
ドイツに本社を置くビカ・ジャパン株式会社は、圧力・温度などの計測機器分野で世界トップクラスのシェアを誇る。一族経営による中長期的な視点と、世界中に張り巡らされた生産・供給網を強みに、顧客の事業を止めない安定供給を実現している。同社の日本法人を率いるのが、代表取締役社長の柏原孝記氏だ。自動車レースへの情熱からキャリアを始め、日系大手から米国の巨大企業まで渡り歩き、数々の逆境を乗り越えてきた。グローバルな環境で培ってきた独自の仕事観、そして日本人が世界で活躍するための視点について話を聞いた。
夢の挫折から始まったキャリアの第一歩
ーー社会人としてのキャリアはどのようにスタートされたのでしょうか。
柏原孝記:
学生時代は自動車レースに情熱を注いでいましたが、プロへの道は断念。レース関連の仕事に就きたいと強く願っていました。しかし、当時は就職氷河期初期で、文系の私では自動車や機械関連の企業からは全く相手にされない状況でした。
そんな中、大日本インキ化学工業(現・DIC株式会社)がオートバイレース用のヘルメットを製造し、世界のトップライダーに供給していることを知りました。私は人事面接で「御社のヘルメットを世界一にしてみせます」と宣言し、なんとか内定をいただくことができました。
ーー入社後は、どのような仕事を担当されましたか。
柏原孝記:
入社前日の面談で、改めてライダー用ヘルメット事業を管轄する部署への配属を希望しました。すると「その事業は本年度をもって撤退します」と告げられました。それを聞いて「では内定を辞退いたします」と即答したのですが、「社会人としての責任を果たしてほしい」と諭され、会社に残ることにしました。
その後、海外と関わる仕事を希望した結果、貿易事業部に2年半在籍し、会社の方針で国内営業へ異動。そこでの7年間で日本の法人営業を徹底的に学び、自分なりのやり方で海外の売上も大きく伸長させました。
そんな折、ヘッドハンターから連絡があり、米国の特殊化学品メーカー、ローム・アンド・ハースからスカウトされました。当時の私は日本の大企業特有の年功序列に息苦しさを感じていました。「完全実力主義」という言葉に強く惹かれ、転職を決意しました。
外資系で痛感した世界基準と日本の強み
ーー初めての外資系企業で、日本企業との違いをどのように感じられましたか。
柏原孝記:
ローム・アンド・ハースでは、米国の企業文化に直接触れ、自分がいかに日本の常識しか知らなかったかを痛感させられました。その一方で、実力は正当に評価され、MBAビジネススクール受講の機会を支援していただくなど、非常に良い経験を積む機会となりました。
しかし、入社から7年後、会社がザ・ダウ・ケミカル・カンパニー(以下、ダウ)に買収され、私の上司が全員解雇されるという事態に直面。営業課長だった私が日本法人の最上位者となり、全くカルチャーの異なる巨大組織に組み込まれることになります。3つの日韓営業部と年齢も経歴も様々な延べ17名の従業員を部下として同時に率いることになり、日々叱咤されながらも、必死にマネジメントのやり方を学ぶ日々でした。
ーー仕事に対する考え方はどのように培われましたか。
柏原孝記:
外資系企業で外国人の上司と渡り合う中で、世界標準の視点と日本特有の価値観との間に、大きな隔たりがあることに気づきました。日本の「当たり前」は、海外では全く通用しません。このギャップを埋めることこそ、自分の存在価値だと考えるようになりました。
世界の人口から見れば、日本人はわずか1.5%のマイノリティです。しかし、勤勉さ、誠実さ、そして倫理観の高さ。こうした日本人の特性は、グローバルな組織において貴重な強みとなります。私は、日本人の持つポテンシャルを世界の舞台で成功に導く「通訳」でありたい。そのために社員には、外国人との議論で対等に渡り合えるよう、論理的思考を徹底的に鍛えるプログラムを立ち上げ、自身でトレーニングを行っています。この社員トレーニングにおいては昨年来、アジア太平洋地域の営業トレーナーを拝命しており、来年からはリーダシップトレーニングのトレーナーを務めることになっています。
