※本ページ内の情報は2025年12月時点のものです。

再生可能エネルギーを活用した電力事業を展開する株式会社Looop。同社は発電所の開発から電力の販売までを一貫して手掛けることを強みとし、日本のエネルギーインフラを支えている。創業者である中村創一郎氏は、一度は社長の座を退いたものの、会社のさらなる飛躍のため再び経営の舵を取ることを決意した。小学生時代から商才を発揮してきた並外れた行動力と、電力会社の枠を超え「AIカンパニー」を目指す壮大なビジョンについて、その半生とともに詳しく話を聞いた。

少年時代に目覚めた起業家精神の原点

ーー社会人としてのキャリアはどのようにスタートされたのでしょうか。

中村創一郎:
大学を中退して就職しました。ただ、それ以前から自分で商売をすることには強い興味がありました。小学生の時に読んだ本に影響を受けて、量販店で安く仕入れたジュースを港で売ってみたのが最初の経験です。結局、子供が売っても誰も買ってくれず、自分で飲むことになりましたが、仕入れて売るという商売の基本を学んだ原体験になりました。

ーーそこから独立されるまでの経緯をお聞かせください。

中村創一郎:
学生時代は、大学の願書を取りに行く代行サービスや、お台場で観光客の写真を撮る商売など、思いついたビジネスを次々と実践していました。その後、中国へ留学した際には、現地価格で仕入れたチャイナドレスやパソコンパーツを日本で販売し、特に自作パソコンの販売では大きな利益を上げました。

その後、父の勧めで中国にある父の会社の子会社へ入り、レアメタルトレーダーの道へ進みます。転機となったのは、レアアースの輸出規制がかかった際、個人的なコネクションにより私だけが輸出できるルートを確保できたことです。そのレアメタルを、私は父の会社に仕入れ値に近い価格で納品していましたが、父の会社がそれを高値で販売していることを知りました。ビジネスに対する考え方で父と折り合いつかず、2009年頃に独立しました。

人の役に立つために 震災を機に生まれた電力事業

ーー貴社を創業された経緯を教えてください。

中村創一郎:
一人でレアメタルのビジネスをしている中で、次第に「仲間と一緒に仕事をしたい」という思いが強くなっていきました。そんな時に東日本大震災が起きたのです。友人が太陽光パネルの工場を経営していたこともあり、ボランティアで被災地に太陽光パネルを設置しにいったのが創業につながっています。

ーー事業を運営する上で大切にされていることはありますか。

中村創一郎:
第一に「人の役に立つこと」です。私たちは利益を目的にするのではなく、人の役に立つことを追求します。そうすれば、結果として利益は後からついてくると考えています。そのためには、自社ならではの「機能」を必ず持たなければなりません。かつて手掛けていたパソコン販売事業が良い例です。「ハイスペックな製品を安くつくる」という確かな機能があったからこそ、ビジネスとして成立しました。弊社においても、この機能を常に磨き続けることを意識しています。

ーー貴社ならではの強みはどのような点にあるとお考えですか。

中村創一郎:
発電所の土地探しから建設、そして生まれた電気の販売まで、すべてを一貫して手掛けられる点です。これらをすべて自社で行える新電力会社は他にはほとんどありません。この体制があるからこそ、理論上は一番安い電気をお客様にお届けできる。これが私たちの最大の強みです。

創業者の背中を押した周囲からの熱い期待

ーー社長就任後、転機となった出来事はありますか。

中村創一郎:
弊社の社長に就任してから数年が経った頃、経営は若い世代に任せるべきだと考えて一度職責を退任しました。実際、後任の堅実な経営で営業利益は伸びましたが、事業を飛躍的に拡大させる力や、徹底したユーザー視点が不足しているとも感じていました。外から会社を見る中で「やはり自分がやらねばならない」という思いが芽生え始め、再び社長に就任することにしたのです。

ーー復帰を決断する上で、影響を受けた方はいらっしゃいますか。

中村創一郎:
ある電力会社の役員の方が私が退任した年の創業記念日に、司馬遼太郎の「世に棲む日日」を贈ってくれました。最初のページに「まだ夢の途中」と手書きで書かれていたんです。私はその言葉を「始めた会社を途中で投げ出すな」というメッセージだと受け取りました。

また、ドバイを訪れた父からは「ドバイで遊んでいる場合ではない」と叱られました。そして最終的な決め手は、東急不動産の経営陣がドバイまで会いに来てくださったことです。これらの思いに触れ、復帰する覚悟を決めました。

電力提供からAIカンパニーへの壮大な変革

ーー今後、特に注力していきたい事業領域は何でしょうか。

中村創一郎:
私たちは今後、電力会社ではなく「AIカンパニー」を目指そうと考えています。もちろん、エネルギーは人々の生活に不可欠なため提供し続けますが、それはサービスの一つという位置づけになります。これからは、家庭の中で本当に必要とされるものをAIが自動的に考えて提供する、そんなサービスを展開していきたいのです。

ーー具体的にどのようなサービスを構想されていますか。

中村創一郎:
家の中に、常に暮らしを見守り、最適な提案をしてくれるコンシェルジュがいるようなイメージです。私たちが開発するスマートホームデバイスが、エネルギーの使用状況や家族の会話、行動パターンなどを把握します。それに基づき、「冷蔵庫の中身が少なくなっていますよ」「洗濯物が溜まっていませんか」といった提案から、洗剤の自動注文、さらには光熱費の支払い代行まで、暮らしのあらゆることを任せられるサービスをつくりたいと考えています。

ーーその構想の根底にはどのような考えがあるのでしょうか。

中村創一郎:
「人の役に立つ」という創業以来の思いです。AIは非常に便利で、これからの生活をさらに豊かにしてくれるものです。ネット上の情報だけでなく、実際の生活データを活用することで、一人ひとりに寄り添った究極のサービスが提供できると考えています。セキュリティを万全にした上で、家に何でもやってくれる執事がいるような世界を実現したいです。

意欲と判断力を兼ね備えた未来の創り手

ーー事業を推進していく上で、どのような人材を求めていますか。

中村創一郎:
大きく3つの要素を持つ方を求めています。まずは知的好奇心が旺盛な人。常に新しい知識を吸収しようとする姿勢は不可欠です。次に誠実な人。AI技術が発展するこれからの時代だからこそ、嘘をつかない、責任感があるといった、人間としての根本的なパーソナリティがより一層問われるようになります。

そして最後に、自分の頭で戦略を考えられる人です。便利なAIに依存するのではなく、AIをツールとして使いこなしながら、自らの頭で判断し、仕組みやアーキテクチャを構築できる。職種を問わず、こうした意欲のある方と一緒に未来を創っていきたいです。

編集後記

小学生時代のジュース販売からレアメタルトレーダー、そして電力会社の創業。中村氏のキャリアは、常識にとらわれない発想と行動力の連続である。その原動力として、一貫して「人の役に立つこと」を掲げてきた。一度離れた社長職に復帰し、次に見据えるのは電力会社の枠を超えた「AIカンパニー」への進化である。変化を恐れず、人の暮らしを豊かにするための挑戦は続く。

中村創一郎/20歳から北京語言大学へ留学。在学中にEコマース事業を始めるなど起業を経験。その後上海に居を移しレアメタルトレーダーとして活動。東日本大震災時に、ソーラーパネルの設置ボランティア活動をきっかけに、2011年4月4日、株式会社Looopを創業。12年間同社代表として指揮をとり、2023年3月の社長退任時には売上660億円まで成長させる。その後、代表取締役会長、取締役ファウンダーを経て、2025年7月より現職に復帰。