
大阪府堺市に拠点を置く、治療食・介護食の専門商社、三嶋商事株式会社。40年以上の歴史を持つ卸売事業に加え、ECサイト運営やプライベートブランド(PB)商品の開発で成長を続けている。代表取締役の三嶋賴之氏は、プロボクサーからの転身、そして父の急逝という予期せぬ形で事業を継承した。苦境から会社を5倍以上の規模に成長させた同氏に、これまでの軌跡と今後の展望について聞いた。
父の急逝で始まった経営の道 深夜まで続いた試練の日々
ーーこれまでのご経歴についてお聞かせください。
三嶋賴之:
もともと父が学生時代にボクシングをしていた影響で、私が高校生の時に始めました。家で父がシャドーボクシングをする姿などを見るうちに、自然と興味を持ったのです。高校3年間だけのつもりでしたが、続けるうちにもっと上を目指したいという思いが強くなり、プロの世界も視野に入れながら大学1年の時にプロに転向しました。しかし、怪我の影響でその道を大学4年の時に断念しました。
その後、父の勧めもあり、取引先であった新潟の治療・介護食メーカーへ就職しました。将来、家業に戻ることを前提としていたため、3年間という約束で営業として社会人経験を積ませていただいたのです。扱っていたのは流動食という特殊な商品でした。専門家である医師に商品を案内するために、努力して勉強した知識は今も役立っています。
ーー事業を継がれた経緯についておうかがいできますか。
三嶋賴之:
「いずれは継ぐのだろう」という気持ちはありましたが、父の急逝により突然、後を継ぐことになりました。当時は家族3人で経営していたため、父が亡くなったことで深刻な人手不足に陥りました。営業や配達といった通常業務に加え、経験のない経理や請求書発行もこなさなければなりません。毎日仕事が終わるのは深夜0時を過ぎているような状況でした。
成長の原動力となった転換点 お客様の声から生まれたEC
ーーどのようにして事業を拡大されたのでしょうか。
三嶋賴之:
大きな転換点は、2008年にインターネット通販(EC)を始めたことです。父が亡くなった後、従業員を雇用し、配達などを任せられるようになって少し時間に余裕ができた時期でした。その頃、お客様から「病院で買っていた商品は、退院したらどこで買えるの?」というお問い合わせが、非常に多く寄せられました。
「ご年配の方はネットで買い物をしない」という先入観もありましたが、いざ始めてみると、ご本人に代わってお子様などご家族の方が購入されるケースが多く、注文は着実に増えていきました。実店舗を持つには賃料や人件費といった多額のコストがかかりますが、ECサイトであればその心配もありません。このEC事業の成功が、会社が大きく成長する原動力になりました。
「美味しそう」を追求した挑戦 自社開発による看板商品

ーープライベートブランド(PB)商品の開発は、どのような経緯で始められましたか。
三嶋賴之:
在宅で療養されるお客様に商品を届ける中で、最も問題だと感じていたのがパッケージデザインでした。メーカー品は治療に使われるため、栄養成分値を強調するなど機能性を重視して作られています。そのため、美味しそうに見えないものが多かったのです。消費者の立場からすれば、やはり「美味しそうだな」と感じて手に取りたくなるような商品を目指したいと考えていました。
ちょうどそんなことを考えていた矢先に、良いご縁があって自社ブランド商品を手がけることになったのです。デザインについてお客様から直接感想をいただくことは少ないですが、今ではその商品が全取扱商品の中で一番の売れ筋になりました。それが何よりの結果だと考えています。
社員の離職と向き合った組織改革 価値観の言語化という試み
ーー事業が成長していく中で、組織面ではどのような課題がありましたか。
三嶋賴之:
以前は社員の離職が多いことに悩んでいました。その状況を改善したいと思っていた2011年頃、ある本との出会いをきっかけに、カルチャーブック(※)を作成。会社の「コアバリュー(価値観)」を定め、それを採用や評価の基準にすることを試みました。当初は課題もありましたが、失敗を繰り返しながら改善を重ねました。