苦渋の決断を経てたどり着いた新たな舞台
ーー貴社の社長に就任された経緯をおうかがいできますか。
柏原孝記:
ダウを退職後、ヘッドハンターとキャリア相談をする中で「外資系企業の日本法人社長」という道を明確に意識し始め、会社全体を統括する経験が必要だと考えました。そこでスイスの精密機器メーカー、メトラー・トレドに事業部長として入社し、初めて営業以外の部門を含めたチームマネジメントを経験します。
その後、ダナハー・コーポレーション傘下に、将来の社長候補として入社しました。1年後には目標だった社長に就任することができました。しかし在任中、自宅マンションの大規模補修において、想定を上回る一次退去を必要とする補修工事の必要性が生じ、私が住民代表として建設会社と交渉する責任を負うことになりました。社長業との両立は困難だと判断し、会社を辞めるという苦渋の決断をしました。
半年かけて住民側の要求を実現させ、大規模補修を完了させたところで、最初に声をかけてくれたのがビカでした。創業家が経営する非上場のドイツ企業ならではの、中長期的な視点での安定経営に強く惹かれ、入社を決めました。
メガトレンドを見据えた企業の成長戦略

ーー貴社の強みはどのような点にあるのでしょうか。
柏原孝記:
最大の強みは、世界中に複数の生産拠点を持つことによる、圧倒的な供給能力と事業継続性です。たとえば、コロナ禍で世界の物流が深刻な混乱に陥った際も、私たちは大陸間の工場で資材を融通し合い、生産を維持しました。当時、新規の注文に対して明確な納期を回答できたのは、国内の同業他社では弊社だけだったと聞いています。
こうした苦しい状況でお客様を支えられたことが信頼に繋がり、「ビカなら大丈夫だ」という絶対的な信頼を勝ち取れました。また、優れた技術を持つ企業を友好的に買収し、その人材やブランドを尊重しながらグループ全体で成長を続けている点も、私たちの大きな特徴です。
ーー今後の展望についてお聞かせください。
柏原孝記:
私たちは2030年までの中期計画において、世の中を動かす3つのメガトレンドを見据えています。それは「Digitalization(デジタル化)」「Decarbonization(脱炭素)」「Demographics(人口動態の変化)」です。これら3つの頭文字をとって「3D」と呼んでいます。
この「3D」に対応するため、半導体や水素、医薬品といった、これまで我々が主力としてこなかった新規市場へ戦略的に事業を展開していきます。目標達成に必要な組織体制や人材を計画的に準備し、未来への投資を着実に実行していくことが私の使命です。
そして何よりも、社員一人ひとりが誇りを持てる会社をつくりたい。自身のキャリアの成功を実感できるような会社にしていきたいと考えています。
編集後記
モータースポーツへの情熱から始まったキャリアは、予期せぬ幾多の荒波を乗り越え、やがて日本と世界を繋ぐという大きな使命へと昇華した。柏原氏の歩みは、明確な意志を持って行動し続ければ、道は自ずと拓けることを力強く示している。特に、自国を客観視し、世界における日本の強みと弱みを冷静に分析する視点。これは、グローバル化が加速する現代のビジネスパーソンにとって不可欠な羅針盤となるだろう。その稀有な経験に裏打ちされた言葉は、挑戦を続けるすべての人々の背中を、強く押してくれるに違いない。

柏原孝記/1971年、奈良県生まれ。1993年、大日本インキ化学工業株式会社(現・DIC 株式会社)に入社。2003年、ロームアンドハース・ジャパン株式会社(現・ダウ・ケミカル日本株式会社)に入社。2016年、米ダナハーグループ(現・ヴェラルト)傘下のビデオジェット・エックスライト株式会社で日本支社長に就任。2019年、ビカ・ジャパン株式会社に入社し、代表取締役社長に就任。