従来の製品では半月で破れていた靴下が3か月も長持ちするといった、これまでの常識を覆すほどの耐久性を実現しています。この技術力は特許も取得しています。

ーー“破れにくい靴下”をテーマに掲げたのはなぜですか。

里井謙一:
ファッション性を追求するよりも、リピートしてもらえる商品を作り続けることが私たちの強みになると考えたからです。お客様に「これしかいらない」と思ってもらえるような、日々の暮らしに寄り添う商品を開発しています。作業をする人や、靴下にこだわりを持つ方など、一度履いてその良さを体感してくださったお客様が、繰り返し購入してくださることで、長く愛されるブランドを築いていくことができます。

新たな挑戦「ナマズの陸上養殖」にかける思い

ーー多角的な事業展開をされている背景について教えてください。

里井謙一:
靴下事業以外にも、不動産やコインランドリー事業を展開しています。これらの事業は、靴下事業の安定した基盤を作るために始めました。不動産やコインランドリーは、収益が安定しているので、私たちが力を入れたい靴下の「ものづくり」に、安心して投資できる環境を生み出してくれます。

ーーその「ものづくり」への情熱から、さらに新たな挑戦があればお聞かせください。

里井謙一:
実は私自身がゼロから立ち上げる“ものづくり”への挑戦として、およそ1年半ほど前からナマズの陸上養殖事業を始めました。日本の食料自給率の低さや、世界的な魚の供給不足に危機感を抱いたことがきっかけです。共食いなど多くの失敗を繰り返しながら、ようやく安定的に供給できるノウハウができてきたところです。

ーー今後の事業展開や、これから先の10年で実現したい夢や目標についてお聞かせいただけますか?

里井謙一:
これから先の10年で、靴下と養殖事業の両方で必ず結果を残したいと考えています。靴下事業では、新たな取引先の開拓、新商品の開発、そしてECの強化に注力していきます。地域に残る靴下製造業者と共に、奈良県の地場産業を守っていきたいです。今後の商品開発では、一年を通して快適に履ける靴下や、年齢を重ねることで冷えなどの体の不調や変化を感じる方へ、自社の強みを生かした商品を届けたいですね。

また、陸上養殖事業を軌道に乗せ、高タンパクなナマズを安定供給できる仕組みを世の中に広めることが目標です。売上や利益だけを追求するのではなく、地域の雇用を守り、日本のものづくりを継承していくという、売上至上主義ではない経営を今後も大切にしていきます。

編集後記

現場での経験から、揺るがない思いを築き上げた里井社長。その根底にあるのは、ただ会社の利益を追求するだけでなく、「日本のものづくりと地域社会を守る」という深い使命感だ。「破れにくい靴下」の開発に象徴される飽くなき探求心、そして一見畑違いに見えるナマズの陸上養殖事業への挑戦も、その使命感の延長線上にある。自らリスクを取り、未知の領域に挑むその姿は、現状維持では未来がないと危機感を抱く多くの経営者にとって、新たな道を示してくれるに違いない。飽くなき挑戦を続ける里井社長の今後の活躍に、引き続き注目していきたい。

里井謙一/1974年奈良県生まれ、1997年龍谷大学経済学部卒業、株式会社南都銀行を経て2000年日本ニット株式会社入社。2013年代表取締役に就任、2025年「中学受験教育アカデミー」代表にも就任。著書:『強い会社を作る「足元経営」』