
1984年の創業以来、40期連続黒字という盤石な経営基盤を誇る株式会社ディックソリューションエンジニアリング。電気制御と情報通信という二つのインフラ技術を軸に、社会の根幹を支え続けている。同社の強みは、創業時からの「技能」を時代の変化に合わせて「技術」へと昇華させ、さらに未経験者を短期間でプロのエンジニアへと育成する独自の教育システムにある。今回、同社を築き上げた会長の原田隆之氏と、そのバトンを受け継いだ二代目社長の原田明氏に、事業承継の舞台裏と、同社が目指す「技術と心」の継承について話を聞いた。
技能から技術へ 「7人しかいない」の悔しさが生んだ転換
ーー貴社は、どのような形で事業をスタートされたのでしょうか。
原田隆之:
1984年の9月に、前の会社から独立する形でスタートしました。当初から明確なビジョンがあったわけではないのですが、私の退職に伴って30名ほどの仲間が「一緒に行きたい」とついてきてくれたのです。彼らの生活を背負っての船出でしたから、とにかく「会社は決して潰してはいけない」と強く心に誓いました。
当時は羽田空港近くの貸工場でハンダ付けや配線といった、いわゆる熟練工の手作業による「技能」の仕事が中心でした。創業当初から堅実な経営を心がけ、おかげさまで、創業以来40年間、黒字経営を続けることができています。
ーーその後、事業の転換を決断されたきっかけは何だったのでしょうか。
原田隆之:
製造業が東京から流出していく状況を目の当たりにし、「このままでは仕事がなくなる」という強い危機感を抱いたことがきっかけです。当時は半導体の進化で手作業が減り、大手メーカーもコスト削減のために地方へ工場を移転させていました。そこで会社を存続させるために、それまでの手作業による「技能」から、ITなどの「技術」分野へ舵を切ることにしたのです。
ーー事業転換にあたって、特に印象に残っているエピソードはありますか。
原田明:
私が聞いた話の中で特に印象的なのが、転換期の「悔しさ」が現在の教育体制につながっているということです。当時、ネットワークエンジニアの登竜門とされる「CCNA(※)」という資格ホルダーの数を顧客から問われた際、会長が「7人くらい」と答えたところ、「それだけしかいないのですか」と残念そうな顔をされたそうです。
原田隆之:
あの時の悔しさは忘れられません。「これでは遅い、世の中はもっと進んでいる」と痛感しました。そこから本格的に社員教育に力を入れ、資格取得者を増やしていく今の流れが生まれました。
(※)CCNA:ネットワークエンジニアの技能検定試験。ネットワークの基礎知識や設定技術を証明する世界共通の資格。
「継ぎやすい会社」をつくるための父の戦略、息子の覚悟

ーー社長は幼少期から後継者としての意識はあったのでしょうか。
原田明:
私は弊社が創業して2年後に生まれたのですが、幼い頃から社員の方が自宅によく来ていましたし、休日に父の会社で遊ぶこともありました。自然と会社を身近に感じて育ちましたが、具体的に「継ごう」と覚悟を決めたのは大人になってからです。
原田隆之:
私は、彼が小学校高学年の頃にはリーダーシップの片鱗を感じ、「いつかは継がせたい」と考えており、中学生の頃にはパソコンに触れさせたりもしましたね。何より、息子が継ぎたいと思える会社にするためには、それなりの規模と安定性が必要です。社員数500名、年商50億円という目標を掲げ、借金のない「継ぎやすい状態」をつくることに奔走してきました。
ーー入社後は、どのようなキャリアを歩んで社長に就任されたのでしょうか。
原田明:
大学卒業後、父に誘われて新卒でこの会社に入社しました。最初のキャリアを自社でスタートさせたことは「ビジネスパーソンとしてどうあるべきか」という自分の基盤を形作る上で非常に意味があったと感じています。その後、父の計らいで取引先である大企業の中国法人やアメリカ法人に常駐し、外の世界を見る機会をいただきました。また、29歳の時には日本生産性本部の「経営アカデミー」に参加し、他社の幹部候補の方々と切磋琢磨する中で、経営者としての視座を養いました。
30代に入ってからは、国内拠点のエリア責任者を任され、東日本、西日本それぞれ2年ずつ務めました。現場で意識していたのは、「誰もが嫌がる仕事を率先してやる」ことです。クレーム対応や困難な交渉など、泥臭い仕事こそリーダーがやるべきだと考え、そうした姿勢を見せることで初めて、社員からの信頼が得られるのだと学びました。
そして34歳で社長に就任しましたが、私は「社長」というのはあくまで「役割」だと考えています。具体的には、組織の中心で判断を下し、責任を取ることが私の役割です。
未経験をプロにする「教育」と、変わらぬ「三つの心」

ーー最後にお二人から、今後の展望をお聞かせください。
原田隆之:
時代が変わり、技術がAIのように急速に進化しても、未来へ変わらずに残してほしいものがあります。それは社是である「素直な心、謙虚な心、奉仕の心」、そして「恕の精神」を忘れない事です。これらは社会人として、何より人として最も大切な土台です。どんなに技術が進歩しても、最終的に仕事をするのは「人」です。この精神をDNAとして受け継ぎ、次代へつないでいくことこそが、弊社の未来。における最大の強みになると信じています。
原田明:
私もその思いは同じです。その上で、私が特に注力したいのは「教育プログラム」のさらなる強化です。現在、エンジニア不足が叫ばれていますが、弊社では文系・未経験の方でも安心してプロを目指せる環境を整えています。例えば、情報通信分野では独自の動画教材やメンター制度を活用することで、入社わずか2カ月半で9割以上の社員が難関資格のCCNAを取得しています。
また、電気制御の分野でも同様に、現場に出る前に実機を使った研修を徹底し、動画マニュアルで技術を習得できる仕組みを確立しました。「エンジニアになりたいけれど、どうすればいいか分からない」という方の入り口となり、一生モノの技術を身につけてもらう。そして、社会インフラを支える人材を輩出し続けること。それが、これからの私の使命だと考えています。
編集後記
「会社を絶対に潰さない」という創業者の執念と、40年の黒字経営という実績。その強固な基盤の上で、二代目の原田明社長は「教育」という新たな武器を磨き上げている。取材を通じて感じたのは、同社が単なる技術者集団ではなく、「人としてのあり方」を大切にする温かい組織であるということだ。原田会長が大切にしてきた「素直・謙虚・奉仕」な心は、最新の教育プログラムの中でも脈々と受け継がれている。未経験からプロを目指す若者にとって、同社は技術だけでなく、人としても大きく成長できる最高のフィールドとなるだろう。

原田隆之/1941年生まれ、中央大学法学部卒業。1984年に株式会社ディック電子(現・株式会社ディック ソリューション エンジニアリング)を創業。電機制御事業・情報通信事業の分野で事業を広げ、創業から40年以上にわたって堅実な経営で会社を成長させてきた。全国16拠点体制を築き上げ、経営の根幹には常に技術力と人間力の両立を重視。現在は会長として、経営理念の継承と次世代育成に力を注いでいる。
原田明/1986年東京都生まれ。2009年玉川大学卒業後、株式会社ディックソリューションエンジニアリングへ入社。20代では中国・アメリカの取引先現地法人や、国内主要拠点への赴任を経験。30代で経営企画室長を務めた後、東日本・西日本それぞれのエリア事業を統括し、2021年に代表取締役執行役員社長に就任。