(※)カルチャーブック:企業の文化や価値観、社風を言語化・可視化し、社内外に伝えるための冊子や資料のこと
ーー組織が変わったと感じた、きっかけはありましたか。
三嶋賴之:
2016年に自社ブランドを立ち上げたことが大きな転機となりました。そのタイミングでホームページやロゴを刷新し、ブランドイメージを一新したのです。弊社は治療・介護食業界では半世紀近い歴史を持つ老舗です。その老舗感を演出しようと、和のテイストを取り入れました。さらに2018年に現在のオフィスへ移転した際、内装はもちろん、社員が身につける前掛けなどもブランドコンセプトに合わせて統一。これにより、組織の一体感が格段に高まりました。
誰もが同じ食卓を囲む未来 新商品と海外展開への挑戦
ーー今後の事業における注力テーマについてお聞かせください。
三嶋賴之:
まずは「新商品の開発」です。これまでの「治療・介護食」という枠にとらわれず、介護が必要な方もそうでない方も、家族みんなで同じものを美味しく食べられる商品を開発していきたいと考えています。その人だけ別の食事をとるのではなく、みんなで同じ食卓を囲める。そんな世界を実現したいのです。
その考えを体現したのが、『うれし涙のおかいさん』です。これは、非常食のようにお湯や水を加えるだけで簡単にお粥が作れる粉末タイプの商品で、添加物不使用のため赤ちゃんの離乳食にもお使いいただけます。
また、長年にわたり介護食の卸売業を専門としてきた実績や、防災への取り組みが評価され、堺市と「災害時における介護食等の供給に関する協定書」を締結するに至りました。
2つ目の注力テーマは「海外展開」です。日本の高齢者向け市場、いわゆるシルバー産業は世界トップレベルの知見を持っています。今後、アジア圏でも高齢化が急速に進む中で、日本の技術やサービスが役立つ場面は必ずあるはずです。すでに取引のある香港・中国や台湾を足掛かりに、さらに展開を加速させていきます。
そして3つ目が「DXの推進」です。人手不足が進む中、受発注業務などをシステムで代替していくことは不可欠です。AIなども活用し、効率化を進めていきたいと考えています。
求める人物像は挑戦者 会社の未来を共に創る新たな仲間
ーー採用活動において、どのような人材を求めていらっしゃいますか。
三嶋賴之:
何よりもチャレンジ精神がある方を求めています。弊社はPB商品開発や海外展開など、常に新しいことに挑戦しています。決まった仕事をこなすだけでなく、そうした新しい取り組みに臆することなく飛び込んできてくれる方が、最も成長できる環境だと思います。
過去には条件面だけで入社した人とは、うまくいかなかった経験があります。会社が目指す方向と、本人が将来なりたい姿、この価値観のミスマッチをなくすことが、採用活動では最も重要だと考えています。その重なりが大きいほど、お互いにとって良い関係が築けるでしょう。
ーー最後に、会社の長期的な展望についてお聞かせください。
三嶋賴之:
事業を成長させ、しっかりと利益を残せる会社にすることで、社員の待遇を向上させたいと考えています。良い待遇がなければ、良い人材も集まりません。社員みんなでその目標を実現していくことが、今の私の最大の目標です。
編集後記
プロボクサーから一転、父の急逝により、全くの未経験から経営の世界に飛び込んだ三嶋氏。激務に追われる日々の中、道標となったのは「どこで買えるのか」という買い物先に悩む顧客からの一声であった。その声に真摯に向き合うことからEC事業は生まれ、会社は成長軌道を描き始める。さらに「美味しそうに見えない」という課題感は、食べる人の喜びを追求したプライベートブランド商品の開発へと結実した。顧客の困難を価値に変えるその実直な歩みは、やがて介護食が特別なものではなくなる未来へと続いていく。世界へと視野を広げる同社の次の一歩が期待される。

三嶋賴之/1973年兵庫県生まれ。1997年大阪経済法科大学卒業後、堀之内缶詰株式会社(現・ホリカフーズ株式会社)に入社。3年の修業期間を経て、2000年に三嶋商事株式会社へ入社。2003年に同社代表取締役に就任。腎臓病食や介護食を取り扱うECサイト「ビースタイル」を開設し、事業を拡大。入社から20年で年商を5倍以上に成長させる。